第43章:新たなる希望の始まり
朝霧がまだヴェリア村の家々の屋根を覆っていた。雄鶏の鳴き声が朝の訪れを告げても、暖かい布団から這い出して一日の日課を始めようとする村人はまだほんの一握りだった。
しかし、ヨト家の奥の部屋はまだひっそりと静まり返っていた。ウチ、ヴィオラ、そしてクトリはまだ深い眠りの中にあり、それぞれの枕の上で規則正しい寝息を立てている。
その光景は、居間にいる白髪の青年とは対照的だった。タカヒロは二晩連続で一睡もしていなかった。両目は赤く充血し、血走っている。
痣になったこめかみは少し腫れ上がり、ズキズキと痛む。竹の長椅子に座った姿勢を保とうとするだけで、全身の関節が鉛のように重く、きしむように痛んだ。
「タカヒロくん、昨夜は寝てないのか?」
ヨトが気さくに尋ねてきた。彼はすでに、畑仕事へ行くときのいつもの作業着姿だった。
返事をする代わりに、タカヒロの意識はふっと途切れた。座っていた身体から突如として力が抜け、ぐらりと揺れる。そのまま頭がカクンと落ち、危うく自分の膝に激突しそうになった。
幸いにも、ヨトの反射神経が勝った。中年の男の無骨な手が素早くタカヒロの両肩を掴み、崩れ落ちそうになる身体を支え、強引に元の姿勢へと引き戻したのだ。
「まだ体調が戻ってないなら、ここに残ってしっかり休んでなさい」
「ダメだ……。」
タカヒロは掠れた声で呟いた。自らの体重すら支えきれずに両膝を小刻みに震わせながらも、ゆっくりと立ち上がろうとする。
「俺も、一緒に畑に行かなきゃ……。」
強情を張るタカヒロの耳に、台所の方からサンダルが床を擦る音が聞こえてきた。
「無理しちゃダメよ」
温かいお粥をテーブルに置いたクリリーが、優しく声をかける。
「この仕事は、ヴィオラたちに任せておきなさい」
「でも……。」
タカヒロの言葉は遮られた。ヨトが素早く割って入り、青年の両肩に手を置いたのだ。彼を落ち着かせようと、その手にギュッと力が込められる。
「ここは俺たちを信じて任せてくれ」
ヨトは短く頷き、自信に満ちた眼差しで青年を見つめた。
タカヒロは奥歯を噛み締め、押し黙った。思考の片隅では、まだ無理をしてでも畑へ向かおうとしている。
しかし、完全に限界を迎えている肉体の状態はごまかしようがなかった。最終的に、青年の両肩はがっくりと落ちる。彼は無言で一度だけコクリと頷き、大人しく降参するしかなかった。
◇◇◇
朝日がゆっくりと霧を突き抜け、湿った土の表面に暖かさをもたらす頃。ヴィオラたち一行は畑の区画に到着していた。
ヨトとヴィオラの手には、それぞれ大きく膨らんだビニール袋がしっかりと握られている。中には、酸性を中和するための薪の灰がぎっしりと詰まっていた。
ヨトがビニール袋の結び目を緩め、灰を撒こうと手を伸ばしたその時、ヴィオラはふとあることを思い出した。
今朝、タカヒロが強調していた具体的な指示が頭をよぎる。彼女は咄嗟に両手を広げ、父親の動きを止めた。
「お父さん、姉さん、ちょっと待って!」
突然の叫び声に、ヨトとクトリはピタッと動きを止めた。二人は振り返り、困惑して眉をひそめながらヴィオラを見つめる。
「待ってって、どういうことだ?」
ヨトが尋ねる。
「これを撒くだけでいいんだろ?」
「お父さん、間違ってる!」
ヴィオラが強い口調で言った。
「タカヒロが言ってたでしょ。この灰を畑全体に適当に撒いちゃダメだって。まずは苗床の土壌改良に集中しなきゃいけないの!」
そんなささいな言い争いの最中、ウチがほぼ無音で動き、いつの間にか二人の間にスッと入り込んでいた。
小柄な少女は軽やかな動きで、木の柄がついた鍬をヨトに向けて差し出した。一体どうやってあんな重い鍬を最初から持っていたのかは謎だ。
「これ、おじさん。鍬、用意しておいたのですぅ」
ウチがふんわりとした声で言う。
突如として現れた鍬に、ヴィオラとクトリは度肝を抜かれた。
「「手際よすぎでしょ!」」
二人の声が綺麗にハモる。
驚きが落ち着くと、ヨトはウチの小さな手から鍬の柄を受け取ったが、その表情はまだ納得がいっていない様子だった。
「だが、俺たちがここへ来た目的は稲の種を蒔くことじゃなく、土に栄養を与えることだろうが……。」
「分かってるわよ、種蒔きが目的じゃないことくらい。でも、タカヒロが言ってたことをもう一回ちゃんと思い出してよ」
「あぁ、分かってるよ。ちゃんと覚えてるっての」
ヨトは忌々しそうに返し、呆れたように目を剥いた。そして、ヴィオラの偉そうな口調をわざと真似て、わざとらしい苛立たしい表情を作ってみせた。
「『この灰を撒いた後、これから植える稲の種がより良く育つように、まずは新しい苗床を準備しなきゃいけないの!』……だろ?」
娘への当てつけのような返答に満足すると、ヨトはさっそく鍬を振り下ろし、古い苗床のエリアに新しい畝を作るために湿った土を掘り返し始めた。
親子が畑の技術的なことで言い争いながら作業している間、ウチはずっと端の方へと退避していた。
酸性土の心配などどこ吹く風。この小柄な少女は、ついさっき見つけて適当に皮を剥いたばかりの生のキャッサバ芋を、無心になって堪能していたのだ。
口の周りや顎には、茶色い泥の残骸がべったりとくっついている。
ボリッ!
生のキャッサバ芋の繊維が折れる、その小気味良くも大きな音が、クトリの聴覚に割り込んだ。専属メイドである彼女が反射的に振り向くと、そこには夢中になってモグモグと何かを咀嚼している小さな主の姿があった。
ボリボリ……ボリボリ……。
「ウチ様、一体何を召し上がっているのですか……?」
クトリは胡散臭そうな顔で顔を近づけ、ひそひそ声で尋ねた。
「お芋なのですぅ」
悪びれる様子もなく即答するが、口の中にまだ噛み砕いていない芋が詰まっているせいで、声はくぐもっていた。
「そのお芋、どこから持ってきたんですか?」
ウチはわざわざ口を開く面倒を省いた。ほんの少し顔を上げると、背後にある土の山に向かってチョコンと顎をしゃくってみせたのだ。
示された方向を追い、クトリは目を細めた。そこには、無理やり引っこ抜かれたばかりであることを示す、極めて新鮮な茎や根っこが残された荒れた土の塊があった。
クトリは驚愕し、パニックに陥った。そのキャッサバ畑の持ち主が誰か、彼女はよく知っていたからだ。顔面を蒼白にしたメイドは慌ててしゃがみ込み、ウチの小さな手から残りの芋を奪い取ろうとした。
「早く捨ててください、ウチ様!」
クトリは焦燥感を露わにして囁いた。
「ヴィオラに怒られる前に!」
しかし、警告は遅すぎた。耳ざといヴィオラは、先ほどからやけに響いていたウチの咀嚼音に加え、そのコソコソ話までしっかりと聞きつけていたのだ。灰色の髪の少女は作業の手を止めた。
作物を無断で取られたことに激怒するどころか、ヴィオラは胸の前で腕を組んだ。そして、ウチが平然と生のキャッサバ芋を食べ続けるのを、あえてそのままにしておいた。
「放っておきなさいよ。私に無断で芋を掘鳴ったところで、別に気にしてないから」
許しを得たと勘違いしたウチは、全く悪びれることなく咀嚼を続けた。一口、また一口と味わい、ついに最後の一欠片だけが残る。
そして、まさにその最後の一口を放り込もうとした絶好のタイミングで、ヴィオラが顔を後ろに向けた。口角が吊り上がり、わざと不気味に歪んだ笑みを浮かべる。その声色は、まるでホラー映画のナレーターのように低く押し殺されていた。
「一応言っておくけどね、ウチ。あんたが今食べてるその芋、有害物質で汚染された土で育ったヤツだから!」
最初、その警告の言葉をウチはあまり気に留めていなかった。小柄な少女の顎は残りの芋を咀嚼するためにまだ動いており、たった今言われた言葉を処理しようとパチパチと瞬きを繰り返す。
「今すぐ吐き出さないと、口から泡を吹いて死んじゃうわよ!」
その瞬間、ウチの咀嚼がピタリと止まった。両目が限界まで丸くなる。『口から泡を吹いて死ぬ』という恐ろしい脅し文句を数秒かけて理解した途端、凄まじいパニックが彼女を襲った。
完全に混乱した反射動作で、彼女は右手で自分の胸をバンバンと叩き始めた。すでに飲み込んでしまった芋を、無理やり胃から吐き出そうとしているのだ。
本気で毒にやられたと思い込み、顔面を真っ青にしてパニックに陥るウチの表情を見て、ヴィオラはもう我慢できなかった。少女の方へ完全に振り返り、腹を抱えて大爆笑する。小さな客人をからかう彼女のイタズラは大成功を収めたのだった。




