第84話ならず者の巣窟でのメタン爆発
黄色い煙の立ち込める中、降り注ぐ生ゴミの雨と強烈な腐臭が、俺の即席の復讐計画がいかに大成功を収めたかを無言で物語っていた。
ヴィンとその部下たちは完全にパニックに陥っていた。空気を突き刺すような異常に濃い悪臭に、奴らは次々とその場にうずくまる。有機廃液を頭から浴びたことで、胃袋を雑巾のように絞り上げられるような吐き気を催しているのだ。
もちろん、騒動の元凶である俺自身も、自分の起こした爆発の被害から免れることはできなかった。クトリが苦労して編んでくれたお気に入りのシャツは、今や見るも無惨にずぶ濡れだ。汚物まみれの布地が肌にベッタリと張り付き、鼻をつく悪臭が俺自身の胃袋をも激しくかき乱してくる。
(だが今は、吐き気なんか気にしてる場合じゃない……!)
計画を中途半端で終わらせるわけにはいかないのだ。這ってでもシャングリーをここから連れ出さなければ。
その時、数メートル離れた木箱の山から、一人の人影が飛び出してきた。さっきまで隠れているように指示しておいたプリリーだ。彼女は、このおぞましいゴミの雨から逃げるどころか、目の前の惨状を前にして彫像のように呆然と立ち尽くしていた。
魔法の知識がない彼女からすれば、先ほどのメタンガス爆発は、高度な魔法の異常現象のように見えたのかもしれない。彼女は信じられないものを見るように、目を丸くしていた。
俺はプリリーの驚愕をひとまず放置し、シャングリーの元へと駆け寄った。一秒も無駄にはできない。彼をきつく縛り上げている太い麻縄を解こうと、必死で指を動かす。最初はガチガチに結ばれていてビクともしなかったが、彼のすぐそばに手頃な鈍器が転がっているのが目に入った。
その鈍器を使って強引に結び目をこじ開けると、ようやくロープが緩んだ。俺は素早く彼の片腕を自分の肩に回し、力一杯引きずり起こした。
「プリリー! 何やってんだ!? 早くここから逃げるぞ!」
俺の怒声に、プリリーはビクッと肩を震わせた。彼女は慌てて、シャングリーを支える俺の方へと振り返る。
だが、俺たちが完全にその場から離脱するよりも早く、ヴィンが真っ先に意識を取り戻しやがった。汚水が入ってしみる目を乱暴に擦りながら、その鋭い眼光で真っ直ぐに俺の動きをロックオンする。
「てめぇら……! あのクソガキを追え! 絶対に逃がすんじゃねぇ!」
——しかし、静寂だけが返ってきた。
部下たちからの応じ声はない。奴らは、空から落ちてきた巨大な岩石にでもなったかのように、その場で硬直していたのだ。
顎の筋肉を怒りで引き攣らせながら振り返ったヴィンは、そこではじめて異変に気がついた。
部下たちの様子が、次々と狂い始めていた。硫黄の粉末が混ざった湿った生ゴミの雨——その胞子効果が、疥癬持ちでただでさえボロボロだった奴らの皮膚に、即効性の化学反応を引き起こしていたのだ。
「あ、ぎぃぃぃぃっ!」
奴らは狂ったように悲鳴を上げ、自分の皮膚を爪で猛烈に掻き毟り始めた。その凄惨な光景は、もはや地獄の拷問絵図そのものだ。
地獄の痒みに耐えかねて次々と倒れ伏していく手下たちを見て、ヴィンはギリッと歯を食いしばる。そして、路地の暗がりへとゆっくり遠ざかっていく俺たちの背中を、ただ黙って見送るしかなかった。
単身で俺を追撃するだけの度胸は、奴にはなかったのだろう。何しろ、奴の目から見た俺は『イカれた魔法使い』だ。おまけに、俺の隣にはナイバホの令嬢であるプリリーがいる。彼女の存在が、ヴィンにとって完璧な政治的ストッパーとなったのだ。
かくして、ならず者の巣窟からシャングリーを救い出すという俺のクレイジーな作戦は、見事に成功を収めたのだった。
◇◇◇
俺たちは重い足を引きずりながらかなりの距離を歩き、ついにあの息の詰まるようなナイバホ村の第三セクターを抜け出した。この辺りの地理に明るいプリリーの先導で、俺たちは人通りの少ない閑散としたエリアへと辿り着いた。
息が荒く乱れる。脚の筋肉が千切れそうなほど限界に達していたため、俺たちはかつて警備所だったという古い廃屋に身を隠すことにした。
「タ、タカヒロ……!」
俺がシャングリーの体を古い木製の椅子にゆっくりと横たえた瞬間、彼がふいに声を絞り出した。その呼吸はひどく掠れ、途切れ途切れだった。
「お前は……早く、ここから逃げろ……。俺は、置いていけ……」
俺は小さく鼻を鳴らした。
(出たよ……)
絶望に呑まれた人間が必ず口にする、テンプレのようなセリフだ。人は正気を失うほどの絶望に直面すると、決まって自分の寿命が残り数秒しかないと思い込んでしまうらしい。もう聞き飽きた。
「あんたを一人で置いていくわけないだろ。一緒に来たんだ、帰る時も一緒だ! だから、自分が足手まといだなんて思わなくていい」
俺の頑固な返答を聞いて、シャングリーは痣だらけの顔に無理やり薄い笑みを浮かべた。
「お前は……俺の、娘にそっくりだな」
(……娘さん?)
胸の奥がチクリと痛んだ。
ああ……そういえば、すっかり忘れていた。この世界での俺は、もうただ部屋に引きこもっているだけの役立たずな独身男じゃないんだ。家に帰れば、俺の帰りを健気に待ってくれている家族がいる。
「もし、あの子が生きていたら……。俺がこんな風に弱音を吐いたら、きっと……お前みたいにずっと説教されてただろうな」
唾を飲み込み、俺は一つの苦い事実を噛み締めた。
親になることの重圧は、俺が想像していたほど単純なものじゃない。クトリのあの厳しさにそっくりなうちの子の性格を思い出すと、もし俺がへまをして家に帰れなかったら、命の保証はないかもしれない。
「もし聞いてよかったら……娘さんは、どうして亡くなったんだ?」
その質問は、ポロリと口をついて出てしまった。瞬間、シャングリーの顔から苦笑いが消え、深い悲しみを湛えた暗い瞳へと変わる。
「ごめん、そんなつもりじゃ——」
「い、いや……気にしてないさ。聞かれても、構わない」
彼の声は微かに震えていた。俺の罪悪感を払拭しようとしてくれているが、その老いた顔に刻まれた喪失感は隠しきれていない。
「八年前……娘は、ひどい呼吸困難に陥ってな。……それだけじゃない。喉の奥にしこりができていて、食べ物を飲み込むことすら困難になっていたんだ。
腕のいい医者を呼んで……どうにか治してもらおうとしたが、結果は同じだった。……それどころか、数日後にはさらに悪化してしまってな……」
俺の体は凍りついた。
医療設備が遅れているこの世界において、その症状はゆっくりと迫り来る死刑宣告に等しい。気道と消化管を塞ぐ喉のしこり……。現代の医療技術でさえ、発見が遅れれば奇跡を祈るしかない病だ。ましてやこの世界では。
それはどう考えても、悪性腫瘍——ガンの特徴だった。
「……娘さんのこと、お悔やみ申し上げるよ。シャングリーさん」
「……ありがとう」
「二人でお話中のところ、邪魔してごめんなさい。でも、伝えなきゃいけないことがあるの」
俺たちがその悲痛な過去に静かに想いを馳せる暇もなく、緊迫した声が沈黙を破った。窓の隙間から外を見張っていたプリリーが、真っ青な顔で振り返り、足早にこちらへ駆け寄ってくる。
「どうした、プリリー?」
「あいつ……私たちの居場所を嗅ぎつけたみたい!」
(あいつだと!?)
全身の産毛が逆立った。クソッ、あのヴィンの野郎か!
「何人連れてる!?」
「一人だけよ。でも、ものすごく恐ろしい顔をしてて……これじゃ、もうどこにも逃げられないわ」
心臓が狂ったように早鐘を打つ。一人で追ってきたのは、機動力を優先してのことだろう。アジトと部下をあんな目に遭わされたのだから、怒り狂って俺の首を狙いに来るのも当然だ。
プランBはすでに使い果たした。どうする? さっきと同じ安っぽい手品を使うか? いや、ダメだ! それは愚作すぎる。奴はもう俺の手口を見破っているはずだ。
俺の顔に明らかな焦りが浮かんでいたのだろう。顔色を察したプリリーが、スッと一歩前に出て俺の不安を断ち切った。
「アキラちゃんはここで待ってて。私があいつをなんとかするから」
「えっ!? 本気か!?」
彼女の突然の提案に、俺は思わず顎を落とした。
「ええ、少しでも時間を稼ぐわ。その間に、何か策を練って!」
俺の返事を待つこともなく、プリリーはくるりと背を向け、足早に外へと飛び出していった。再び、俺とシャングリーだけがこの息苦しい空間に残される。
正直、彼女の勇気には心の底から感謝している。だが最大の問題は、俺の脳ミソが未だに解決策を弾き出せていないことだ!
パニックになりながら、部屋中を血眼で探し回る。使えそうなものは何一つない。もしここに刃物か、毒か、武器になりそうなものが何か一つでもあれば……。
(……待てよ。役に立つもの?)
なぜかふと、ヴィオラの家で見かけたある『特定の物』の記憶がフラッシュバックした。だが、一体何だっけ!?
(クソッ!)
こんな極限のプレッシャーの中、無理やり思考を引っ張り出そうとして、頭が割れそうだった。
俺が自分の髪をかきむしりそうになっていたその時——壁に弱々しく寄りかかっていたシャングリーが、突然痛む筋肉に鞭打って上体を起こした。
「タ、タカヒロ……」
「シャングリーさん、無理しちゃダメだ……!」
「さっきから、俺は……お前の足手まといになってばかりだ。……今回くらいは、俺に協力させてくれ……!」
彼の目はもう濁っていなかった。そこには燃え上がるような執念が宿っていた。亡き娘の記憶が、彼の血管にアドレナリンを注入したかのように。震える手が、ズボンのポケットをまさぐる。
「俺が持っているのは、これだけだ……。お前の役に立つか、どうかは分からないが……」
彼が差し出してきたのは、小さな黒いビニール袋だった。とても軽いのに、外側からでもゴツゴツとした粗い感触が伝わってくる。そっと袋に触れてみると、中には表面がザラザラした葉っぱが数枚ほど入っているようだった。
「シャングリーさん、これは……?」
「妻が……食紅を作るのによく使っている、葉っぱだ……」
『食紅』という言葉を聞いた瞬間、俺のパニックはピタリと止んだ。現代人の知識が詰まった俺の脳が、猛烈な勢いで好奇のざわめきを上げる。
「開けてもいいか?」
シャングリーは小さく頷いた。俺の指先が電光石火の速さでビニールの結び目を解く。屋根の隙間から差し込む薄暗い光にその中身が晒された瞬間——俺はカッと目を見開いた。
この物体が持つ『致命的なポテンシャル』に気づき、まるで電流が神経の末端まで走り抜けたかのような衝撃を覚えた。
「これは……ソレルの葉に、赤紫蘇!?」
俺の唇の端がゆっくりと吊り上がり、どうしても抑えきれない歪な笑みが浮かんだ。俺の表情の劇的な変化を見て、シャングリーもまた安堵の笑みを漏らす。
「どうやら……お前も、その葉の名前を……知っているみたいだな」
「当然だ! このハーブの一つは俺の故郷の植物でな。よく料理の付け合わせに使われるんだ」
一瞬、地球の固有種であるはずの植物がなぜ異世界で自生しているのかと、世界観の矛盾に頭がバグりかけた。以前、義母のクライリーにこの植物の特徴を説明したことがあったが、彼女は全く心当たりがないと言っていたのに。だが、そんな細かい考察は今はどうでもいい!
「心から感謝するよ、シャングリーさん!」
俺はその葉を強く握りしめ、目をギラリと危険な光に染めた。
「この二つがあれば、あのクソ野郎を出し抜いて、この腐った地獄から脱出できる!」




