第3話 束の間の再会
恥も外聞も捨ててと言えば大袈裟だが、老婆からの食事の誘いを天の恵みと喜んで応じたマシロは、老婆の家に案内されて、食卓まで通されたところだった。
家は誰でも一目でわかる木製作り。壁と屋根をただ木の丸太を繋ぎ止めただけのものなので裕福とは言い難いが、現代っ子でコンクリート住まいのマシロからすれば逆に新鮮だった。
昭和のコテージ風とでも言おうか。
「大したおもてなしもできないけど、今から食事の用意をするから、しばらく待っててね」
「はい。お構い無く」
「時間かかるだろうから、こっちの部屋で寛いでいてもらえるかしら」
そう言った老婆に連れられた部屋は、客人用ではなく寝室らしく、ベッドが部屋の隅に置いてある。窓はない。
今日会ってばかりの自分が寝室にまでお邪魔してしまうことに抵抗を感じないわけではなかったが、食事の誘惑に負けてノコノコ付いてきた時点で今更だと思い、マシロは老婆の好意に甘えることにした。
そうして扉が閉まり、老婆は一人台所へ向かう。
「親切な人で良かったわ。最悪、今日のご飯は四つしかない飴玉かもしれないと覚悟してたぐらいだったし」
ベッドの上に腰掛けて、マシロは一息ついた。
思えば、見知らぬ平原で目を覚ましてから、ずっと歩きづめだったのだ。疲れが出て当然である。
だが、ここで一休みして、老婆が作ってくれる料理を食べれば、自分はあと一頑張りはできることをマシロは自分の身体なので知っている。
運動には自信があった。
「それにしても……」
部屋の唯一のドアを閉じきり、窓もない。
これではいくら今が昼過ぎでも明かりが入ってこないはずだ。
十分とは言えないが、けれども明かりはかろうじてあった。
頭を上げると4メートル以上の高さのある天井に小さな天窓が一つ。
ここから陽光を取り入れているらしい。
夜になれば、きっと真っ暗だろう。
部屋の中はベッド以外は本当に何もない。
ベッドがあったから寝室かと思ったが、下着や衣服を締まっているような箪笥や衣装ボックスすらもない。
「なんだか、まるで――」
「牢屋みたい?」
「――!!」
不意打ちでマシロの心情を見事に言い当てた中性的な声が背後からした。
家主である老婆の声ではない。
彼女がこの部屋から出ていったところをマシロは見ている。
だけど聞き覚えがある。
これは………
そっと後ろを振り向くと――
「……どうして、あなたがここにいるのかしら?」
猫がいた。
ただの猫ではない。
二足歩行の猫でぬいぐるみなのに喋る、それは――
「君を迎えに来たんだよ」
「私を?」
「君を迎えに来たんだよ」
オウム返しに答えたのは、このエイヴァ村の場所を教えた張本人で、一時間以上前に別れたはずの謎多き猫の着ぐるみだった。
相変わらず、会話が成立していない。
「それはもう聞いたわ。どうしてあなたがここにいるのよ? ……いいえ、どうやって、ここに入ったの? ああ! ううん、牢屋ってどういうことよ? もう! ツッコミどころが多いわね!」
「牢屋って言ったのはキミだよ?」
「違うわ。私は思っただけよ。口にはしてなかった」
「そう?」
「そうよ!」
なかなか話が進まないので、ムカッときたマシロの声が最後で強まった。
ぬいぐるみはマシロの質問に答える代わりに、肉球を見せるように扉を指し示した。
ぬいぐるみとはいえ、肉球に触ってみたいと思ったマシロだが、ここは我慢して肉球指した先に視線をやる。
「扉がどうしたのよ…………あれ?」
ガチャ、ガチャ。
ガチャガチャ。
「…………」
ドアノブを回すが扉が動かない。
「……鍵がかかってる。……どうして?」
「鍵を掛けたからじゃないの?」
「だから、それを誰がしたのよ! って言いたいの、私は!」
いつまでもマイペースなぬいぐるみは、マシロにがなられても、まったく表情を変えていない。
ぬいぐるみなのだから、当然ではあるのだが、それを言ったら、そもそもぬいぐるみが喋って動いてしてること自体だって説明できない。
だから、今更それに対してどうこう言うつもりはマシロにはなかったが……
「ボクとキミがここにいて扉が開かないのなら、この家の人なんじゃないの?」
「え……? お婆さんが?」
ぬいぐるみの言う通りだ。
この部屋の外に老婆はいて、外から鍵を掛けられた。
ならば考えられることは一つ――
「って、どうして鍵が掛かってたこと知ってたのよ! やっぱり、あなたなんじゃないの!? 部屋の中にいつの間にかいたぐらいだし!」
やはりマシロには、あんなに優しくしてくれた老婆が酷いことをするとは思えなくて――
「だって、ここ人売りの村だよ」
「…………はい?」
何か今、ぬいぐるみから聞いてはいけないフレーズが――
「……なんと仰いました?」
「人売りの村」
「…………」
聞き間違いかと思い聞き直すものの、ぬいぐるみの答えは変わらずで――
マシロの思考が一分間フリーズ。
その間に「どうしたの?」とか「何か喋ってよ?」とかぬいぐるみの円らな黒い目が言ってる気がするが、マシロは一切合切無視を決め込み、自分の世界へ籠ることにした。
困っていた自分に手を差し伸べてくれたのは老婆だ。
食事までご馳走してくれると言って、自宅に招待してくれた。
マシロは正直、老婆を疑いたくなかった。
そもそも人売りの村だからと言って、村の人みんなが悪い人だとは限らない。
一方、正体不明のぬいぐるみは――
もしこの村が本当に人売りの村だとして、ここを教えたのはそもそも目の前にいきなり出現した、全てが胡散臭い、このぬいぐるみだ。
ぬいぐるみが自分を騙したということか?
これらを比較して、どちらが信用できるかなど一目瞭然。
未だに試行錯誤しているマシロを現実に引き戻したのは――
「おーい! ソムカ婆! 来てやったぞー!」
老婆を呼ぶ男の大きな声が突如、屋内に侵入してきた。
「あれ? なんだか聞いたことがある声な気が……」
「ゲルバかい? 卑しいね、もう来たのかい!」
男の声に対応したのは間違いなく老婆の声で――
「ゲルバ……確か、お婆さんとお話してる時に声を掛けてきた人よね……」
「当たり前だ。今回も俺の名演技があったからこそ、ソムカ婆が引き立ったんだぜ? 善人としてよぉ!」
「はいはい、わかったよ。まったく、もぉ。ちゃんとお祝いの料理は作ってるんだから、それでもお食べよ」
「言っとくが、報酬はちゃんと貰うからな?」
「わかってるよ。明日の昼過ぎにいつもの商人が商品を取りに来ることになってるよ。今回は飛びきりの上玉だからねぇ。期待できそうだよ。ヒヒヒ」
閉じ込められた部屋の外から聞こえてくるのは老婆とナンパ青年のもので間違いない。
それは会話の内容からして二人が最初から手を結んでいたことの証左でもあった。
何も知らない人に老婆が近付き、ナンパ青年が悪役を演じて……こんなことする連中だから素で悪役なのだろうが老婆の引き立て役となって、老婆を良い人だと錯覚させる。
まとめると、よくある詐欺グループのやり方そっくりだとマシロは思った。
「明日の昼までにここから逃げないと私、誰かに売られてしまうのね……」
「…………」
「どうして何も言ってくれないのよ? いえ、そういうことだってわけかしら……。私をこの村に行くように教えたのはあなただものね……。あなたもお仲間なわけ?」
平常心を装いつつも、緊張感に包まれたマシロの握られた拳の中は汗ばんでいた。
どう考えてもぬいぐるみは老婆と青年とグルだ。
なのにどこかで「違う」と言って欲しい気持ちがある。
でないと、マシロは見ず知らずの土地で一人ぼっちということになる。
ここには弟のイラハもいない。
家族も、友達も、仲間も、味方もいない――
いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない――
マシロは――
寂しかった。
「違うよ」
「――っ」
いつもの間の抜けた声を発したのはぬいぐるみだ。
ぬいぐるみはマシロの言葉を否定した。
それは無意識にマシロが望んでいたもので、マシロの心と共に強く握られていた拳が緩む。
そのことに本人さえ気付いていない。
「なら、人売りの村だと知っていながら、あなたはどうして私にそんなところを教えたのよ?」
「だって、人のいる場所だから」
「…………」
なんの悪びれもなく堂々とぬいぐるみが言うものだから、自分の方が何か間違っていたのかと、マシロは自分の言葉を思い返す――
『あ、あの、この近くに人がたくさん住んでるところ知らない? 街とか村とか……ううん、たくさんじゃなくても良いの。とりあえず、人さえ住んでいたら』
『知ってるよ』
『ほんと!?』
『そっちに行けば、人のいる場所に行けるの?』
「あ~……私の言葉をそのまま受け取ったわけね……。人さえ住んでいたらって言ったけど……、言ったけど……、なにかしら、このやるせなさは」
「悲しい?」
「ええ、とっても」
「涙が出てないよ?」
「……あなたがそれを言うのね」
ぬいぐるみに求めるべきではないかもしれないが、出会った時から思っていた、ぬいぐるみの感情の機微の疎さにマシロは深く溜め息をついた。
再び、マシロが握り拳に力を込めていたのは内緒とする。
「ところであなた何しにここに来たの? まさか助けに来てくれたわけじゃないんでしょ?」
ここでマシロを助けるのなら、最初からこの村を教えたりしないはずだ。
そのはずなのだが、
「そうだよ」
あっさりと肯定した。
訳がわからない。
訳がわからなさ過ぎて、軽い目眩を覚えてしまう。
マシロは右手で自分の顔を覆った。
「だったら最初から、こんな村、私に教えなかったら良かったのに……って言ったら、私が行きたいって言ったからってことに、どうせなるのよね」
「そうだよ」
「……そ」
機械的ないつもの受け答えに、諦め半分でマシロはまた溜め息を溢す。
だが助けてくれると言ってくれているのだから無下にはできまい。
――藁にも縋る気持ちとしてだが。
「で、どうするの? 大体あなた、どうやってこの部屋に入り込めたの?」
「扉を開けて入ったんだよ」
「嘘よ。お婆さんが部屋から出て行ってから一度も開いていないはずよ」
「違うよ」
先程からぬいぐるみの言っていることはどうもチグハグだ。と言っても、今まで要領の良い会話を目の前の猫型ぬいぐるみがしたことなんてないが。
「ボクの後ろをよく見てごらんよ」
「後ろ……?」
不審に思いながらも、恐る恐る言われた通りにマシロはぬいぐるみの背後に目を凝らす――。
何もなかった空間。
視線を集めると、空間の中心に黒い穴があって、ブラックホールのように渦を巻いた異様な光景があった。
まるで目の前のものを吸い込もうとしていて、理解不能な現状にマシロは戦慄して、目が離せなくなってしまう――。




