第41章:酸性を中和する特効薬――ウチの無邪気なひらめき
机の上に現れた色彩の魔法。それに対する感嘆は、今やヨト一家にとって完全なる恐怖へと変貌していた。畑の土が極度の酸性であるという事実は、彼らにとって死刑宣告にも等しかった。
一家の主であるヨトの顔に浮かぶパニックは、ますます酷くなっていく。こめかみからは冷や汗が滲み出していた。まだ返しきれていない借金、そして取り立てに来る冷酷な米問屋の影が、彼の脳裏をよぎる。
彼にとって、あの小さな畑こそが唯一の生命線だった。肉体はもう若かりし頃のように動かない。近所の人々も、少しずつ彼の農作業の手伝いを頼まなくなってきているのが現実だった。
「だ、だったら、俺たちはこれからどうすればいいんだ!?」
ヨトはパニック状態で問いかけた。
「タカヒロ、あんたなら、まだこの窮地から抜け出す方法を……助けてくれるんじゃないのか!?」
タカヒロは、その絶望に満ちた問いを空中に虚しく響かせたまま放置した。
青年は腕を組み、左手の指先でゆっくりと顎を叩く。息が詰まるような沈黙の中、トントンと静かなリズムだけが刻まれていく。
数秒の沈黙の後、ようやく青年は口を開いた。
「さあな……? 俺自身、どうすればいいか全く分からん」
解決策とは程遠いその返答を聞き、クリリーの精神的な防壁は完全に崩れ去った。すでに混乱の極みにあった彼女の思考では、胸の内で吹き荒れるパニックを抑え込むことなど到底不可能だった。彼女の唇が激しく震える。
「お願い、どうか助けてちょうだい、タカヒロくん!」
悲痛な叫びとともに、彼女はタカヒロに向かって深く頭を下げた。
「私たちを助けてくれる希望は、もうあなたしかいないのよ!」
哀願するようなクリリーの姿を見て、タカヒロの唇から無意識に『チッ!』と微かな舌打ちが漏れた。
この過剰な期待は、ひどく面倒だった。だいたい、自分の専門外である農業のトラブルに対して、魔法のように解決策を捻り出せと要求されているのだから。
「お願いだから!」
クリリーの声が、さらにワントーン高くなる。
その瞬間だった。ヨト、ヴィオラ、クトリ、そしてケイトまでもが、一斉にタカヒロに向けて深く頭を下げたのだ。
家族五人が揃って自分に頭を下げるという異様な光景に、タカヒロは返す言葉を失い、押し黙った。
だが、彼は感動するどころか、ただ深く大きなため息を吐き出した。そして決定的な答えを出す前に、左手を上げ、小指を立てて、急に痒くなった右の耳の穴へ無造作に突っ込んだのだ。
「先に言っておくけどな」
タカヒロは目を閉じ、耳かきの快感を味わいながら気怠そうに言った。
「俺はアインシュタインみたいな有名な科学者じゃねぇ。卒論につまずいた、ただのしがない大学生だ。それ以上でも以下でもない。以上!」
罪悪感など微塵も感じさせることなく、彼はくるりと背を向け、部屋の隅にある竹の長椅子へと歩き出した。
ギシッと軽い音を立ててそこに身を投げ出し、床に向かって頭を下げたまま硬直しているヨト一家を置き去りにする。
ヴィオラにとって、タカヒロのその身も蓋もない言い分は、耳が熱くなるほど腹立たしいものだった。
彼女には分かっていた。この男がわざと演技をして、自分の天才的な頭脳を皆に頼られすぎないよう、意図的に自己評価を下げているのだということを。
「ふざけないで!」
ヴィオラは頭を上げ、鋭く言い放った。
「あんたが嘘をついてるのなんて、お見通しなんだからね!」
灰色の髪の少女からの的確な糾弾を聞いても、タカヒロはだらしない座り姿勢を直そうともしなかった。
ただ耳から小指を引き抜き、今度は人差し指にチェンジして、これまた運悪く痒くなった鼻の穴をほじり始めた。
「マジだって」
鼻声で言いながら、彼はどこまでもとぼけた顔を崩さない。
一方、頭を下げた姿勢のまま立ち尽くしていたクトリは、込み上げる感情を抑えきれずに小刻みに震え始めていた。顎に力が入り、ギリッ、と歯軋りする音が響く。
両手は身体の横で強く握りしめられ、その唇からは鋭い声が漏れ出た。
「てめぇ……!」
憎悪すら入り混じったその口調。この空気を読まない怠け者のふざけた態度は、彼女の限界をとうに超えていたのだ。
そんな中、クトリのすぐ隣にいたウチだけが、唯一の例外だった。この小柄な少女は、先ほどから一人だけ頭を下げていなかったのだ。
彼女の双眸は、机の上に置かれた明るいピンク色の液体が入ったお椀に釘付けになっていた。その小さな脳みその容量をフル稼働させているかのように、眉間に深いシワを寄せている。
頭の中で必死に論理を組み立てようとするものの、一向に出口が見つからず、その顔はすっかりパンク寸前になっていた。
「もし、どんな毒にも解毒剤があるんだとしたら……どうすればこの土さんも元気になるのかな……?」
ウチは、ぽつりと小さな声で呟いた。
その声は微かなものだったが、無邪気なその呟きは空気を伝い、鼻ほじりに夢中になっていたタカヒロの聴覚を不意に捉えた。
ピタッ、と。青年の人差し指の動きが止まる。
タカヒロの目は限界まで見開かれ、ほんの一瞬だけ、虚を突かれたように小柄な少女の顔を真っ直ぐに見つめた。バラバラだった脳内の情報ピースが、劇的な速度で一つに結びついていく。
バァンッ!
勢いよく、タカヒロは長椅子から飛び起きた。先ほどまでの下品な仕草など完全に放り捨てて。
先ほどの無気力で空っぽだった表情は完全に拭い去られ、代わりに、ウチの何気ない一言がもたらした予想外の閃きに対する、歓喜に満ちた満面の笑みが浮かんでいた。
「俺のお気に入りのアニメキャラの口調を借りるなら、最高のアイデアをくれたお前に『百点満点』をくれてやるぜ!」
突然のテンションMAXな称賛を受け、ウチはビクッと肩を揺らした。混乱したフクロウのように、パチパチと何度もまばたきを繰り返すことしかできない。
酸性の土について考えてすでにショート寸前だった彼女の脳みそでは、今のタカヒロの言葉の意味を一つとして理解することは不可能だった。
タカヒロはウチの困惑にかまうことなく、すぐにクリリーの方へと振り返った。
「おばさん、さっき使ってた白い薪の灰、今すぐ持ってきてくれ」
(薪の灰……? 一体何に使うの……?)
クリリーは心の中で首を傾げた。彼女はゆっくりと身を起こし、痛む背筋を伸ばしながら、顔中に疑問符を浮かべていた。
彼女の額に寄ったシワを見て、タカヒロはそこに渦巻く疑念を難なく読み取った。
だが、クリリーが口を開いて質問するより早く、彼はその言葉を素早く遮った。
「余計なことは考えなくていい」
タカヒロはピシャリと言い放つ。
「いいから、早くその灰を持ってくるんだ!」
その短い怒声が、クリリーの意識をハッと現実に引き戻した。
まだくすぶっていたパニックに背中を押されるように、彼女はぎこちない動きでコクリと頷くと、急いで身を翻し、小走りで台所へと向かった。
「は、はいっ!」
クリリーの足音が竈のほうから戻ってくるのを待ちながら、タカヒロは大股で木製のテーブルへと歩み寄った。
凍りついていたヨトと少女たちも我に返り、再び最高潮に達した期待を胸に抱きながら、タカヒロを囲むようにテーブルへと近寄っていく。
「何をするつもりなの?」
お椀を手に取ったタカヒロに、ケイトが尋ねる。
「見れば分かる」
その最後の言葉が口から出た瞬間、台所からクリリーの慌ただしい足音が聞こえてきた。
彼女の両手には、タカヒロが指示した通り、灰白色をした薪の燃えカスが入った小さな器が握られている。
クリリーがテーブルのそばに到着するや否や、タカヒロは半ばひったくるようにその器を奪い取った。そして一切の躊躇なく、一掴みの木灰をすくい取ると、二つのお椀に入った土の溶液の表面に直接パラパラと振りかけた。
「ウチの最高のひらめきに感謝するんだな」
タカヒロは低く呟いた。
「あいつがあんなこと言わなかったら、俺はこの問題を解決するための別のアプローチに気づけなかった。」
ウチの功績を口では褒め称えながらも、タカヒロの手は再び木の匙へと伸びていた。
彼は一つ目のお椀を、慎重に、だが確実な手つきでかき混ぜ始める。
アルカリ性の親和性を持つ木灰の粒子が溶け込み、チョウマメを指示薬とした酸性の土壌溶液と衝突した瞬間、即座に反応が起きた。
もともと鮮やかに発色していた赤紫色が急速に色褪せ、やがて深く、安定した青紫色へと逆戻りしていったのだ。
それだけでは終わらない。タカヒロは紫キャベツの抽出液が入った二つ目のお椀へと移り、同じようにかき混ぜた。
まるで血のように毒々しかった真っ赤な液体が、ゆっくりとその赤みを失っていき、穏やかで中性的な紫へと色を引いていく。
瞬く間に、タカヒロは木の匙を置き、自らの作業を完璧に完了させた。
チカチカと瞬くランプの薄暗い灯りの下で、再びヨト一家のすべての視線が釘付けになっていた。誰もがまばたきすら忘れ、自分たちの畑の未来を救ったばかりの、この驚異的な錬金術のショーにすっかり魅了されていたのだ。




