第32章:ウチと空腹
ヨト家の家の中には、未だに先行きが見えない重苦しい空気が漂っていた。寝台のそばでは、ケイトとクトリが押し黙ったまま立ち尽くしている。
二人の思考は完全に行き詰まっていた。どうすればタカヒロの意識を戻すことができるのか、その答えがいっこうに見つからない。
パンッ!
寝台の隅から、両手を打ち鳴らす乾いた音が響いた。ウチが胸の前で両手をピタリと合わせ、静かに目を閉じている。
「ごちそうさまでしたぁ!」
ウチが満足げに呟いた。
その唐突な声に、ケイトとクトリの視線が釘付けになる。
ケイトは小柄な少女を眉をひそめて睨みつけ、クトリは深い溜息をつきながら眉間を指で揉みほぐした。
「ちょっとウチ、事態は全然良くなってないのに、なんであんたはそんなに呑気なのよ?」
ケイトが問い詰める。
ウチはすぐには答えなかった。服の袖口で、口の端についた紫芋の食べかすをペロッと拭き取る。
ケイトの両目が、小柄な少女の目の前にある机をチラリと捉えた。
綺麗に空っぽだ。
先ほどクリリーが用意してくれた紫芋はすべて消え失せ、素焼きの皿の上には無惨に散らかった皮の山だけが残されている。
「あんた、これ全部一人で食べたわけ!?」
ケイトの声が裏返った。
しかし、ウチの丸い瞳は部屋中をキョロキョロと見回すばかりだ。
「まだお腹がペコペコなのですぅ!」
「この食い意地張ったチビ!ちっこい体のくせに、どんだけ胃袋でかいのよ?」
ケイトが毒づく。
「うるさい!あたしはもう二日もご飯を食べてなかった。だから食欲があるのは当然のことな!」
「はあ!?」
ケイトは座っていた場所から勢いよく立ち上がり、小指で鼻をほじっているウチに向けて鋭く人差し指を突きつけた。
「てめぇ、昨日の夜、あたしの家で残り物を全部平らげたのはどこのどいつだよ!それで二日も食べてないって、よく言えたわね!」
ウチは鼻から指を引き抜き、ぷいっとそっぽを向いた。そして寝台の上で、呑気に小さな口笛を吹き始める。
「ふざけんじゃないわよ……っ!」
ケイトの喉から、怒りに震える声が漏れた。
土の床を強く踏みしめ、重い足取りで寝台を乗り越えようとする。
だが、その動きは途中でピタリと止められた。クトリが電光石火の速さでケイトの背後に回り込み、その体を背後からガッチリと羽交い締めにしていたのだ。
「ウチ様、一体どういうつもりですか?」
クトリの低い声が響く。「なぜ、このような真似を?」
「あたしは何もしてない!お腹が空いてるから、こうしているだけな」
ウチは毅然と言い放った。
「だからって、こんな時にやらなくてもいいでしょう!」
クトリが息を切らしながら言葉を返す。
ウチは寝台からコロンと降りると、台所の方へととことこ歩き出した。
「ケイト、落ち着いて。感情を抑えるのよ!」
クトリが叫ぶ。
「クトリお姉さまぁ」
台所から、ウチの甘えるような声が聞こえてきた。その小さな指は、戸が開いたままの背の高い木製棚の上を指し示している。「あれ、取ってほしい!」
(今ここでケイトを離したら、間違いなくウチ様に飛びかかってしまう。でも、あのままウチ様を腹ペコで待たせておいたら……私の長年の専属世話係としての立場が危うくなるわ)
それに実際のところ、ヴェリア村に足を踏み入れてからというもの、クトリ自身の胃袋にも一口の食べ物すら入っていないのだ。
外の庭の方から、かすかに足音と話し声が近づいてくるのが聞こえた。
「ヴィオラ?それに、お母さんも?」
クトリが小さく呟く。
次の瞬間、入り口の敷居を跨いで二人の影が家の中へと入ってきた。ヴィオラとクリリーだった。
「ヴィオラ!おばさん!お願い、手伝って!」
クリリーは足を止め、驚いた顔をした。
「一体、何があったの?」
「今から話すと長くなります!」クトリが早口で答える。「それより早く手伝ってください、もう限界ですっ!」
ヴィオラはすぐに駆け寄り、暴れるケイトを押さえつけるため、自分の体を預けて加勢した。
一方、クリリーは落ち着き払った様子でその場に立ち、部屋中をぐるりと見渡した。
最初に彼女の目に飛び込んできたのは、中央の机だった。振る舞ったはずの紫芋は、今や見るも無惨な皮の山へと変貌している。
そして、彼女の視線は台所へと移った。
そこには、相変わらず棚の上を指差したまま立っている小柄な少女の姿があった。
クリリーはその少女の元へと歩み寄った。台所に着くと、彼女は高い棚には見向きもせず、下の籠に置いてあった未調理のトウモロコシを三本取り出し、そのままウチの手へと渡した。
ウチはその生のトウモロコシをひったくると、すぐさまガツガツと齧りつき始めた。
そんな本日の来客の突拍子もない行動を見て、年配の女性はただ可笑しそうにクスクスと笑い声を漏らすのだった。




