59.烙夭
「全隊、龍眼門へ向かえ!緊急時に備え宮殿の守りを固めよ!」
「「「はっ!!」」」
「伝令兵は速やかに陛下に張按奪還の報を届けるよう!詳細は『飛龍』将軍が追って報告する!」
「はっ!」
古来より続く龍華の伝統建築が並ぶ、美しい石畳の街。
冠耀の婀尨宮すら上回る巨大な宮殿の裏手、隣接する兵舎前で飛射隊の兵士たちは馬を降りていた。
紫蓮の指示を受けた隊員たちは整然とした動きで宮殿の門を抜け、去っていく。
「ほれ、わしらは陛下のおる正殿に行くとするかのう」
馬車から降り、初めて都の地へ立った祐基、紅蓮、そして翠鳳へ向け、紅忠が顎で「来い」と合図し、そのまま紫蓮と共に歩き出した。
その落ち着き払った様子に、翠鳳は眉をひそめる。
「あれ....あの、亜人の襲撃中では?」
祐基も同じ疑問を抱いていた。
先ほどの紫蓮の指示。
そして今なお、都のどこかから響き続ける鐘の音。
戦闘が終わっていないのは明らかだ。
なのに、紅忠も紫蓮も特に焦る様子がない。
(てっきりすぐに戦闘に加わると思ってたんだけど......)
「ん?あぁ....そうじゃな.......」
紅忠の足が止まる。
「よし!ちょっと寄り道してくか!」
「おい」
満面の笑みで言い放つ紅忠に、紫蓮が低い声を返した。
その声音には僅かに怒気が混じっている。
「寄り道?一体何処に?」
「都を守る兵士たちを見にな」
◆
龍華帝国の都...『烙夭』。
人口100万を超える帝国最大の都市であり、軍事・魔法・科学・経済・政治....全ての中心地であり、名実共に帝国の脳であり心臓である。
都市の内部には計15万を超える都の守護神たる龍華軍が駐屯し、軍関連施設が都市の至る所に点在している。
対亜人における兵士の質は、長城の兵と比べれば若干劣りこそする。
だがそれは戦闘経験の差であり、精神力と身体能力だけで言えば、都の龍華軍は国内でも最高峰であり、特に精鋭兵ともなれば長城兵と肩を並べるほどの力を持つ。
都の駐屯兵ともなれば、軍の顔のような存在。
異国の王族や権力者に龍華帝国を侮らせぬため、他都市の兵とは比較にならないほど苛烈な訓練を日々積み重ねているからだ。
当然、火薬兵器などの最先端科学技術を取り入れた兵器の扱いにも長けている。
いや、公になれば世界の国々が黙っていられないほどの強力すぎる科学兵器も既に取り扱っており、その点を加味すれば長城東部方面軍の戦力を上回るとも言える。
さらに都には、国内で唯一魔法を学べる教育機関...『国子魔法学監』。
科学研究の中枢....『龍華科学省』。
そして『龍華帝国冒険者協会総本部』なども存在している。
美術館や劇場といった娯楽施設も充実しており、市民が生活に不自由することはまずない。
都市はモンスターや盗賊の侵入といった外敵の脅威を防ぐために、張按同様に城壁に囲まれており、治安と安全性でも不備は全くと言っていいほどない。
そして、都の中心地。
南北約1200メートル、東西に約750メートルの面積約90万平方メートルに及ぶ巨大な建築物が建つ。
周囲を幅約50メートルの水堀、高さ10メートルの強固な城壁が囲う。
一般市民の立ち入りは固く禁じられており、外敵の攻撃を想定し徹底的に防衛設計された場所。
ここへ入るには正門である北の『龍眼門』、裏門である南の『龍尾門』を潜らねばならず、それぞれの門には龍華軍が常駐しており、何者であろうと容易には侵入できぬ重厚な防衛設備が整えられている。
門を抜けた先には、大小合わせて千を超える建築物と三つの巨大な建築物が聳え立つ。
こここそが国家の魂。
龍華帝国を統治する皇帝の住まう宮殿。
『皇龍宮』である。
◆
「弓隊!!!怯まず敵に矢を送り続けろ!!!」
「毒蠍人が壁を登ってくるぞ!!!」
「空も警戒しろ!!!いつ奴らが降りてくるかわからん!!!」
「僧侶を送ってくれ!!こっちに負傷者多数!!」
怒号に悲鳴、武器の激突音。
都市を囲う高さ15メートル程の城壁の上。
約60メートル間隔で幾つも築かれている城壁の見張り台。
祐基たちはその一つから、下で繰り広げられている戦闘を固唾を呑んで見下ろしていた。
目の前の光景は、かつて長城で経験した死闘を嫌でも思い出させる。
城壁へ押し寄せる亜人の大群....数はおよそ1000。
対するは、都を守護する夥しい数の龍華軍。
戦況だけ見れば優勢なのは龍華軍側だった。
迫る亜人たちの大半は、城壁へ辿り着く前に無数の矢を浴び、野原へ倒れていく。
だが、それでも亜人たちは止まらない。
毒蠍人が壁を登り、梯子を掛けた亜人たちが次々と侵入を試み、空では蛇蜻蟲が羽音を響かせながら飛び回っている。
さらに、後方からは魔道機人による炎魔法が絶え間なく降り注ぎ、爆炎が城壁を揺らしていた。
龍華軍側にも既に多くの死傷者が出ている。
矢が空を飛び、炎の玉が壁を揺らす。
亜人を斬り伏せた兵士が、次の瞬間には毒針を深々と突き刺され崩れ落ちる。
負傷者の元へ駆け寄った僧侶を、蛇蜻蟲が急降下し、その首を刎ね飛ばす。
血飛沫が舞い、断末魔が響き、命が次々と散っていく。
両者一歩も退かぬ、凄惨極まる死闘。
「うっ.....んぅ........!!」
その光景を見ていた翠鳳は咄嗟に口元を押さえ、その場へ座り込んだ。
顔色は青白く、肩は小刻みに震えている。
苦しげに呼吸を繰り返すその姿から、吐き気を必死に堪えているのが分かる。
死体自体はこれまでに何度も見ているが、本物の戦場を見るのは、恐らくこれが初めてなのだろう。
戦場の独特の匂い、耳へ絶え間なく飛び込んでくる断末魔。
耐性のない人間が、初めてこれを経験し平然としていられるはずがなかった。
「翠鳳さん.....大丈夫ですか?無理せず下で隠れててください」
祐基は膝を着き、翠鳳の背を優しくさする。
祐基も長城で初めて本物の戦場を見た際は、怖くなり体が震えてしまう経験をした。
耐性の差は違えど、翠鳳の気持ちはよく理解できる。
そもそも翠鳳は僧侶のため、基本的には後衛での負傷者の回復が仕事となる。
無理せず前線の地獄絵図を見る必要はない。
だが翠鳳は、苦しげな表情のまま首を横に振った。
吐き気は治まっていない、それでもここに残りたい。
そんな意思を、祐基たちへ必死に伝えてくる。
無理にでも下へ降ろすべきか、祐基は迷い、判断を求めるように紅蓮を見る。
「.....祐基、私が翠鳳の側に着く。何かあれば私の判断で共に下に降りる」
「....了解です」
紅蓮が祐基と位置を代わり、翠鳳の隣でしゃがみ込む。
祐基は再び戦場へ視線を戻した。
「強い嬢ちゃんじゃな」
その隣で、紅忠が祐基にぽつりと呟く。
「仲間の側を何があっても離れたくないのじゃろう。どれだけ苦しかろうとな」
「そうですね。けど、少しだけ良かった.....」
「ん?」
できることなら下へ降りて休んでいてほしい。
そう思う一方で祐基の中には、降りないでほしいという感情も確かにあった。
何故なら。
「側にいないと僕が守れない。もう誰1人....僕の大切な仲間は殺させない......」
祐基は低く呟きながら、攻め寄せる亜人たちを鋭く睨みつける。
それを見た紅忠は、フッと少し笑った。
「そうじゃな!それでこそ誉れ高き龍華兵じゃ!」
そして祐基の背を力強く叩いた。
背に広がる熱を帯びた痛みを感じながら、祐基は戦場を観察し始める。
まず気になったのが亜人の種類。
戦場にいる主な亜人は.....。
魔道機人。
毒蠍人。
鱗魚人。
蛇蜻蟲。
ただのオークにゴブリン.....。
どこを見ても、水のオークと蔓絡人の姿がなかった。
(水のオークは族長が倒れて全員撤退したのか......でもなんで蔓絡人の姿は無いんだ.......?)
理由はわからないが、全ての蔓絡人の生みの親であるフォルネストが死んだ事で、水のオーク同様に荒野へ撤退したのか。
なんにせよ厄介な亜人が消えたことは喜ばしいことだ。
毒蠍人同様に壁を登ってくる上、核を破壊しない限り再生してくる蔓絡人は難敵。
防衛の成功率が少し上がったようなものだ。
そして祐基はもう一つ、ある違和感に気づく。
敵の数だ。
(紅忠さんによると既に都には幾度と亜人が攻撃を仕掛けてきている。恐らくこれも本格侵攻前の予行練習.....)
祐基は空を見上げる。
空を滑空する亜人、蛇蜻蟲。
その数約50。
(長城で見た亜人の中じゃ蛇蜻蟲の数が1番多かった.......なのに少ない......)
祐基が疑問に感じたのは、今攻めてきている蛇蜻蟲の数。
現在襲撃してきている、およそ1000を超える亜人たち。
その中で蛇蜻蟲の割合だけが異常に少ないのだ。
他種類の亜人の数が少ないのであれば、気にはなるが深くは考えない。
問題は蛇蜻蟲だということだ。
蛇蜻蟲はその圧倒的な繁殖力により、荒野の亜人の中で最も個体数が多く、数にものを言わせ敵を殺す習性を持っている。
実際、長城に攻めてきた亜人の大群の中では蛇蜻蟲が最も数が多かった。
その蛇蜻蟲の姿が少ない。
祐基の背筋をじわりと嫌な感覚が這い、これも亜人王のなんらかの作戦なのかと考える。
が、考えても答えは出ない。
今はひとまず、水のオークと蔓絡人が撤退したこと。
こちらも辛い状況だが、亜人側も既に相当なダメージが入っているという推測を自分の中で立てることとした。
「気付いたか」
紅忠がちらりと祐基へ視線を向ける。
その言葉の意味を祐基はすぐ理解した。
自分程度が気付いたことだ。
ならば紅忠が気付いていないはずがない。
「はい、水のオークと蔓絡人がいません。恐らく荒野に撤退したんだと思います。おかげで亜人側の戦力も余裕がなくなり始めた」
「そうですね」
紫蓮が横に立つ。
「祐基様と皆様のおかげです。軍を代表し感謝を述べたいほど」
「じゃな。だが祐基、先の言葉....1箇所間違えとるぞ」
「え?」
紅忠は城壁の歩廊、今まさに亜人と斬り合っている兵士を指差した。
「“も”?違うのう。なぜわしらが都に帰還し、この防衛戦に加わらなかったのか。“過剰戦力”だからじゃ」
祐基はその指された兵士へ視線を向ける。
「「ヴウオオオオォォォォォォッ!!!!」」
城壁へ梯子を掛け、登ってきた二体のオーク。
巨大な腕を振り上げ、その兵士へ襲いかかる。
だが、兵士は微塵も慌てることなくオークの殴打を紙一重で避け、一歩軽やかに後ろへ跳ぶ。
「あまり近寄らないでもらえるかしら?」
チリンチリン...と、戦場で鳴ったとは思えない心が落ち着くような澄んだ音が聞こえた。
兵士はあまりに美しく体を踊らせ、薄緑の長い髪がふわりと広がり、髪を束ねる金の髪留めに連なる無数の小さな鈴が、その動きに合わせ美しい音色を鳴らしていた。
次の瞬間、装備している...刀身が湾曲していない真っ直ぐな剣...『龍華剣』を一振り。
すると、オーク2体の上半身がズルリと滑り落ちた。
鮮血が噴き出し、そこでようやく祐基は理解する。
どうやってかあの兵士は、オーク2体を同時に斬ったのだ。
「美しい私が血で汚れちゃうでしょ?」
兵士....いや、その女の兵士は涼しい顔でそう言いながら、隣にささっと現れた兵士に渡された布を取り、血の付いた剣を優雅な動作で拭き取る。
「『風龍』。華美な戦いが特徴の権香に配属されていた将じゃ。己の美しさを何よりも大切とし、敵を近づけない...その肉をも切断する風を生み出す戦い方からそう呼ばれとる」
言い終えた紅忠は、そのまま見張り台の反対側へ歩いていく。
祐基も慌てて後を追い、紅忠の視線の先へ目を向けた。
「オラオラオラオラオラオラッッ!!!!」
戦場の喧騒よりも一回り大きい声を響かせ、黒い辮髪を大きく揺らしながら、歩廊に立つ亜人たちを次々と斬り伏せていく男の兵士が1人。
龍華軍標準装備である柳葉刀が止まらず、亜人の首を斬って斬って斬り続ける。
「次だ次ッ!!!もっとつえー奴はいねぇのか!?あぁッ!!?」
その勢いや、意気揚々と城壁を登り歩廊へ到達した亜人たちですら思わず足を止めるほどだった。
祐基は、その豪快な戦闘にどこか屈釖の面影を感じる。
「兵士は誰もが基本の型っちゅうのを持っとる。訓練時代に培った剣術、弓術。戦場で身につけた戦術、戦闘技術。だがあやつにはそれが無い。ただ思うがままに剣を振り、その場その場で最適な動きをし続ける。その超絶我流戦闘から付けられた名は『俺龍』」
「....『俺龍』?」
その名に紅蓮が反応した。
「紅蓮隊長、知ってるんですか?」
そう尋ねるが、祐基もその名に聞き覚えがあった。
祐基と紅蓮が焰秋と出会った際、その名を焰秋が確かに口にしていた。
「ああ、同じ龍鱗の長城東部方面軍の兵士だ。何度か共に戦ったことがある。都に来ていたのか....」
「『俺龍』様は『赤龍』様のライバルとしてよく語られるほど。実力は確かな方です」
「向こうが勝手にライバル視してくるだけで、私はライバルだとかは思ったこともありません」
紅蓮はため息混じりに答えた。
その口元には僅かな笑みが浮かんでいる。
同じ長城、同じ襲撃を生き延びた同僚が無事でいてくれた。
その事実が、少しだけ嬉しかったのだろう。
「ララララララっ...だっ!!?」
祐基が再び視線を『俺龍』へ戻すと、1人の男が『俺龍』に向け、持ち手以外が淡い青色の龍華剣を振るう。
『俺龍』は上体を反らし、その一撃を回避。
大きく後方へ跳び退いた。
「ん?あぁすまない。野蛮な声が聞こえてっきり亜人かと思った」
「てめぇ.....『蒼龍』.....!!」
動きやすさを重視した軽装の青い漢服を纏い、目を開けずに『俺龍』を見る短い茶髪の若い男。
その剣と佇まいから伝わってくるのは、紅蓮と同等の強さの覇気。
(遠くからでもわかる.....強い)
「こんなのが噂の『赤龍』のライバルか.....期待はずれだな」
「あぁッ!!?」
『蒼龍』の煽りに、一触即発の空気が流れる。
「『蒼龍』、龍鱗の長城西部方面軍所属。東の『赤龍』西の『蒼龍』と語られるほどの強さを持つ新世代の将。わしほどじゃないが、かなりの腕を持つ」
「現在の城壁防衛戦力において最強と言われているお方。頼もしい限りです」
紅忠はさらに、戦場を見渡しながら語る。
「他にも『甘龍』、『物龍』、ワシの弟子で火爆矢を扱う『爆龍』.......いま都には龍華帝国各地の猛者が集結しとる。例え今ここに六荒王が出てきたとしても、わしが出ずとも倒してしまえるじゃろう」
「だから僕たちは今戦う必要がないと.....」
「そうです。恐らくこの攻撃はこちらの防衛戦力の調査も兼ねての攻撃。都を落とすには数が少なすぎますし。ですのでこちら側の切り札である『飛龍』将軍.....それに祐基様の雷衝動は出せません。対抗策でも講じられたら厄介です」
祐基の胸の内で勝利の確信のような高揚が湧き上がる。
これだけの猛者達がいるのなら、きっと六荒王も亜人王も必ず倒せると。
「んじゃ....そろそろ陛下のところに行くとするか」




