第54章:静寂のひび割れ
この裏庭は、クトリが人生の残酷な歯車に巻き込まれるずっと前、いかに幸せな時間を過ごしていたかを無言で物語っている。
足は自然と動き、過ぎ去った日々への郷愁を辿るように歩みを進めていた。
しかし、その美しい追憶は長くは続かなかった。
クリリーが前へ進み出て、娘の隣に並んだ。
「残念だけど、時間は巻き戻せないのよ」と、彼女は優しく語りかけた。「たとえできたとしても、きっと私たちが望むような形にはならないわ」
クトリは振り向き、母親の顔に刻まれた加齢の皺を寂しげに見つめた。
「昔、あなたはよくあの井戸の近くで、男の子たちにからかわれて泣いていたわね」
そう続けると、初老の母親はゆっくりと歩き出し、クトリとウチを置き去りにして前に進んだ。
感傷的な空気に引きずられるのを嫌い、クトリは慌てて後を追う。
「お母さん、さっきから何の話をしてるの?」
「えっ!?」
意図的に過去を否定し、クトリはすぐさま話題を逸らした。母親の言葉など、ただの世迷い言だと言わんばかりの態度で。
「よく分からないことに時間を無駄にするより、お昼になる前に急いで樹液を集めましょう」
クトリはクリリーの手からナイフと小鉢を奪い取る。母親やウチに反論の隙を一切与えることなく、自らその役割を引き受けた。
アルトカルプス・ヘテロフィルス(ジャックフルーツ)の木陰に立ち、クトリは母親に樹液の採取方法を手本で見せるように頼んだ。
クリリーは嫌な顔一つせず、大きな枝の樹皮にゆっくりと、そして慎重に切れ目を入れる技術をやって見せた。
クトリはそれをじっと観察した。
コツを掴むと、彼女はすぐにナイフを奪い返し、自分で実践し始めた。
その間、暇を持て余したウチは、木から落ちたジャックフルーツの果肉に夢中でかじりついていた。
トゲトゲの皮の奥から漂う強烈な甘い香りが、小さな少女の腹の虫を大いに刺激していたのだ。
果実を割るのに夢中になっていたウチの手が、ふと、ドロドロとした粘り気のある液体に触れた。不快感で顔をしかめる。
「クリリーおばちゃん! クトリお姉ちゃん! 手がベタベタになっちゃったから、ちょっと手ぇ洗ってくるね!」
『ベタベタ』という言葉が、クリリーの意識を弾き飛ばした。
どうりで先ほどから違和感があったわけだ。彼女たちがいくら枝に切れ目を入れても樹液はほとんど垂れてこないのに、ただ座って果物を食べていただけのウチは、全身樹液まみれになっていたのだから。
先ほどまで思い出に浸りすぎていたせいで、クリリーは完全に集中力を欠き、ただの惰性で作業をしてしまっていた。
ウチが洗い場へと駆けていくのを見送り、クリリーはついに自分の致命的な勘違いに気づいた。
「思い出したわ!」彼女は右手の拳を左の掌にポンと打ち付け、無邪気に声を上げた。「この木の樹液、一番多く出るのは実の部分だったわ。てへっ!」
その悪気のない笑い声を聞いて、クトリの額に青筋が浮かんだ。
長年、規律正しく真面目に生きてきた彼女にとって、母親がここまでドジを踏むなんて信じられないことだった。
「えぇぇ……どうりで全然出ないと思った。お母さんのうっかりだったんじゃない!」彼女は声を限界まで押し殺して、歯茎の間から不満を漏らした。
「ごめん、ごめん」クリリーは痒くもない後頭部を掻きながら、悪びれずに笑った。「私が間違ってたわ」
自分の非を認めた後、クリリーは見上げるようにして、高い枝にぶら下がっている巨大な果実の列に視線を向けた。
「クトリ――」
話の向かう先を察知し、クトリは慌てて母親の言葉を遮った。
「嫌だ! 絶対に嫌だ!」
その小さな言い争いは、裏口の敷居に一つの影が現れたことでピタリと止まった。
帰宅したばかりのヨトが、木の下で言い争う妻と長女の姿を見て呆然と立ち尽くしていた。
「お前たち、そこで何をしているんだ?」
聞き慣れた声に、クリリーとクトリは反射的に同時に振り向いた。
「ヨトさん、もう帰ってたの?」
クトリは無駄話を省き、すぐに本題を切り出した。
「お母さんと私でこの木から樹液を採ろうとしてるんだけど、ちょっと手こずってて。お父さん、手伝ってくれない?」
「樹液?」ヨトは戸惑うようにオウム返しにした。足は自然と二人の方へと向かっている。「なんのためにそんなものを集めるんだ?」
「えっとね……タカヒロくんが、苗代を荒らした犯人を暴くための罠を作るって言ってるの。植物のことに一番詳しいお母さんに、この伝言を伝えてほしいって頼まれて」
バキッ!
ヨトの足が止まった。
彼が踏み抜いた乾いた枝が折れる音が響き、その破裂音にクトリとクリリーはビクッと肩を震わせた。
初老の男の視線が急に鋭さを増し、押し殺したようなどす黒い感情が漏れ出していた。
「お父さん……」
「ヨトさん……」
朝の涼しい空気は、息の詰まるような緊張感へと一変した。
「なぜ、そこまで首を突っ込むんだ?」
ヨトの唇からこぼれ落ちたその声はあまりにも冷たく、クリリーとクトリはただ戸惑い、同時に「えっ?」と呟くことしかできなかった。
「俺たちの家族が危険な状況にあるのは、分かりきっていることじゃないか」ヨトは続けた。肩が力なく落ちるにつれ、彼の声のトーンも沈んでいく。バフリルが家に押し入ってきた夜の恐怖が、再び彼を苛んでいた。
「正直に言う。タカヒロくんが、バフリル様の脅威から家族を救ってくれたことには感謝しているし、ホッとしている。……だが、俺はまだ怖いんだ。バフリル様の部下がまたやってきて、この家族にちょっかいを出すんじゃないかってな」
父親を包み込むその絶望のオーラが、クトリの残された忍耐を完全に削り取った。
これまで抑え込んでいた感情が、ついに爆発した。
「お父さんが心配してるのは分かってる。何もできないって落ち込んでるのも分かってるわ。でも、そうやって愚痴ばかりこぼしてて、いつになったらこの家族の問題は終わるの!?」
(クトリ……)
クリリーは心の中で呟き、感極まって胸を締め付けられながら、娘の背中を見つめた。
「タカヒロくんが、私たち家族を助けてくれることに感謝すべきでしょ! 彼の助けがなかったら、お父さんはもう二度とヴィオラの顔を見ることすらできなかったかもしれないのに!」
その鋭い言葉は、普段の従順なクトリからは想像もつかないほど激しく放たれた。
少女の怒りが完全に爆発し、冷静さを完全に奪い去っていた。
「お父さんがそんな態度を続けるなら、私、お母さんとヴィオラを連れて家を出ていくから! 二度と帰ってこないからね!」
チェックメイト。
ヨトの舌は根元から切り落とされたかのように動かなくなった。
彼は、実の娘の激しい感情の爆発を前にして、完全に無力だった。反論の言葉一つ返すこともできず、絶望の中に彼を置いて立ち去っていくクトリの背中を、ただ見つめることしかできなかった。
一方のクリリーは、夫と娘の間の緊張をただ呆然と見守るしかなかった。
間に入って仲裁したかったが、彼女の心の一部は、娘の言葉が正しいと認めていた。
黙っていることは、理不尽に踏み躙られて壊れることを意味する。
抵抗することは、死を招くことを意味する。
それこそが、今彼らの生活を縛り付けている、残酷な現実だったのだ。




