第92話バティック・プロジェクトの最後のピース
これで必要な資材はすべて揃った。クィディッチの作業もほぼ終わろうとしているし、粘土職人のシャピルが作った七輪も、今は太陽の照りつける下で天日干しされている。
新しい主要道具の製作進捗は、ざっと見積もって五十八パーセントといったところだが、少なくとも俺の立てた計画は順調に進んでいると言っていいだろう。あとは、ベリンダとクライリー が率いる遠征組の帰還を待つだけだ。
手が空き、一息ついていると、背後からのんびりとした声で名前を呼ばれた。聞き間違えようのない、あの重みのある、年老いた声。まだ俺の意識が混濁していた頃、付きっ切りで看病してくれた恩人である男の姿があった。
俺のそばまでやって来ると、彼は持っていた麻袋から一つの布袋を下ろした。そして、その中から俺が待っていた『素材』を取り出して見せた。
「ほれ……持ってきたぞ」
彼が差し出したのは、たっぷりと蜜の詰まった蜂の巣だった。これでまた一つ、必要な素材が揃った。いよいよ生産プロセスへの移行だ!
「よし……。早速、次の作業に取り掛かろう!」
俺は村人たちの輪の中心に立ち、これ以上時間を無駄にしないよう、すぐさま次の工程の説明を始めた。
「まず最初にやるべきことだ。巣に入っているハチミツを、一滴残らず絞り出してくれ。それが終わったら、巣をぬるま湯で洗い流して、こびりついている蜜の残りを完全に落としてほしい」
ビーズワックス――いわゆる『蜜蝋』を作るために、俺が蜂の巣からハチミツを絞り出す手本を見せると、皆がその様子を食い入るように見つめていた。
第一段階の手順を見せ終え、次は巣をお湯で洗い流す作業を手伝ってくれる人間が必要だ。
誰かを指名しようとしたその時――俺が選ぶよりも早く、一人の村人が自ら名乗りを上げてくれた。俺は喜んで、彼にその洗い流しの作業を任せることにした。
「次の工程だ。蜜蝋の原料を煮詰める作業を手伝ってくれる奴はいるか? 誰かやってくれないか?」
すると、一人どころか、八人以上の村人たちがこの即席の厨房での作業にボランティアとして名乗りを上げた。
これ以上もたもたして混乱を招くより、誰に任せるかさっさと決めてしまった方がいい。
俺は群がる村人たちを一人ひとり見渡した。出来上がった蝋が焦げ付いたり、失敗したりしないよう、火や調理に慣れている熟練者を見つけ出したかったのだ。
「そこにいる、あんた」
見覚えのある顔立ちの女性を指差す。
「私、でしょうか?」
彼女は自分を指差し、俺に選ばれたことが嬉しいのか、ぱっと表情を明るくした。
「ああ、そうだ! ちょっと前へ出てきてくれ」
彼女の名前はキア。黒髪をポニーテールにまとめた女性だ。彼女が火の扱いや台所仕事に長けていることは知っている。
「あんたは『器用な手』を持ってるって噂で聞いたぞ」
「はい、その噂の通りでございます……! 料理や火の扱いにおいて、この腕に狂いはありません!
あなた様のお力になれること、大変光栄に存じます」
彼女の言葉遣いは、まるで王族の要人にでも接しているかのようだった。その声は酷く落ち着き払っていて、礼儀正しく、耳に心地よい。彼女は俺の前に進み出ると、恭しく一礼までしてみせた。そのあまりにも丁寧な態度に、俺は少し気圧されてしまった。
「……あ、ああ。じゃあ、この作業はあんたに任せる!」
「かしこまりました、タカヒロ様!」
(……様?)
まあいい。今はそんな細かいことを気にしている場合じゃない。大事なのは、俺が思い描いているこのプロジェクトの進捗が、すでに八十四パーセントにまで到達しているという事実だ。
こっちでの俺の役割はひとまず終わった。次は場所を移し、チャンティン、チャップ、小鍋、そして七輪の製作を任せている職人たちの進み具合を確認しに行こう。
村の中を歩きながら、ふと目に飛び込んできた光景に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなった。いつもは閑散としていて、どこか暗い空気が漂っていたこの村が、今はまるで別世界のように活気づいているのだ。
子供たちは刈り取りの終わった田んぼの真ん中で紙飛行機を飛ばして遊び、年寄りたちは家の縁側に座って穏やかな時間を過ごしている。そして何より、彼らはもう明日の食い扶持を心配する必要がないのだ。先週の収穫物の売上で、今後二ヶ月は十分に食いつないでいけるはずだ。
目的の作業場に到着すると、俺が仕事を任せていた職人たちは、すでに余裕の表情で作業を終わらせていた。俺の姿を見つけるなり、エフリ、ソーニャ、そしてクィディッチが、完成した道具を誇らしげに見せびらかしてきた。
「みんな、ご苦労だったな!」
俺の労いの言葉に、彼らは満足そうな笑みを浮かべた。
「他に何かやっておくことはあるか?」
ブリンが穏やかな声で尋ねながら、俺に歩み寄ってきた。
「実は……あともう一つだけ作ってほしい道具があるんだ。さっきは言うのを忘れてた」
「へえ。お前みたいな天才でも、ドジを踏むことがあるんだな?」
ブリンの後ろからついてきたクィディッチが、ニヤニヤと笑いながら茶化してきた。
いかにもなテンプレの嫌味だが、俺の耳にはありふれた響きにしか聞こえない。
「当然だろ。俺だってただの人間だ。お前らが想像してるほど完璧じゃない」
言い返す言葉がなかったのか、クィディッチは俺との口論を諦め、日が暮れる前に今日の作業を終わらせるべく、さっさと話題を本筋に戻した。
「で、今度は一体どんな道具が必要なんだ?」
「すげぇ単純な道具だ。お前らならもっと簡単に作れるはずだ」
「なんだよ? さっさと言え」
「ガワンガン(布掛け枠)だ」
俺が口にしたその名前に、案の定、彼らはポカンとした顔で互いを見合わせた。聞いたこともない単語だったのだろう。
「分からないなら、どんな形か描いて見せてやるよ」
俺は地面に絵を描けそうなものを探し、辺りを見回した。
ちょうどいいところに、チャップの製作で出たらしい竹の切れ端が落ちていた。これなら地面に線を引くのに十分だ。
俺は手早く竹の枝を動かした。まず、支柱となる丈夫な二本の縦線を引き、その上部を繋ぐように一本の横線を引く。木綿の布を掛けるために使われる、門のようなシルエットが完成した。
「それって……!?」
その図を見て最初に反応したのはエフリだった。どうやら彼には、その形に見覚えがあるらしい。
少し遅れて、クィディッチとブリンも、俺の求めている道具が、彼らの母親や妻たちが日常的に使っている『ある物』に酷似していることに気づいた。
「それ、ただの物干し竿じゃないのか?」
ブリンが怪訝そうな顔で尋ねる。
「違う、バカ! 形は物干し竿に似てるが、用途が全く違うんだよ」
「なんだよ、それなら最初から『物干し竿みたいな形だ』って言えばよかったじゃねぇか!」
道具の正体が分かり、クィディッチが少し嬉しそうに文句を言ってきた。
「言葉で説明したところで、お前らの頭じゃ正確な形をイメージできないだろ。だから直接描いてやった方が早いと思ったんだよ」
「タカヒロの言う通りだね」
クィディッチの背後から、ソーニャがすかさず加勢してきた。
「あんたたちのそのアリんこみたいにちっぽけな脳ミソじゃ、タカヒロの難しい説明なんて理解できるわけないでしょ」
ソーニャの言葉に俺は思わず吹き出しそうになったが、クィディッチとブリンの機嫌を損ねないよう、慌てて咳払いをして誤魔化した。
「必要な道具は、これで最後なんだろ?」とソーニャが続ける。
「ああ、その通りだ! これさえ完成すれば、すぐにでも本番の製作に取り掛かれる」
「よし、分かった! みんな……今すぐこの仕事を片付けちまおうぜ!」
クィディッチが力強く叫び、他の皆の士気を鼓舞した。
「「「おうっ!!」」」




