第80章:終わらないリスタート
「おい! そのガキが言ってること、マジなのかよ!?」
肌にまだ症状が出ていない別の部下が、ネイビー髪の男が呪いにでもかかったかのように慌てて後ずさりし、距離を取った。その顔には、明らかなパニックと恐怖が張り付いていた。
「近寄んな! その汚え手で俺に触るな!」
「なんだよ、お前……?」
「お、俺はお前の病気をうつされたくねぇんだよ! だ、だから……こっち来るな!」
(いいぞ! その調子でもっとパニックになれ! そしてしっかり距離を取っておくんだな。そのおぞましい病気をうつされないようにな!)
ヴィンの首筋に青筋が浮かぶ。この大柄な男は、自らの権威が部下たちのパニックによって踏みにじられていることに気づき、このまま放っておけば収集がつかなくなると悟ったらしい。
「てめぇ……よくもデタラメを吹き込んで、俺の部下たちを脅してくれたな! ちょっと痒がってるだけで、感染病だなんてほざきやがって」
やっぱりな。こいつらみたいな素人は、この病気をただのありふれた皮膚炎だと軽く見ている。確かに初期症状は、ごく普通の痒みにすぎず、取るに足らないものに見えるだろう。だが、そのまま放置すれば、皮膚の下に巣食うダニや細菌がますます凶暴化し、ゆっくりと致命的な種を撒き散らしていくのだ。
「俺の言ってることが、ただのデタラメだって?」
「ああ! 俺はこいつらと昔からの付き合いだ。ガキの頃からずっとそういう体質だったんだよ。そんな簡単にうつる病気なわけがねぇ。そいつらの血筋に伝わる、ただの気色悪い皮膚病にすぎねぇんだよ。だから、適当な作り話をするんじゃねぇ!」
ガキの頃から? ということは……この疥癬の流行は、奴らの先祖から代々根付いているものだとすら勘違いされているわけか。
「作り話なんかじゃない。俺の言っていることは、きちんと学んだ医学の知識に基づいているんだ! 信じられないなら、そこの部下の一人に直接触ってみなよ」
ヴィンの喉仏が大きく上下し、必死に唾を飲み込むのが見えた。俺の立っている場所からでも、彼の瞳が揺れ動いているのが分かる。俺の言葉は確実に見事な疑心暗鬼を植え付けたらしい。たかが手を伸ばして触れるだけのことに、彼は躊躇していた。
「どうした? 触る勇気もないのか?」
ヴィンの眼を真っ向から見据え、俺はわざと薄く鼻で笑ってみせた。彼の中に残るちっぽけなプライドを煽り立て、追い詰めるために。
数秒の間、ためらいと沈黙が場を支配した。だが最終的に、男は俺が少し驚くような行動に出た。
引き下がるどころか、ヴィンはこわばった足取りでネイビー髪の男へと歩み寄ったのだ。部下の目の前に立つと、俺の言葉を否定して見せるために、その発疹だらけの皮膚に直接触れようと右手を伸ばした。
だが、指先が触れる直前で、マリが慌ててその手を払いのけ、ボスの行動を制止した。
「ヴィン様! 何やってんですか! どうしてこんな青二才の言うことに乗せられてるんです!」
ヴィンは荒々しく手を引っ込め、奥歯を噛み締めながら冷ややかな声で返した。
「ただの好奇心だ。もし、こいつの言うことが本当だとしたら、俺は――」
「やめてくだせぇ、ヴィン様! 俺は反対ですぜ」
「心配しなくていい! たとえ彼が感染したとしても、それを治すための特効薬を俺は持ってるからな」俺はたまらず口を挟んだ。
(助かった……)
小麦畑で菌の胞子を中和するために使った硫黄の残りが、まだ手元に残っていたのだ。まさか、あの時の準備がここでこんな決定的な結果を生むとは思ってもみなかった。残りの硫黄を調合して軟膏を作れば、奴らの疥癬を治すことは決して不可能ではない。
「特効薬だと? どういう意味だ!?」
「まさかお前、魔法使いなのか!?」
(魔法使い? 俺がいつ魔法なんて使えるようになったんだよ?)
思わずツッコミが口をついて出そうになった。だが、奴らの無知で単純な思考回路を見た瞬間、とんでもなく素晴らしいアイデアが閃いた。もしこいつらが科学の知識を魔法だと思い込むのなら、俺は喜んで魔法使いになってやろうじゃないか。
「ああ、その通り! 俺は魔法使いだ! まあ、よく見てな」
目にも止まらぬ速さで右手をポケットに突っ込み、あらかじめ用意してあった『ある物』を握りしめる。それは、砕いたヤギの獣脂に硫黄の粉末を混ぜ合わせたものだ。こんなちゃちな代物が、今の俺の最強の武器になる。もっとも、硫黄の濃度が高すぎるのか低すぎるのかは、俺自身にもよく分かっていなかったが。
「ジャジャーーン!」
強烈な臭いを放つ軟膏を、手のひらに擦り込んで均等に広げる。ねっとりとした黄色っぽいクリームを見た瞬間、目の前のバカ共の目が驚きでこれ以上ないほど見開かれた。
「これはただの魔法じゃない。俺はこの魔法に『イエローファット・マジック(黄色い脂の魔法)』と名付けた!
病に侵されている者がこの魔法の力に触れれば、どんな病だろうとたちどころに治癒する!」
背後で、シャングリーが彫像のように固まっているのが視界の端に映った。張り詰めた糸のような一触即発の空気を、一瞬にしてチープな大道芸の舞台へと変えてしまった俺の迫真の三文芝居に、彼は信じられないという顔で絶句していた。
「さあ、誰か試してみたい奴はいるか?」
その瞬間、ヴィンの背後からざわめきが起こった。チンピラ共は互いに肘で小突き合い、俺の提供するインチキ魔法の実験台をなすりつけ合っている。
モルモットになるのを嫌がる激しい押し問答が数秒間続いた。ついに、腰抜けな部下たちの騒ぎにうんざりしたヴィンが鋭く声を張り上げ、そのうちの一人を真っ直ぐに指差した。
「リンガ。お前が、その魔法が本物かどうか試す実験台になれ」
突然指名された赤茶色の髪の男はビクッと肩を震わせ、嫌そうな反応を示した。だが、ヴィンの人を殺すような眼差しと強圧的な態度を前に、リンガの肝はすっかり縮み上がり、逆らうことはできなかった。
「おっと! ちょっと待ってくれ! 大事なことを言い忘れてた」
「なんだよ、今度は?」
俺のコロコロ変わる態度に苛立ったのか、ヴィンが凶悪な顔に皺を寄せて唸った。
「対象の身体が汚れたままだと、この魔法は効果を発揮しないんだ。だから今すぐやらなきゃいけないのは……」
俺はわざと一秒間だけ言葉を濁し、人差し指をピンと立てた。そして、晴れて俺の患者第一号となったターゲットを真っ直ぐに指差した。
「まずはお湯を浴びて、全身を石鹸で洗うことだ!」
「セッケン……?」
「セッケンってなんだ!?」
「……はあ!?」
俺は反射的に口をぽかんと開け、あまりにも極端なその無知っぷりを理解しようと首を左に傾けた。こいつら、マジで石鹸って言葉を知らないのか?
だが、彼らの的外れな困惑をよそに、俺の両手のひらを奇妙な感覚が這い上がり始めていた。最初は微かな痒みだった。だが数秒のうちに熱を帯び始め、その痒みは骨を刺すようなヒリヒリとした痛みに変わっていった。まるで、手の皮膚が熾火の上でじわじわと焼かれているかのようだ。
(クソッ、硫黄の濃度が高すぎたか!)
冷や汗がポタポタと落ちる。悲鳴を上げそうになるほどの痛みを誤魔化すため、俺はやむを得ずプランBを発動した。つまり――魔法の『魔力』の反動に耐えきれずに倒れるフリをすることだ。
「ま、まずい! もう……じ、時間が……っ! 俺の魔法が……限界だ!」
「タカヒロ――!!」
パニックに陥ったような叫び声で、シャングリーが割って入った。彼はすぐさま前に飛び出し、ふらつくフリをした俺の身体をガッチリと支えた。俺から合図など出さなくても、シャングリーの鋭い直感は、俺の第二の芝居の意図を正確に読み取っていた。
「ヴィン様、私の連れの魔法の力が尽きる前に、急いでリンガさんを連れて行ったほうがいいです!」
(ああ……マジでありがとう、シャングリーさん!)
彼の自然な、そして完璧すぎるアシストのおかげで、俺は十億パーセント確信した。この申し出をヴィンが断る隙など、どこにもないはずだと。
だが、ヴィンの反応は予想外だった。
彼は固まっていた。その鋭い眼光は、苦痛に歪む俺の顔をじっとスキャンするかのように舐め回し、俺の嘘の隅々までを解剖しようとしているかのようだった。
息の詰まるような緊張感が空気を支配する。まるまる一分間、時間が止まったかのような静寂が続いた後、ついに男の野太い声がその沈黙を破った。
「……わかった。そこまで言うなら、お前の提案に乗ってやろう」
俺は顔を伏せて表情を隠した。痛みをこらえ、限界まで疲労困憊したドラマチックな演技を続けながらも――口の端に浮かび上がる、会心の笑みを隠しきることはできなかった。
(俺の撒いた餌に、見事に大物が食いついたぜ!)




