60.皇帝
市民が誰1人歩いていない都の街。
その中を祐基たち一行が歩く。
時折すれ違うのは、城壁へ急行する龍華軍の部隊。
あるいは、慌ただしく駆け抜けていく伝令兵たちだけ。
警鐘が鳴り止まぬ限り、一般市民は外出を禁じられているのだろう。
閉ざされた家の窓、その隙間より不安そうな眼差しで祐基たちを見つめる人々の姿がちらほら見えた。
「いつ頃市民の方々は外へ出れるのでしょうか?」
翠鳳が辺りを見回しながら紫蓮に尋ねる。
「報告では、我々が都に到着する10分ほど前に戦闘が開始し、それからすでに30分.....1000体程ですし、そろそろ亜人は撤退するはずです。すぐに避難指示は解かれますよ」
翠鳳はほっとしたように息を吐く。
城壁で戦場を見た時は顔色を悪くしていた翠鳳だが、今はもう随分と落ち着きを取り戻し、いつもの明るい表情に戻っている。
「せっかく都に戻ってきたんですから祐基くんと紅蓮さんに、私のおすすめのお店に連れて行きたかったのになぁ〜」
「翠鳳さんのおすすめ?」
「月餅って言うお菓子を売ってくれるお店があるんですよ!学校帰りに絶対寄るくらい美味しいんです本当!」
翠鳳は祐基へ顔を近づけながら語る。
だが、月餅という名前自体を知らない祐基にはいまいち想像がつかない。
「月餅....?そんなに美味しいんですか?」
「朝昼晩、三食月餅がいいと思えるくらいには!」
翠鳳は断言する。
お菓子ということは、恐らく甘味なのだろう。
祐基は内心で想像する。
(三食も食ってたら病気に....いやその前に太りそうだな)
だが、そんな祐基の考えなど露知らず。
翠鳳は月餅を頬張る自分を想像しているのか、うっとりした幸せそうな顔を浮かべ、口元には若干よだれまで垂れていた。
祐基はその感想を、そっと胸の内へしまい込んだ。
「それはぜひ食べてみたいですね。けど僕らが都を自由に散策するのは亜人王を倒した後ですよ」
「え〜紅蓮さんは後で行きたいですよね!」
「すまないが甘いものは苦手だ」
「女性で甘いもの苦手!?そんな人本当に存在したの!?」
「失礼だな」
紅蓮が呆れたように眉をひそめる。
そんな軽口を交わしながら歩いていると。
「あっ....」
軽い衝撃が肩に走る。
横を見ると歩行者が。
若干気が緩んでいたとはいえ、周囲の気配くらいは察知できると思っていた祐基は、真正面から来ていた人に気付けなかったことへ少し戸惑う。
「すみません!しっかり前を見ていませんでした!お怪我は?」
だがすぐに意識を切り替え、祐基はぶつかった相手へ頭を下げる。
「....すまないね。こちらもよそ見をしていて気付かなかった」
低く落ち着いた男の声。
見たことのない異国の黒いコートを羽織り、肩まで届く紫の髪、そして黒い瞳。
その顔立ちは明らかに龍華帝国の人間ではない外国の人。
祐基はここでようやく気付く。
この男は兵士ではなく、民間人であると。
「一般人の方ですよね.....?まだ警鐘が鳴っていますので外には出ないでもらえると....」
「少し外の空気を嗅ぎたくてね。すぐに屋内に戻るのでご心配なく」
祐基はその男に奇妙な違和感を覚える。
どこか不気味で、今まで出会った誰とも違う空気。
(外国の人....初めて見たけど住む世界が違うというか、異国の風を感じる.......)
「もうじき亜人は撃退されますので、勝手な外出は控えなさい」
「は〜い、気をつけます」
紫蓮が軽く注意すると、一行は再び歩き出した。
祐基も男へもう一度頭を下げ、慌てて後を追おうとするが。
「あ、ちょっと待って」
男が、祐基を呼び止めた。
「え...何ですか?」
「ぶつかったお詫びに、君のこと占わせてくれないかい?僕、実は占い師でさ」
「あー....ごめんなさい!また今度お願いしても?」
祐基は断るも、男は気にした様子もなく一歩前へ出た。
「すぐ終わりますので」
そう言って男は片手を翻し、数枚のカードを扇状に広げる。
トランプだ。
黒い手袋越しに器用に扱われるカード、かなり手慣れている。
(厄介な人とぶつかっちゃったな.....これ、占うまで行かせてくれなさそうかな)
祐基は、こっちを見て足を止めている紅蓮たちへ声を張る。
「すいません隊長、すぐに追いかけますので先向かっててください!」
「ん、そうか?じゃあ先に行ってるぞ」
「祐基くん!なる早で〜」
紅蓮と翠鳳は、前を歩いていた紅忠と紫蓮を追って歩き去っていく。
そして、祐基と男だけが残る。
「じゃあこの中から好きなカードを1枚引いてみて」
男は、自分が迷惑を掛けているとは微塵も思っていないのか、気にする事なく淡々と占いを始める。
「はぁ....じゃあ、これで」
祐基は適当にカードを1枚抜き取る。
そのカードを見ると、エース。
「エースでしたけど」
「.....エースか」
男の口元に笑みが浮かぶ。
その笑みが少し怖く、早く終わらせたい気持ちが祐基の中で強まる。
「どうやら君はこの国の切り札.....いや、切り札の一つかな?」
「切り札....そうですか?ありがとうございます....」
兵士であれば、自分が国の切り札と言われて悪い気はしない。
だが祐基は冷静だった。
(こうやって適当に持ち上げて占いを信じ込ませる感じかな......)
「じゃあもう一枚引いてみて。今度は、君がこれから戦う相手を占ってあげるよ」
「戦う相手?」
祐基はその言葉に僅かな引っ掛かりを覚えながらも、再びカードへ手を伸ばす。
引き抜いたカード、それを見るや祐基は思わず首を傾げてしまう。
カードには数字ではなく、見たこともない文字や絵が描かれていた。
「joker.....か」
「?」
男の口元がまた僅かに歪む。
その笑みはやはりどこか不気味だった。
(じょーかー?そんなトランプカードあったっけ?)
「きっと命の一つや二つ、いや、五つくらいは失ってもおかしくないほどの戦いになるだろう。けど、きっと君なら乗り越えられる。神の加護ではないけど....お守り代わりにこのカードをあげよう」
男は広げていたトランプを指先で纏める。
その瞬間、祐基が“纏められた”と認識した時にはカードの束は跡形もなく消え、男の手に残っていたのは一枚だけ。
男はそれを祐基へ差し出す。
「あ....ありがとうございます?」
状況を理解できないまま、祐基は反射的に受け取った。
渡されたのは、ただの8のカード。
「8....」
「そのカードを肌身離さず持ってるといい。きっと面白いことが起きるから」
祐基は受け取ったカードから、男に視線を戻す。
「....あれ?」
そこにはもう誰もいなかった。
祐基は思わず周囲を見渡す。
だがどこにも男の姿は見えない。
「何だったんだ.....あの人」
何一つ理解できないまま、祐基は紅蓮達の元へと走り出す。
自分でもよくわからない、胸の奥に妙なざわめきを残して。
◆
その後、祐基たちは正門である龍眼門を超え、皇龍宮に到着した。
宮殿内部では、兵士や官僚たちが慌ただしく行き交っている。
今も続く亜人の襲撃、それに都以外の都市への救援や対策。
早急にやる事が山積みなのだろう。
その証拠に官僚の目の下には、誰もが例外なくはっきりと見えるクマができている。
紅忠の話では、皇帝は亜人王による長城襲撃が起きてから、宮殿で最も大きい建築物であり帝の間を有する『正殿』から動いておらず、そこで指示を出し続けている。
そのため、祐基たちは正殿を目指し宮殿内を進んでいた。
「着いたぞ〜」
紅忠と紫蓮が足を止め、祐基たちもそれに続く。
目の前には冠耀の婀尨宮を思わせる幅広い巨大な石段。
見上げればこちらを見下すように聳える巨大な建築物。
その大きさ、幾重にも重なる黄金色の輝く瓦は、民に皇帝の力と偉大さを示しているかのようだ。
こここそが目的の正殿である。
「この上に陛下が....」
祐基の中で緊張が走る。
「そう固くなんな。陛下は機嫌が良い時は何したって笑って見過ごしてくれるくらいには寛大よ」
祐基の背を、紅忠が軽く叩く。
流石に皇帝の懐刀たる『双刀』の1人。
何度も皇帝と顔を合わせているだけあり、緊張感の欠片もない。
紫蓮も同様に。
「では参りましょうか」
先頭に立つ2人が階段を上がり始める。
紅蓮も続き祐基と、同じく緊張が顔に出ている翠鳳も階段に足を置く。
一段一段と上がっていくにつれ、心臓の鼓動が強くなる。
およそ後1分と経たずに階段を上り終える。
その先、正殿の門を超えた先にいるのはこの国の頂点たる皇帝。
そう実感するたびに、祐基の緊張はさらに増していった。
「そういえば、翠鳳さんも陛下にお会いしたことはないんですか?」
石段を上がりながら、祐基は隣の翠鳳へ尋ねる
「はい....秘宝回収の命令は焰秋隊長が直接受けたもので、私はお会いしたことないんですよ。一体どんな方なんでしょう....皇帝陛下」
「若くして皇帝に即位し、国を発展させた人と聞いています。なんでも外国の文化に興味があるお方だとか」
祐基は軍の訓練兵の時に習った歴史の内容を思い返す。
先代皇帝が病に倒れ、残された遺言により当時25歳だった第一皇子が皇帝に即位。
そして即位後、まず手を付けたのが奴隷制度の改善。
国内にいるアメリア王国から買い取っていた人権を持たない奴隷...『下位奴隷』を人権を持つ『標準奴隷』の地位にまで上げる。
さらに奴隷全体の地位を労働者と同等に上げ、働きに応じ国籍を与える法律を制定した。
“民あってこその国”....それが皇帝の掲げる思想だ。
盗賊対策の軍の増強による治安向上。
劇場などの市民への娯楽供給を増やし、歴代皇帝が制限していた海外の商人を多く国内へ招き、龍華帝国の経済を伸ばす結果を生んでいる。
当然、国民からの支持は厚い。
だがその一方、歴史的文化や歴代皇帝の歩みを重んじる官僚の中では評価が分かれているという話もある。
「僕の故郷の村ではあまり話題に出てこないので、全部教科書や訓練兵の時に聞いた噂での話ですけど」
「噂か〜.....そういえば学校の先輩が、一度街で陛下をお見かけしたことがあったらしくて。皇帝陛下はすごいカッコいい人だったっけど少し変わったお方だったって言ってましたね」
「変わった....?」
「はい、なんでも見惚れていたら突然近づいてきて、『朕の身体を触らせてやろうか?』って言ってきたとか」
「ぶふっ...!」
前を歩いていた紅忠が突然吹き出した。
肩を震わせ、笑いを堪えている。
「そ...それは、変わった人ですね」
思わず苦笑いをする祐基。
脳裏に浮かぶ、カッコよく怖い皇帝像が一気に怪しくなる。
変態や特殊性癖の持ち主なのかと口から出かけるが、流石に言葉を飲み込む祐基だった。
「その辺にしておけ」
紅蓮が口を開く。
「もう着くぞ、お喋りは終わりだ」
その言葉で祐基たちは前を向く。
気が付けば階段は終わっており、目の前には正殿。
正殿の大扉の前には数十人の兵士が整列しており、全員が青い甲冑を纏い、槍を装備している。
怪しい者は誰1人入れない...といった雰囲気を醸し出し、鋭い視線が祐基たちを刺す。
だが紅忠の姿を見た瞬間、兵士たちの空気が変わる。
「『飛龍』将軍!!張按奪還、お疲れ様です!」
警備兵の隊長らしき男が、急ぎ紅忠の前へ進み出る。
そして片膝をつき、深々と拱手の礼を行う。
「予想を遥かに超える速さでの完遂、陛下も大変驚かれておりました!」
「ん、そか。扉開けとくれ」
「はっ!」
紅忠が扉を軽く指差し、兵士は勢いよく立ち上がる。
そして立ち上がった瞬間、「開門〜〜!」と声を張り上げた。
すると重厚な大扉がゆっくりと動き始める。
内側からも兵士たちが現れ、左右へ展開。
無駄のない動きで整列し、一行のための道を作る。
そして全員が膝をつき、頭を下げながら拱手の礼を取った。
「どうぞ!陛下が中でお待ちです!」
「ん、ご苦労さん」
紅忠は軽く手を振り、そのまま当然のように歩き出す。
彼にとってこの厳重な出迎えは日常なのだろう。
そして、紫蓮と紅蓮も迷いなく続く。
一方でこのような出迎えが初めてな祐基と翠鳳の二人は、恐縮しながら小走りで紅忠たちの後を追う。
(紅蓮隊長、よく平然としてられるな.....さすが)
中へ入ると、そこは冠耀の宮殿同様に“帝の間”。
広大な空間の壁際には、幾人もの衛兵たちが微動だにせずに立っている。
中央には巨大な机が置かれており、その上には大量の書類や地図が乱雑に広げられていた。
机を囲うのは官僚らしき人達に軍の関係者であろう者。
皆、険しい顔で何かを議論しあっている。
さらにその奥、この場を見下ろすためにか幅広い三段の段があり、そのさらに奥。
煌びやかで青く豪華な椅子が一つ置かれている。
その椅子に深々と腰掛け、頬杖をつきながら議論を見下ろす男が一人。
あれは誰なのか。
考えるまでもない。
「陛下、ただいま戻りました」
部屋中央の手前、紅忠と紫蓮が立ち止まり拱手を行う。
祐基たちも慌てて同じ姿勢を取り、恐る恐る玉座の男を見る。
「張按は無事奪還。これでいつでも西へ撤退できますよ」
「戯け」
男が口を開いた。
その瞬間、部屋中で交わされていた議論が、ぴたりと止まる。
気付けば、全員が男へ視線を向けていた。
「紅忠....貴様も兵の鏡、『双刀』の1人ならば惨めに逃げずここで無様に死ね」
「わしは逃げるつもりないですよ。ただ陛下、あんたは生き延びらんと」
男は鼻で笑う。
「貴様が兵の鏡であるように朕もまた王の鏡。ここで惨めに逃げようものなら後の歴史書に愚者として記されるわ。民を見捨て逃げる王の治める国に未来などない。それはそうと紅忠、予想よりも半日と早い張按奪還、至高である」
祐基は、男の圧倒的な存在感に息を呑む。
男は威圧感のある赤い瞳、高貴を表したような艶やかな紫の髪、そして鍛え抜かれた上半身を大胆に晒し、その上から金刺繍の紫のローブを羽織っている。
既に40代後半のはずだが、その肉体も顔立ちも20代と言われても信じられるほど若々しかった。
「これで明日の早朝より民の避難を始められる。悩みの種がようやく一つ消えた」
(目の前にいるあの人が....この国を治める皇帝.....!)
亜人たちが自分の命を狙っているかもしれない状況。
既に都が攻撃されるまで来ているというのに焦りの色が一切見えない。
むしろ明らかな余裕が見える。
「何で半裸......」
翠鳳が顔を赤くしながら小声で呟いた。
(あれが紅忠さんの言っていた.....王の中の王.....)
彼こそが現龍華帝国皇帝...名を『曹王』。
王の中の王を自他共に認める、絶対なる皇帝。
「では詳しく聞かせよ。後ろの者共も含め、全てを」




