リサ~異世界㊵地獄の中で~
~キラー~
致命傷に近い傷を受け、気を失っていたキラーだったが、持ち前の回復力と理沙の精霊魔法によって、奇跡的に意識を取り戻すことができたキラーは、自分が置かれている状況を飲み込めずにいた。
「リ、リサ……?」
「………。」
周りの状況はよく分からなかったキラーだが、自らの主の様子がおかしいことだけは十分に理解できた。
なにせ、自分が名前を呼んでも、いつも返ってくる笑顔がないのだ。
理沙はただ静かに、そして慈愛に満ちた笑みを浮かべながら、魔物たちによる大虐殺を見つめていた。
「リ、リサ~……。」
キラーは、今までに見たことのないリサの顔に恐怖を抱いた。しかし、キラーは臆することなく、大好きなリサの顔に思いきり抱きつき、その頬を舐めた。
すると、理沙の目が僅かながらキラーの方を見た。
「リサ~……」
その冷たい瞳に見つめられ、キラーは涙を浮かべながらも必死にリサに呼びかけ続ける。
キラーは分かっていたのだ。
このままでは、自分の大好きな主人を失ってしまうことを。しかし、自分ではどうすることも出来ないということ。そして、どれだけ主人の名を呼んでも、何の効果もないということも分かっていても尚、キラーは大好きな主人の名を呼ぶことを止めなかった。
ただひたすらに、そしてただ真っすぐに、大好きな主人にもう一度会いたいという想いを込めて、キラーは何度目かのリサの名を呼んだ。
「キ、キラー君……?」
そんなキラーの言葉に、深く深く意識を沈めていた理沙の意識が戻ってきた。
「リサ!!」
今のリサが、大好きであったリサであることを本能的に悟ったキラーは、舐めることを止めて理沙の顔を覆うように飛びついた。
~リサ~
「ぶっ!じょっ!びらーぐん!?」
私は、キラー君がしがみついてきたことで言葉をきちんと発せなかった。
とりあえずこのままだと何が何だか分からなかったので、キラー君を力ずくで顔から引き剥がした私は、一体何が起こったのかと辺りを見回した次の瞬間だった。
「嬢ちゃーん!」
空中からメタきちさんの声が聞こえたと同時に、その本人が現れた……いや、落ちてきた。
「きゃあ!」
結構な高さから落ちてきたようで、着地の衝撃で砂ぼこりが舞い上がっていた。死んでないよね?
「嬢ちゃん!大丈夫か!」
私に抱かれたままのキラー君の頭の上に登ってきて私を心配してくれるメタきちさん。
メタきちさんがこれほど慌てるなんて、よっぽどのことがあったのだろうが、状況がいまいち飲み込めていない私からすると、ちんぷんかんぷんだ。
「だ、大丈夫ですけど……一体何が……」
そう言って、私はもう一度辺りを見回そうとした。
「マスター!」
「リサちゃん!」
上空からさらに悪魔さんとハーピィーさんの声が聞こえると同時に、2人が目の前に降り立った。
「うわぁ!」
私は、女の子としてどうなのと思うような声をあげてしまった。
こんな声は、昔、兄と行ったお化け屋敷で出した以来だ。
「み、みんな?無事で良かった。」
「我々の無事などどうでもいいです。マスター。いいですか?今から言うことを、落ち着いてください。今、この場所は地獄と化しています。まずはこの地獄を止めましょう。いいですか?決して慌てないでください。」
ハーピィーさんがキラー君とメタきちさんを私から預かると、悪魔さんがいつになく真剣な表情で私に話しかけた。
私は何のことか分からず、辺りを見回す。
「え……。」
私が見た光景は、悪魔さんが言った通り、まさに「地獄」だった。
魔物たちが次から次に兵士を殺している。
「な、何でこんなことに……。」
私は目の前で繰り広げられている虐殺から、思わず目を背けてしまった。
「嬢ちゃん!よく聞け!これを止められるのは嬢ちゃんだけだ!あいつらは、まだなんとか戦えてる!けど、嬢ちゃんがこれを止めなきゃ、あいつらは全滅だ!」
耳元から聞こえてくるメタきちさんの怒鳴り声で、なんとか心を繋ぎとめる。しかし、それは声の音量だけで、言っている内容は何一つ理解できない。
『私が止める……何を……これは……何?』
そんなことを考えていると、視界の端で、魔物の攻撃をどうにかして受け止めている兵士たちの姿が見えた。
「わ、私が……と……止める……?で、でも……ど、どうす……れ、ば……」
今まで見たことのない光景を前にして、目の焦点が上手く合わない。
息も苦しくなってきた。
この場所にこだましているはずの絶叫も、メタきちさんと悪魔さんの声もだんだんと聞こえなくなってきた。
今すぐに、この苦しさから解放されたい。
私はそう願ってしまった。
「嬢ちゃん!」
「マスター!」
メタきちさんと悪魔さんの声がさらに遠くに聞こえる。
2人の姿もだんだん見えなくなってきた。
私が何もかもどうでもよくなって、目を閉じかけたその時だった。
『パァン!』
私の頬に痛みが襲った。
「しっかりしなさい!あなたは私たち魔物の王なのよ!あなたがしっかりしないと、私たちはどうしたらいいか分からないじゃない!」
痛みと共に意識がはっきりしてくる。
叩かれた頬が熱い。
「ハーピィーさん……?」
私の目の前に、美しい顔が涙でぐちゃぐちゃになってしまったハーピィーさんがいた。
どうやら、私の頬を叩いたのはハーピィーさんのようだ。
叩かれた頬は、いまだに熱を帯びていた。
「メタきちさん……キラー君……悪魔さん……」
私はゆっくりと3人を見る。
その表情は、どこまでも私を信じてくれているものだった。
どうやら、腑抜けてしまっていた……いや、覚悟が足りなかったのは私だけのようだ。そんな情けない姿の私を、みんなで助けてくれたのだ。
ようやく、頬の熱が引いた時、私は大きく息を吐いた。
「ハーピィーさん。ありがとう。情けない王様だけど、頑張ってみるから、ここで見ててください。」
そう言って、私は「地獄」と向き合った。
~王国軍新米兵士~
目の前に迫る魔物の大軍。
その全てが俺たちの命を狙っている。
「う、うわぁぁぁ!く、来るなぁぁぁ!」
新米兵士としてここに招聘された俺は、まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
「強力な魔物らしいが、数が少なく、楽な仕事だ」
そう聞いていた。
『それがどうしてこんなことになった……』
目の前で、先輩兵士が次から次に殺されていった。
新米だからといって、安全な後方に配置されていたおかげで俺はまだ生きているだけなのだ。
「おら!ちゃんと剣を振れ!死にたいのか!」
俺の横で、勇猛果敢に剣を振るベテラン兵士。たまたま俺が配置された部隊の隣で指揮を執っていただけで、会うのは今日が初めてだ。
この兵士には、何度命を助けられただろう。
「ふぁ、ふぁい!」
一人だったならば、俺はあっという間に死んでいた。
地面が激しく揺れて、大地が隆起した後、その隆起した場所から大量の魔物が現れた。
突然現れたことに対する動揺は少なからずあっただろうが、態勢を整えてからは、順調に魔物を倒していた。
しかし、その後、魔物は尽きるどころか次から次に現れた。
魔物たちに少しずつ押し込まれていく中で、周りの仲間が次々に殺されていった。
そんな中で、俺は動くことが出来ず、ただひたすら立ち尽くしていたのだ。
前方から死が迫ってくる。そして俺にも、いよいよ死の順番が回ってきた。
目の前まで迫った複数の魔物は、その剣で、拳で、爪で、牙で、俺の命を刈り取ろうとしていた。
そんな時に、俺を助けてくれたのがこのベテラン兵士の部隊だ。
ベテラン兵士たちは、俺を助け出すと、陣形を固めながら撤退していく。
一応、俺も兵士の端くれだ。訓練くらいしているので、戦場に転がっている武器を拾って、不格好ながらも剣を振っていた。
誰かが傍にいるという安心感は、思ってもみない力を生んでいるようだった。
しかし、次から次に現れる魔物を捌ききれる訳がない。
張り詰めた緊張の糸は切れなくても、人間である以上、体力にも限界がある。
「ぐわぁ!」
一瞬の隙だった。
陣形の一角が疲れからか足を滑らせ、態勢を崩してしまった。
魔物はその隙を見逃さない。
ここぞとばかり、その一角に襲い掛かる。
まずは足。次に腹。そして腕に肩。最後に頭。
倒れた兵士たちは次から次に攻撃を受けていく。
「くっ……!聞こえる範囲に告ぐ!陣形を埋めながら撤退……ぐわぁ!」
空いた穴から、次々と魔物たちが流れ込んできて、ベテラン兵士にもその攻撃が届く。そして、それは同時に周りの兵士の死を意味していた。
ベテラン兵士の指示はこれほどなく的確だった。しかし、それは通常の戦闘でこそだろう。こと、現在の場面において、ベテラン兵士の指示はまったく意味をなさなかったのだ。
「か、数が違いすぎる……!」
足を食いちぎられ、剣を振るっていない腕を持って行かれても、ベテラン兵士は今も魔物に攻撃を加えていく。
しかし、それも長くは続かなかった。
「へっ……俺もここまでだな……。ちっ……それにしても、お前ら……何で泣いてやがんだよ……」
ベテラン兵士が最期に見た光景は、涙を流しながら自分に止めを刺そうとする魔物の姿だった。
「う…うわぁぁぁ!!」
俺は、目の前で蹂躙されていく命の恩人を救おうと必死だった。
陣形の一角に穴が開いた瞬間、他の兵士が、俺を陣形の外に突き飛ばしてくれたおかげで、今もなんとか生きていたのだ。
しかし、このまま逃げてしまっては、助けてくれた人たちを見捨てることになる。
この極限の状況でも、俺はそれを強く思った。そして、がむしゃらに剣を振り、次から次に魔物を屠っていった。
しかし、こうしている間にも、命の恩人の上に魔物が覆いかぶさっていく。
「離れろー!!」
奇跡的に命の恩人のもとに辿り着いた俺は、命の恩人であるベテラン兵士の変わり果てた姿を見て、絶望のあまりその場に崩れ落ちた。
「な、何なんだよ……。」
俺にはすでに、剣を振るだけの力も気力も残っていない。
腕の中にいるのは、見るも無残な姿へと変わり果てた恩人の躯だけ。
その姿を見てか知らないが、魔物たちはじりじりと包囲を狭めてくる。
俺は、そんな魔物たちの様子を、じっと見つめていた。
「何でお前ら……みんな泣いてんだよ……泣きたいのはこっちだっつーの!」
涙を流す魔物。
他者の命を次々に奪い、それを喜びとするのが魔物のはずだ。
しかし、目の前の魔物たちは泣いていた。まるで、この殺戮は望んでいないことなのだとでも言いたげに……。
そんな理解不能の恐怖と、目前に迫った死という絶望を振り払うかのような叫び声をあげ、俺は再び剣をとった。
「うらぁぁぁ!かかってきやがれー!」
膨大な数の魔物に包囲されながらも、生きるために剣を振るう。
それに対して、涙を流しながらただ「人間」を殲滅するためだけに生み出された魔物たち。
「ちきしょー!誰か何とかしてくれよー!」
俺の最期の言葉が、戦場に消えていった。




