第73章:希望が再び芽吹く日
「ただいま」
無数の視線が遠慮なく突き刺さる中、二つのシルエットは周囲の目などお構いなしに抱き合っていた。ヨウトにとって、目の前で繰り広げられるこの奇妙な光景は、ただただ眉間を寄せるしかない代物だった。彼は昨夜の騒動について全く蚊帳の外だったのだ。幸いにも気の利くヴィオラが、タカヒロの姉に対する秘めたる想いをこっそりと耳打ちしてくれたおかげで、ヨウトの頭の中の空白はようやく埋められた。
「なるほど……そういうことか」
ヨウトはヴィオラの説明を聞き終え、小さく呟いた。
その甘い空気を、近づいてくる足音が切り裂いた。タカヒロの背後から探索チームが姿を現し、距離を詰めてくる。まさにその時、クトリの視線の端が、列の最後尾にいる見慣れない人影……迷彩服に身を包んだ女の姿……を偶然にも捉えた。
反射的に、少年の首に回されていた腕が解かれる。クトリは一歩距離を置き、警戒と疑念の震えを隠しながら問い詰めた。
「その人、誰?」
タカヒロは声帯を震わせるよりも早く、サンドラの方へ短く視線を流した。
「ああ、こいつは……ライオンに襲われた時に助けてくれたんだ」
「ライオン?」
クトリの驚きが頂点に達する前に、タカヒロは容赦なく話題を切り捨てた。
「ああ。それより、第一班はちゃんとリンゴ酢を手に入れたか?」
列の向こう側からウェインが張りのある声で応じ、彼女の混乱を遮った。
「おう、ゲビスたちが無事に言われたものを持ってきたぞ」
「上出来だ! それじゃあ、さっそく調合を始めよう!」
その掛け声が見えない号令となった。硫黄を限界まで詰め込んだカゴを背負うイーターが、ウェインの後に続いて村の開けた場所へと足を踏み出す。最適な立ち位置につくや否や、タカヒロは完全な指揮権を握った。
「採ってきた硫黄石を全部出せ!」タカヒロが力強く命じる。「イーター、それか力のある奴は誰でもいい。この黄色い石を細かい粉末状になるまで砕いてくれ!」
「おう、任せとけ!」
獰猛な笑みを浮かべたイーターの鼻から、荒々しい息が漏れる。大男は巨大な体を屈ませた。
片手で地質調査用ハンマーを力強く握りしめ、目の前の黄色い岩の塊に向かって一切の容赦なく鉄を振り下ろす。刺激臭を放つ細かい破片が、勢いよく宙に弾け飛んだ。
イーターの周囲を舞う硫黄の粉塵など気にも留めず、タカヒロはゲビスのチームが調達してきた素焼きの壺の列へと歩み寄った。ずっと彼の後ろを追っていたクトリが、すかさず距離を詰める。
「タカヒロくん、一体どんな液体を作っているの?」
「鉱石が作っているのは、殺菌剤と有機溶媒だよ。この硫黄の粉末が、リンゴ酢の酸性と反応するんだ」
「ええっと……よく分からないわ」
「要するに、この溶液をかければ、あの結晶の外殻が破壊されて、胞子が根元から死滅するってことさ」
「あー……なるほど、そういうことね?」
クトリは引きつった笑みを浮かべた。
(……全然分かってないな)
そのぎこちない笑顔を見て、タカヒロの目尻がピクリと引きつる。彼の口から諦めの深いため息が漏れた。理詰めの理論を並べ立てられた時のこの少女の頭の中など、彼はすでに手に取るように把握している。
「とにかく、君はそこで科学が問題を解決するのを黙って見ていればいい」
タカヒロはそう言ってクトリの髪をポンポンと軽く撫でた。その瞬間、彼女の頬はカッと熱を帯びて赤く染まった。
背後で鳴り響いていた、金属が石を砕くけたたましい音が鳴り止んだ。イーターが立ち上がり、額に滲んだ汗を手の甲で乱暴に拭い去る。
「おい、タカヒロ! 黄色い石は全部粉々にしたぞ。次はどうする?」
満足げな仕事ぶりを誇示しながら、巨漢の男が声を張り上げた。
「よくやった!」タカヒロは素焼きの壺の方へと向き直り、恐怖で顔をこわばらせている村人たちを見回した。「今度はその硫黄の粉末を、リンゴ酢の入った壺にゆっくりと入れるんだ。風で飛ばされて目に入らないように気をつけろよ!」
村人たちはぎこちなく動き始めた。ライオンの事件以来、いまだに死人のように顔面を蒼白にしているレオも、どうにか力を振り絞って黄色い粉末を注ぎ込む作業を手伝った。
次の瞬間、硫黄がリンゴ酢に触れた途端、熱したフライパンに生肉を投げ込んだような激しい音が弾けた。
『シュウゥゥゥゥッ!』
壺の縁で泡がブクブクと煮えたぎり、先ほどの百倍は鼻を突く強烈なガス臭が吐き出される。
「うげっ! ますます酷い臭いになってきたぞ……」
レオは両手で鼻をきつく覆いながら文句を垂れた。
群衆から少し離れた場所で、サンドラはずっと腕を組んで傍観していた。しかし、その化学反応の音が彼女の足を少しずつ前へと引き寄せる。長く伸びた脚で距離を詰め、壺の中で濁った黄色に泡立つ液体を鋭い眼差しで射抜いた。
「リンゴ酢の酢酸と硫黄……」
サンドラが小さく呟く。だがその声は、タカヒロの耳にはっきりと届いていた。落ち葉と小枝の迷彩服に身を包んだその女は、口角を歪めて不敵な笑みを浮かべた。
「あんた、あの酸性を利用して『クリオ・パイライト菌糸体』の胞子細胞壁を破壊するつもりね? 確かにこの有機溶媒の反応なら、土壌の栄養素をそれほど傷つけずにシリカの殻を溶かすことができるわ」
タカヒロは振り返る。彼の顔にも、女の傲慢さに負けず劣らずの尊大な笑みが刻まれていた。
「大正解だ。だからこそ、鉱石はお前をここまで連れてきたんだ。この後の散布量の調整には、お前の植物学と化学化合物の知識がどうしても必要だったからな」
「ふんっ! 別に褒める必要なんてないわ。私はただ、見えた事実を口にしただけよ」
サンドラは傲慢に言い返し、耳の先をほんの少し赤くしながらツンと顔を背けた。
タカヒロはそれ以上言い合うつもりはなかった。彼の視線は今、いまだに及び腰で群がっている村人たちへと向けられていた。
「よし、お前ら!」
タカヒロの力強い声が群衆を切り裂き、村人全員の意識を釘付けにする。彼は、死の結晶と化して石のように固まった麦畑をビシッと指差した。
「証明の時間だ。この壺を畑の端まで運べ。この液体を、麦の根元に直接ぶち撒けてやる!」
だが、村人たちの足はピタリと止まったままだった。ゲビスの首の血管が硬直する。畑の土に触れることの危険性を説いたタカヒロの厳重な警告が、いまだに彼らの勇気を縛り付けているのだ。今の村人たちにとって、あの麦畑は地雷原も同然だった。
彼らが怯えきっているのを察し、タカヒロは無駄な時間を過ごすことを嫌った。村人の一人が握っていた木製の柄杓を強引に奪い取り、濁った黄色の液体をなみなみと掬い上げる。そして一切の躊躇なく、畑の境界線へとまっすぐ歩みを進めた。
迷う素振りなど微塵も見せず、彼は青白い結晶に覆われた麦の茎に直接、その特製溶液をぶち撒けた。
『シュウゥゥゥゥゥゥッ!!』
鋭い破裂音が空気を切り裂く。植物の根元から猛烈な白煙が立ち上った。
村人たちの目の前で、麦を閉じ込めていたガラスのように硬い透明な膜が、まるで熱した鉄板に触れたかのように溶け出したのだ。外殻がドロドロの粘液へと崩れ落ち、やがて為す術もなく土の中へと吸収されていく。
硬直していた麦の茎が、ゆっくりとしなやかさを取り戻す。あの忌まわしい胞子の死の呪縛から完全に解放され、生命力に満ちた緑の繊維が再び顔を覗かせた。
数秒間、人々は息をするのも忘れていた。
やがてその静寂は、村全体を揺るがすほどの割れんばかりの歓声へと変わった。列の最後尾で、ブレイブの肩が激しく震えている。家族の命綱である水源が再び息を吹き返したのを見て、彼女の瞳には大粒の涙が溢れていた。
「やった……彼、本当にやり遂げたわ!」
ナナは少しだけ口をぽかんと開け、信じられないといった様子で呟いた。
タカヒロはゆっくりと体を反転させた。その唇には勝利の笑みが刻まれている。クトリ、ヴィオラ、そして驚きのあまり硬直している村の面々へと、あえて見せつけるように。その瞳の奥には、抑えきれない野心の炎がギラギラと燃え盛っていた。
「さあ、何突っ立ってんだ? 畑を全部綺麗にするぞ!」




