第89話女たらしの汚名と、令嬢の正体
星のように目を丸くして輝かせながら、プリリーは目の前で繰り広げられた即席のショーにすっかり魅了されていた。自然の法則というものを微塵も知らないこの貴族の令嬢は、今の化学反応を、生まれて初めて目にする純粋な『魔法』だと信じて疑っていないらしい。
「うわぁぁっ……すごーい!!」
だが、科学の知識が少しでもあれば分かることだ。サンドラが使った材料は、ただのバタフライピーを煮出した液体にすぎない。中性である青い抽出液にライムの酸を垂らせば、pH値が一気に下がる。ただそれだけの現象だ。
「あの……どうか私に、その魔法の使い方を教えてください!」
サンドラは無言のまま、ゆっくりとした動作で小瓶を棚に戻した。俺の立っている位置から、彼女の目に計算高い光が走るのが見えた。あの目つきはよく知っている。この女は間違いなく、頭の中で俺に対するろくでもない妄想を膨らませている。この純真な少女を自分が守らなければ、俺の毒牙にかかる犠牲者になる――そんな風に考えているに違いない。
彼女がそのくだらない考えを口にする前に、俺は先制攻撃を仕掛けた。
「おい、サンドラ! まさかとは思うが、俺がこの女に何か悪さでもするとか考えてねえだろうな?」
図星を突かれたのか、サンドラは少しだけ肩をビクッとさせた。だが、すぐにいつもの尊大な仮面を被り直し、ひどくムカつく薄笑いを浮かべて言い返してきた。
「何言ってるのよ? 誰がそんなこと考えるっていうの!? 自意識過剰もいいところね!」
俺は小さく舌打ちした。直感は彼女が嘘をついていると告げているが、それを問い詰める確たる証拠もない。これ以上事態を悪化させる前に、口を閉ざしておくのが賢明だろう。
「それにしても……随分と綺麗で上品な服を着たお嬢さん。名前はプリリーって言ったわね? どうして、こんな『ろくでなしの男』についてきちゃったのかしら?」
「ろくでなしの男……?」
プリリーは困惑したようにサンドラの言葉を反芻し、パチパチと瞬きをした。
「そうよ。知っておいた方がいいわ。タカヒロは魔法を操るのが上手いだけじゃないの」
「おい、クソアマ! でたらめをでっち上げるのはやめろ!」
俺は彼女の戯言を遮ろうとしたが、残念ながらサンドラは俺の存在など完全に無視していた。彼女はプリリーを真っ直ぐに見据え、毒を吐き続ける。
「女の心を弄ぶのが大好きなことでも有名なんだから。要するに……こいつは『女たらし』なのよ!!」
「プリリー、このクソババアの言うことなんか絶対に信じるなよ!」
俺は残された自尊心を必死に守るため、即座に言葉を挟んだ。だが不運なことに、隣にいる貴族の令嬢は俺の味方をするどころか、疑り深い目を俺に向けてきた。
「おばあさんの言ってること、本当なの、アキラちゃん?」
「本当なわけあるか、馬鹿! そいつのただの妄想――」
「まだ私の言葉が信じられない? タカヒロが、女を食い物にする危険な捕食者だってことが」
サンドラは容赦なく言葉を叩きつけ、俺の反論を断ち切った。
「ええっと〜どうなんでしょう!? 私にもよく分からなくて……どっちを信じたらいいんですか?」
(こめかみの血管がブチ切れそうだ……!)
俺の忍耐は完全に限界を超えた。元の世界では、何の取り柄もないただの平凡な男だった俺にとって、たった一人の女性に近づくことすら死ぬほど難しかったんだぞ。それが今じゃどうだ? この世界では、危険な女たらし(プレデター)扱いだと!? ふざけるな!
「貴様、俺の名前を侮辱するな!」
まるで駄々をこねる子供のように、俺はサンドラの背中にビシッと指を突きつけて荒々しく吠えた。だが彼女はわざとらしく顔を背け、俺と目を合わせないように、棚にある観葉植物の鉢をくるくると回す作業に没頭し始めた。
「ほら見ろ! あのクソババア、目を逸らしやがったぞ!」
その時、俺の背後から呆れ果てたようなため息が聞こえた。さっきから黙って様子を見ていたクトリが、夫のあまりにも幼稚な口論についに堪忍袋の緒が切れたらしい。
「二人とも……子供みたいな口喧嘩はやめて! ここには具合の悪いシャングリーさんがいるのよ、少しは配慮してちょうだい」
その的確な指摘に、俺はハッと我に返った。そうだ。この部屋の真ん中には、俺の失態のせいで苦しみに耐えているシャングリーが横たわっているのだ。
しかし、プリリーの好奇心は彼女の思いやりを優に上回っていたらしい。せっかく場が冷えようとしていたというのに、彼女は再び火種を投下した。
「ねえ……それで、結局のところ――」
幸運なことに、外から聞こえてきた複数の足音が、プリリーの言葉の続きを遮ってくれた。敏感になっていた俺の聴覚は、すぐにその足音の主たちを捉えた。
ウェインの一行がようやく戻ってきたのだ。威厳のあるその男は、手に白い布で包まれた何かを持ちながら、小屋の中へと足を踏み入れた。
「頼まれていた物を持ってきたよ、タカヒロくん」
ウェインは机の上でその包みを開いた。俺は少し目を見張った。そこには一本ではなく、搾りたてのヤギの乳が入った瓶が三本、綺麗に並べられていた。
「随分と多いな! 俺が頼んだのは一本だけなのに、どうしてこんなに持ってきてくれたんだ?」
「いいんだ、念のためだよ……後でもっと必要になるかもしれないからね」
ウェインの考えにも一理ある。いざという時に足りなくなれば、事態はさらに悪化する。もし余ったとしても、別に損をするわけじゃない。
「シャングリーの様子はどうだい? 何か進展はあったか?」
ウェインはサンドラへと視線を向けた。
「まだ何とも言えないわ。さっきは外傷の手当てをしただけだから」
「どうやら、シャングリーさんの深刻なダメージは体内から来ているようだな。俺の見たところ、あの打撲傷からは、彼をここまで苦しめているような症状の兆候は全く見られない。
結論から言うと、『シャングリーさんはナイバホでボコボコに殴られた際、無抵抗のまま殴られ続けていた』ってことだ」
俺は言葉を失った。サンデーの分析はあまりにも鋭い。これはまるでギャンブルのようなものだ。推論が外れれば彼はただの滑稽な男に見えるが、もし正しければ……彼の完全な勝利だ。度肝を抜かれたのは俺だけではなかった。ウェインもサンドラも、サンデーの論理的な思考を処理しようと、その場に釘付けになっていた。
「なんだ? 俺、何か変なこと言ったか?」
彼は俺たち一人一人の視線を振り返りながら、きょとんとした顔で尋ねた。
「この村で、お前みたいに論理立てて推理できる奴を見るのは初めてだぜ、サンデー」
「どういう意味だ?」
「はっきり言おう……」
言葉を濁しながら、俺はシャキールに手振りで合図を送り、兄の体を半ば起き上がらせるのを手伝わせた。後でこの乳を飲ませやすくするためだ。
「俺が駆けつける前から、シャングリーさんはすでにこんな状態だった。今回の騒動の元凶であるヴィンというクソ野郎の言葉を借りれば、奴はシャングリーさんを『素手で殴った』だけなんだ」
ヴィンの名前を出したのは致命的な引き金だった。目の前で、シャキールの指が硬く握り締められ、拳を作った。その顔には怒りの炎が燃え盛っている。ヴィンのグループに無謀な戦いを挑めばどんなリスクが伴うか頭では分かっていても、無力な兄の姿を前にして膨れ上がった復讐心が、彼の理性を呑み込もうとしていた。
「なぁ、タカヒロ……暴力を使わずに、奴らに復讐する何かいいアイデアはないか?」
その唐突な問いに、俺は思わず息を呑み、言葉の意味を咀嚼してからようやく返答した。
「今のところ、全く思いつかない。俺自身もまだこの一件で気が立っていて、少し一人になって頭を冷やす時間が必要なんだ」
自分の声が、まるで内なる呻きのように聞こえた。息つく暇もなく次から次へと問題に直面し続けている俺にとって、今回の出来事はトラウマになるには十分すぎるものだった。
「あぁ……そうか」
シャキールの肩がガクリと落ち、その声色には明らかな絶望が滲んでいた。
「仮に俺が何か策を持っていたとして、お前はどうするつもりだ?」
俺はあえて鎌をかけた。
シャキールは微塵の躊躇もなく、鋭い目を向けた。
「決まってんだろ! 兄貴をこんな目に遭わせたヴィンの野郎に、きっちり報いを受けさせてやりたいんだよ!」
ウェインは机のそばでただ黙り込み、暗い怒りに支配された自分の村人を案じるように見つめていた。
「君がこんな風になるなんて、珍しいことだな、シャキール」
シャキールが口を開いて言い返そうとしたその瞬間、サンドラが再び会話の主導権を奪い取った。
「実を言うとね……あんたたちの問題に首を突っ込むつもりはないんだけど。でも、私だって血の通った人間だし、思うところはあるのよ。一つ、提案させてもらってもいいかしら?」
俺は眉をひそめた。俺自身の思考が完全に詰まっているこの状況で、この女がシャキールの復讐心を叶えるための解決策を提示しようというのか?
「構わないよ! 聞かせてくれ」と、ウェインが穏やかに応じる。
「友達から聞いた話なんだけど。ナイバホの貴族の令嬢は、とても親しみやすくて心優しくて、よく領民を助けているらしいわ。
――だから、彼女に助けを求めてみたらどうかしら? もしかしたら、力を貸してくれるかもしれないわよ?」
俺は絶句した。確かにそのアイデアは素晴らしいし、極めて理にかなっている。ただ一つ、サンドラは最も決定的な事実を見落としていた。彼女が今まさに話題にし、助けを期待しているその『貴族の令嬢』本人が……今の彼女のすぐ後ろに立っているということを。
「あのぅ……何か、私のお手伝いが必要ですか?」
控えめな咳払いとともに、誇らしげなプリリーの声が部屋の空気を一瞬で打ち砕いた。
サンドラはゆっくりと振り返り、困惑したように眉をひそめた。
「どういう意味?」
その光景を見て、俺は力一杯自分の額を叩くしかなかった。顔を背け、シャングリーが寝かされている竹椅子の下をただ無力に見つめながら、これから起きるであろう阿呆らしい展開を受け入れる覚悟を決めた。
「あなたが言っている『ナイバホの貴族の令嬢』というのは、この私のことですよ!」




