第25章:災厄
予想よりも早く夜明けが忍び寄り、ヴィオラ一家の泥壁の家の隙間から、夜の冷気の残り香が入り込んでくる。
部屋の中はまだ静まり返っていた。ヴィオラ、ケイト、そしてウチの三人は、それぞれの夢の世界に深く囚われている。昨日の騒動で体力の底の底まで使い果たしてしまったのか、深い寝息を立ててぐっすりと眠りこけていた。
だが、タカヒロにその平穏は訪れなかった。家の片隅で、白髪の青年はひどい有様になっていた。
両目は赤く腫れ上がり、顔は疲れ切ってシワが寄り、白髪は四方八方に爆発している。ズキズキと痛む鼻の付け根を揉みほぐしながら、まぶたに鉛でも乗せられたかのような強烈な睡魔と必死に戦っていた。
昨晩は彼にとって拷問のような時間だった。頭の中がうるさすぎて、ただ休むことすらままならなかったのだ。
「タカヒロくん、どうしたの?顔色がすごく悪いわよ」
その優しい声が、タカヒロの思考を断ち切った。ヴィオラの母親であるクライリー・ビオンが、心配そうな顔で少し離れたところに立っていた。
開いたドアから差し込む朝の光が、彼女の黒髪と琥珀色の瞳を照らし出している。その姿は、タカヒロよりも遥かにエネルギーに満ち溢れているように見えた。
クライリーは台所での朝の支度を終えたばかりだった。その手には、まだ湯気を立てている茹でた紫芋が握られている。
「昨日は全然眠れなかったの?」
彼女は安心させるような声色で続ける。だが、タカヒロはピクリとも動かず、足元の土間を虚ろな目で見つめるだけだった。
反応がないのを見て、クライリーは気まずさを誤魔化すように一歩近づき、手に持っていた土皿を差し出した。
「畑に行く前に、まずはこのお芋を食べてちょうだいな。まだ温かいから」
紫芋の甘い香りが、ついにタカヒロの意識を現実へと引き戻した。彼の焦点は一つの対象……まだ湯気を立てている新鮮な紫芋に釘付けになる。
突然、彼の脳内に閃きの光が走った。昨晩から組み立てていたパズルのピースが、カチリと音を立てて繋がっていく。
「おばさん、この紫芋……買ったのか、それとも自分たちで育てたのか?」
タカヒロは掠れた声で、しかし探るような鋭い口調で尋ねた。
クライリーは少し驚いたように肩をビクッとさせ、青年の唐突な質問の意図が読めずに小さく唸る。タカヒロの向かい側に腰を下ろしてから、ようやく彼女は答えた。
「昨晩ヴィオラが言った通り、うちには食べ物を買うお金なんて一銭もないのよ。このお芋は自分たちで収穫したものなの」
「あの田んぼの近くでか?」
タカヒロが素早く言葉を遮り、鋭い視線を向ける。
クライリーは巨大なハンマーで殴られたかのように固まった。瞬きを繰り返し、唇を半開きにする。ほんの一瞬の後、その驚きは小さな頷きへと変わった。彼女は無言で、タカヒロの推測が正しいことを認めたのだ。
「やっぱりな!」
タカヒロは勢いよく立ち上がった。指先の火傷するような熱さも気にせず、まだ熱い芋をひったくるように手に取る。そして、まるで実験室でデータを分析する研究者のように、極めて真剣な顔つきでその皮の表面をじっくりと観察し始めた。
「おかしいと思ったんだ。サツマイモやキャッサバみたいな根菜は土の中で育つ。なら、どうしてこいつらは汚染されてないんだ?」
タカヒロの独り言は、クライリーの耳にもはっきりと届いていた。汚染という言葉の意味は分からなかったが、彼女はタカヒロの言葉を一つ残らず聞き取り、自分なりに説明しようと試みた。
「収穫したお芋が、全部いい出来だったわけじゃないのよ。育つ前に腐ってしまったものもあるし、育っている途中でダメになってしまったものもあるわ」
タカヒロは横目で彼女を見やり、その説明を自分の分析へと落とし込んでいく。次の瞬間、彼の脳はその情報から、興味深くも恐ろしい一つの結論を弾き出した。
(もしこれが、昨晩俺が言ったような人為的な仕業じゃないとしたら……原因は、土壌そのものの状態にある可能性が高い)
「どういう意味なの?」
タカヒロはすぐには答えなかった。体を完全にクライリーの方へ向け、再び自信に満ち溢れた強い眼差しで、彼女に指示を出す。
「今は説明してる時間がない。お願いだ、今すぐあいつらを起こしてくれ。俺は田んぼにいるから、後から追いかけてこいって伝えてくれ!」
返事を待つことも、自分の仮説をこれ以上語ることもなく。タカヒロは脱兎のごとく、ものすごいスピードで家を飛び出していった。
クライリーはただ座ったまま、遠ざかり、やがて木々の向こうへと消えていくタカヒロの背中を呆然と見送ることしかできなかった。何度も瞬きを繰り返すが、体は石のように固まっている。あの青年は、彼女の朝をこの上ないほどの混乱でスタートさせることに見事成功したのだった。
◇◇◇
タカヒロの息が激しく上がる。肺の中の薄い酸素を求めて、荒い呼吸を繰り返す。彼の足跡が土を蹴り上げ、風に吹かれて四方八方へと土煙が舞い上がった。体はまだ完全に回復していなかったが、彼は無理やり両足を前へと動かし続けていた。
体に巻かれた包帯は、土埃と乾いた汗のせいで薄汚れ、すっかりくすんでしまっている。走りながら、彼の心の中には激しい葛藤が渦巻いていた。
(……なんで俺は、自分に何のメリットもないことに、ここまで必死になってるんだ。今の俺は、昔の俺とはまるで正反対じゃないか)
その疑問は、彼自身のプライドへの挑戦状のようにも感じられた。過去の記憶と格闘しながら、時折疲労のあまり目を閉じつつ走り続けた結果……彼は前方への注意力を完全に欠いてしまっていた。そこに、誰かが立っていることにも気づかずに。
(くそっ!避けなきゃ……っ)
ドンッ!!
激しい衝突は避けられなかった。タカヒロは派手に転倒し、お尻を地面に思い切り打ちつける。一方、彼がぶつかった相手はほんの少し体勢を崩しただけで、極めて不機嫌な目を向けてゆっくりと振り返った。
タカヒロはうめき声を上げた。顔面から尾てい骨へと走る痛みに耐えながら、ギュッと目をつむる。
「痛ぇっ!何しやがる、てめぇ!」
痛む場所をさすりながら、彼は声を荒らげた。
彼の目の前に立っていたのは、筋骨隆々とした体格の青年だった。スキンヘッドの頭と浅黒い肌が、朝の光を反射してギラギラと輝いている。タカヒロに謝罪する隙すら与えず、その男は猛スピードで体を反転させた。
動きは稲妻のように素早かった。タカヒロが何が起きたのかを理解するよりも早く、男は彼に飛びかかり、地面に仰向けに押し倒したのだ。
タカヒロは息を呑み、なんとか拘束から逃れようと必死にもがいた。しかし、上に乗っている男の力は桁違いだった。両膝でタカヒロの腕を地面に完全に縫い付け、片手で彼の首をギリギリと力強く締め上げる。
男の右の拳はすでに高く振り上げられていた。さっきぶつかってきたことへの報復として、今まさにタカヒロの顔面へと振り下ろされようとしていたのだ。




