第57章:猫が捕らえた一匹の鼠
重々しい足音と、アンティの喉から漏れるパニックに満ちた叫び声が、漆黒の夜空の下に響き渡っていた。入念に練り上げられたはずの計画は、一瞬にして崩れ去った。
二人は後先考えず、村へと引き返す道を選んだ。自分たちが踏み出す一歩一歩が、真っ白な粉の痕跡を地面にベッタリと残していることなど、微塵も気づかずに。
畑の境界線では、フライヤーが部下たちと共に微動だにせず立っていた。夜風に乗って微かに届いたアンティの焦燥の欠片を、フライヤーの鋭い聴覚は決して逃さなかった。
暗闇を鋭く睨みつけたまま、彼は振り返ることもなく短い命令を飛ばした。
「ドゥールム、プロルテス。すぐに先回りして、指定したポイントで奴らを待ち伏せろ。スキンテイ……お前は奴らを尾行しろ。村人に変装し、絶対に気づかれるな。俺はここで吉報を待っている」
「はっ、フライヤー様」
号令が下された瞬間、三つの影が音もなく夜の闇へと溶け込み、リーダーの戦略通りに散開した。
◇◇◇
その夜の村は、いつもと変わらぬ静寂に包まれていた。アンティとジュリオンジは荒ぶる呼吸を必死に押し殺し、住宅街の道に足を踏み入れるなり、まるでただの村人であるかのように平静な歩みを装った。
夜遅くまで外で作業をしている村人たちとすれ違うたび、彼らは引きつった笑みを浮かべ、適当な世間話でやり過ごした。すべてが順調に思えた。一人の初老の男が立ち止まり、眉をひそめて彼らの足元を見つめるまでは。
「ジュリオンジさん、あんたの足……」
その忠告は、まるでハンマーで殴られたかのような衝撃だった。ジュリオンジはビクッと肩を揺らし、反射的に背後を振り返る。自分たちの愚かな失態が、そこにありありと刻まれていた。
彼らが歩いてきた道筋に沿って、真っ白な足跡がくっきりと残っていたのだ。それも、先ほどまで作業をしていた畑の方角から、一直線に。
ジュリオンジは己の愚かさを呪い、舌打ちをした。あのクソガキどもが作った落とし穴にハマった瞬間から、自分たちの行動はすべて監視されていたのだ。今更になってそれに気づくとは。
これ以上、ここで言い訳をして時間を無駄にするわけにはいかない。ジュリオンジは足元の地面を不思議そうに見つめる初老の男を無視し、歩調を速めた。
「アンティ、拠点に着く前に足の裏を綺麗にするぞ」
ジュリオンジは疑いを持たれないよう、ギリギリまで声を殺して囁いた。しかし、アンティの顔はみるみるうちに青ざめていった。彼は不安げに周囲をキョロキョロと見回し、同じように低い声で答えた。
「なぁ」
「なんだ?」
「誰かに尾行されてる気がする……」
ジュリオンジは言葉を失った。アンティの一言が、彼の頭の中でけたたましい警報を鳴らした。足の動きは止めず、ジュリオンジの双眸だけが素早く動き、視線の端で背後を窺う。
最初は誰もいないように見えた。だが、一定の距離を保ちながら背後をついてくる人影の身体的特徴をアンティが詳細に口にした瞬間、ジュリオンジはその正体を悟った。
村の家々の影から監視を続けていたスキンテイは、標的の僅かな変化を見逃さなかった。
(……おや、気づかれたか?)
スキンテイは心の中で呟き、唇の端をわずかに吊り上げた。
数秒後、フェリア村の静寂は完全に打ち破られた。もはや鬼ごっこは避けられない。ジュリオンジとアンティは、まるで怯える野良猫のように夜の道を全力で駆け出した。村人の洗濯物や荷物にぶつかることなど、今の彼らにはどうでもよかった。
スキンテイも即座に駆け出した。突如として飛び出してきた村人に何度か行く手を阻まれ、数メートルほど距離を離されることもあったが、彼の視線は標的の背中から決して外れることはなかった。
一方、村の別の角では、ドゥールムとプロルテスがすでに指定された座標で待機していた。騒ぎに気づいた村人たちからの情報網を駆使し、彼らはアンティとジュリオンジの現在地を容易に特定していた。
スキンテイは狭い路地を縫うようにして追跡を続けた。この追走劇は体力を激しく消耗させた。複雑に入り組んだ民家の軒先を曲がるたび、前を走る二人の姿を見失いそうになる。
「ジュリオンジ」
「あぁ、分かってる。完全に包囲された」
「このまま当てもなく逃げ続けるつもりか!?」
「馬鹿野郎! 俺を誰だと思ってる!? あのドブネズミどもの追跡を振り切る方法くらい用意してある!」
ジュリオンジは息を切らしながら、狂ったように周囲に視線を巡らせた。背後から迫るスキンテイの突進を阻むための抜け道や、何か使える道具はないか。
……何もない。だが、絶望が彼を飲み込もうとしたその瞬間、建物の壁と壁の間に挟まれた暗い隙間が目に飛び込んできた。
「あそこへ行くぞ」
「どこへ!?」
「ガタガタ言わずに、さっさとついて来い!」
二人は急激に方向を変え、息の詰まるような狭い路地へと強引に飛び込んだ。そこは、フェリア村の最も寂れたスラム街と、カリエフの森の静寂を繋ぐ、細い獣道だった。
「ジュリオンジ、正気かよ!?」
「他に選択肢はねぇ! 俺について来たくないなら、ここでくたばれ!」
何の警告もなく、ジュリオンジは腕を振り上げ、アンティの肩を強く突き飛ばした。バランスを崩した痩せっぽちの男は、石ころだらけの地面に激しく叩きつけられた。
ジュリオンジは倒れた仲間の体を飛び越え、振り返って卑劣な笑みを浮かべた。
「存分に苦しめよ、アンティ。じゃあな、ハハッ!」
ジュリオンジの姿は、森の暗闇の中へとあっという間に消えていった。地面に倒れたまま、アンティは胸の中で煮えたぎる怒りを抱え、拳の中の小石を強く握りしめた。
(ジュリオンジの野郎! 貴様、絶対にぶっ殺してやる……!)
彼が完全に立ち上がる前に、重々しい足音が近づいてきた。路地の角からドゥールムが姿を現し、一人で座り込んでいるアンティをその視線で射抜いた。
「スキンテイ、標的はここにいるぞ!」
その声に、アンティの生存本能が強引に体を立ち上がらせた。彼の視線は、壁際に転がっていた大きな木の角材を捉えた。
彼は狂乱したような動きで角材をひったくり、ドゥールムがこれ以上近づけないように、めちゃくちゃに振り回した。
幾多の修羅場をくぐり抜けてきたドゥールムにとって、アンティの動きなど子供の癇癪にも等しかった。角材の振り方はあまりにもデタラメで、ただパニックに任せているだけだ。
目の前の痩せた男は、武器の正しい扱い方すら知らない。ドゥールムはすぐに結論づけた。こいつが武器を使って戦うのは、今日が初めてなのだと。
「貴様ら、俺に殺される覚悟があるならかかって来いよ!」
アンティは汗まみれの顔に無理やり凶悪な笑みを貼り付け、声を張り上げて威嚇した。
ドゥールムはそんな安い挑発に付き合う気は毛頭なかった。逆に走るスピードを上げ、一直線に突進する。
パニックに陥ったアンティは、盲目的に角材を左右に振り回し続けた。しかし、大振りのせいで生じた決定的な隙を見逃さず、ドゥールムは姿勢を低くして滑り込んだ。
鮮やかなスライディングタックルがアンティの足元にクリーンヒットし、男は無様に地面へと崩れ落ちた。
背後から、スキンテイが息を切らして駆けつけてきた。彼の目はすぐに薄暗い路地の隅々までを走査し、そこにいるはずのもう一人の姿を探した。
「吐け。お前の仲間はどこへ行った?」
「仲間? ハハハッ。あんなクズ、俺の仲間じゃねぇよ。あいつは貴様らに逆らう裏切り者で……」
ゴッ!
アンティの言葉は一瞬で途切れた。ドゥールムの手が彼の髪の毛を鷲掴みにし、痩せっぽちの男の頭を地面に思い切り叩きつけた。アンティは痛みに呻き声を上げた。
「黙れ。余計な口を叩くな」
「ドゥールムさん、もう一人はどこにもいません」
「構わん、スキンテイ。重要なのは、こいつを捕らえたということだ」ドゥールムはアンティの胸ぐらを掴み、ぐったりとした体を容赦なく引きずり起こした。「さっさと立て!」
一人の標的の確保に成功した彼らは、情報を引き出すためにそのまま本拠地へと連行しようとした。だが、アンティはまだ完全に諦めてはいなかった。
ドゥールムの意識が逸れ、掴む手がわずかに緩んだその一瞬の隙を突いて、アンティは渾身の力で体を捻り、路地の出口に向かって脱兎のごとく駆け出した。
しかし、彼の逃亡劇はあっけなく幕を閉じた。痩せた体が路地の包囲網から抜け出そうとしたまさにその時、暗闇の中から屈強な影が突突として現れ、出口を塞ぐように立ちはだかった。
氷のように冷たい視線を放つプロルテスが、彼の行く手を完全に阻んでいた。
「俺たちを、茶色い制服を着たこの国のポンコツ警備隊と一緒にしないでもらおうか」プロルテスは冷酷な声で言い放った。「ああいう事件の処理なら、俺たちの方が連中よりずっとプロフェッショナルなんでね」
アンティは一歩後ずさりし、絶望に歯軋りした。
「てめぇら……クソッ……!」
と、アンティは忌々しげに吐き捨てた。状況は完全に制圧したものの、確保できたのは一人だけだった。プロルテスは、今回の追跡の責任者であるスキンテイへと鋭い視線を向けた。
彼が説明を求めるために口を開くよりも早く、プロルテスの考えを読んだスキンテイは深く頭を下げた。
「申し訳ありません。すべては私の怠慢です。標的を一人、逃してしまいました」
その正直な謝罪を聞き、プロルテスの顔の緊張が少しだけ解けた。彼はただ深くため息をつき、その夜の疲労を吐き出した。
「まあいい、気にするな。一匹の鼠を逃したくらいで、フライヤー様がお怒りになることはない」
「ですが、私が責任を……」
「その話は後だ。フライヤー様を待たせて苛立たせる前に、さっさと戻るぞ」




