第18章:胸騒ぎ
普段は静かなジョーの家の木の壁に、何度も大きな笑い声が反響していた。数分前にウチがやって来てからというもの、居間はまるで溢れんばかりの温かな空気に包まれている。
ジョーは絶好調だった。初めて狩りを学んだ若き日のバカバカしい失敗談を、身振り手振りを交えて熱く語っている。ベリンダがそれに合いの手を入れ、二人の恥ずかしい馴れ初めまで暴露し始めると、場はさらに大爆笑の渦に包まれた。
ベンチの隅で、ケイトはつるほど痛くなったお腹を必死に抱えていた。目尻には涙が滲み、息も絶え絶えになりながら、何度も手の甲で乱暴に涙を拭っている。
「もうやめて、お腹痛い……っ!」
体力を奪い尽くすような笑い声の合間に、ケイトが叫んだ。
しかし、その懇願はあっさりと無視された。ジョーはむしろ攻撃の手を緩めず、新たな冗談の連射で長女を容赦なくイジり続ける。ケイトが息を継ぐ暇すら与えず、今度はウチが参戦してきた。泥んこ遊びで顔中を泥だらけにしていたケイトの幼い頃の秘密を、ここぞとばかりに暴露し始めたのだ。
「もう十分だってば、本当に無理……っ!」
ケイトは顔を真っ赤にして繰り返した。椅子の上でモジモジと身をよじり、両太ももをピタリと密着させる。膀胱の防衛ラインが、すでに限界の境界線を越えようとしていたのだ。
抵抗は無駄だった。ジョーの口から飛び出す無数のくだらない冗談が、ケイトの腹筋への決定打となった。最も大きな笑いが弾けたその瞬間、ついにコントロールが決壊した。防ぐ間もなく、温かい液体が勢いよく溢れ出し、ズボンの生地を突き抜けて足元のコンクリートの床へとポタポタと滴り落ちていく。
途端に、ケイトはビクッと立ち上がった。笑いで真っ赤に染まっていた顔が、今度はサーッと青ざめていく。
彼女の隣にいたベリンダは、すぐさまジョーに向かって片手を上げた。夫に口を閉じろという緊急の合図だ。ママは、自分の足元にじわじわと広がる温かく湿った感触に気づいていたのだ。
部屋中の笑い声が、一瞬にして凍りついた。ケイトがこれまで必死に耐えてきた尿意は、耐え難いほどの凄まじい羞恥心へと爆発した。
「ほ、ほら見なさいよ……っ!」
目に涙を浮かべ、ワントーン高い声で怒りをぶちまける。
「パパがずっと笑わせるから……おもらししちゃったじゃない……っ!」
ケイトは両手でズボンの前を隠しながら、脱兎のごとく浴室へと逃げ込んだ。居間には、両親と親友だけが取り残され、突如として訪れた気まずい沈黙が流れる。
さきほどまでの温かな空気は、跡形もなく吹き飛んでいた。ジョーとベリンダは罪悪感たっぷりの顔で見つめ合い、ウチは服の裾をギュッと握りしめて下を向くことしかできなかった。
ほんの数秒で、居間は完全に緊張状態に陥った。一家の大黒柱であるジョーは妻を見つめ、後で娘の怒りをどう鎮めればいいのか、目で助けを求めた。
ベリンダは落ち着いた視線を返し、パパが謝罪して、あの食べ物を平和的解決のための賄賂として使うよう合図を送る。
ハッとしたジョーは、棚の方へと視線を向けた。そこには、ビーから貰ったあの鶏肉が、すでにママの手によって味付けされ、いつでも調理できる新鮮でツヤツヤな状態で置かれている。娘が出てくるのを待って時間を無駄にするわけにはいかない。ジョーは立ち上がり、すぐにその肉を調理しようと歩き出した。
しかし、二歩踏み出した、まさにその時。
バンッ!
玄関のドアが乱暴に押し開けられ、壁に激突する大きな音が響いた。入り口の敷居には、狼にでも追われてきたかのように激しく息を切らした、灰色の髪の少女が立っていた。
ヴィオラだ。髪はボサボサに乱れ、その瞳は狂ったように狭い部屋の隅々を見渡している。
「ケイト!」
ヴィオラが掠れた声で絶叫した。
その爆発音のような叫びに、ベリンダ、ジョー、そしてウチはその場に凍りついた。先ほどの恥ずかしいハプニングからの、あまりにも急激なパニックの到来に、頭の処理が追いつかない。
探している人物の姿が見当たらないと悟るや否や、ヴィオラは一直線にジョーの元へ駆け寄った。息苦しさに肩を激しく上下させながら、中年男の目の前に立つ。
「おじさん、ケイトはどこ!?」
彼女はまくしたてるように尋ねた。
ジョーは瞬きを繰り返し、ヴィオラの異常なまでのパニックを必死に理解しようとしていた。声も出せないまま、ただ手を上げ、固く閉ざされた浴室のドアを指差す。
ヴィオラがそちらへ飛び出そうとした瞬間、ベリンダがようやく我に返った。
「ヴィオラちゃん、一体どうしたの?」
しかし、ヴィオラはその問いかけを完全に無視した。自らの焦燥感で耳が聞こえなくなっているかのようだ。床を強く踏み鳴らし、浴室へと向かう。古いカーテンで仕切られているだけのジョーとベリンダの寝室とは違い、浴室にはちゃんとした木のドアが付いている。ヴィオラは硬い拳でドアをガンガンと殴りつけながら、親友の名前を叫んだ。
一方、家の外。夜の闇に紛れて一人佇んでいたタカヒロは、この嫌な胸騒ぎを誰よりも敏感に感じ取っていた。先ほど、庭を猛スピードで横切るヴィオラの姿を見ており、彼女の目に浮かぶパニックをはっきりと読み取っていたのだ。好奇心と警戒心に背中を押され、タカヒロはゆっくりと家の中へ足を踏み入れた。柱の陰に立ち、目前で起きている混乱を静かに観察する。
浴室の中。慌てて体を拭いていたケイトは、そのあまりにも乱暴なノックに苛立ちを覚えた。ドアを半分だけ開け、不満げな顔を覗かせる。だが、彼女を出迎えたのは、恐怖に染まったヴィオラの顔だった。
「ヴィオラ、どうしたのよ?急に……。」
ヴィオラは有無を言わさずケイトの右腕を掴み、強引に引っ張り出した。
さきほどのハプニングでまだ気分が落ち着いていなかったケイトは、反射的に腕を振り払う。
「ちょっと、何なの!?急にどうしたっていうのよ」
ケイトは眉を深くひそめて問い詰めた。
ヴィオラは黙り込んだ。口をパクパクと動かしているが、声にならない。瞳は落ち着きなく泳ぎ、指先はひどく震えている。彼女の焦りは、完全に限界点に達していた。
親友があまりにも苦しそうにしているのを見て、ケイトの口調が少し柔らかくなった。
「……わかった。どうしたの?」
「ここでは上手く説明できないっ!」
ヴィオラは早口で捲し立て、再びケイトの腕をきつく掴んだ。
「今日の夕方、あたしと父さんで植えた稲の種もみが……全部、急に枯れて死んじゃったの!」
部屋の隅で、タカヒロは少し目を細めた。
(……予想通りか)
先ほど、ヴィオラの左頬に乾いた泥がこびりついているのが見えていた。彼の脳は即座にフル回転を始める。たった数時間で稲の種子が大量死するという異常事態の原因は一体何なのか、素早く分析を試みる。
ベリンダが立ち上がり、浴室の前にいる二人の少女へと近づいた。仲裁役に入ろうとしたのだ。
「ヴィオラちゃん、まずは落ち着きなさいな」
ママは優しく語りかける。
「急いで行動したり、結論を急いじゃダメよ。もしかしたら、お父さんと一緒に植えた種は枯れたんじゃなくて、植える時に何かミスがあっただけかもしれないじゃない」
『植える時のミス』という言葉が、逆にヴィオラのプライドを深く傷つけた。顎がギリッとこわばる。彼女は昨日今日泥田に入り始めたような素人ではない。種まきから収穫まで、農業のプロセスを一から十まで完璧に把握している。初歩的なミスをしたという疑いは、彼女にとって屈辱的な平手打ちと同じだった。
「ごめんなさい、おばさん。でも、そんなことで悩んでる時間はないの。」
ヴィオラは冷たく言い放つと、ベリンダから再び親友へと視線を戻した。
「ケイト、一緒に来て」
ヴィオラの目に宿る、決して揺るがない決意。それを見たジョーとベリンダには、これ以上娘を引き留める理由はなかった。二人は一瞬顔を見合わせ、同時に頷く。無言の許可を与えたのだ。
許可を得たことを悟り、ヴィオラはすぐにケイトを外へと引っ張っていった。だが、二人が玄関の敷居を跨ごうとしたまさにその時。先ほどから静かに見守っていた見知らぬ青年が、ついに口を開いた。
「待て!」
柱の陰から一歩前に進み出ながら、タカヒロが呼び止めた。
「俺も行く。何か手伝えるかもしれない。」
「わ、わたしも行くぅ!」
置いてけぼりにされまいと、ウチも慌てて声を上げた。
押し問答をしている暇などない。ヴィオラは短くコクリと頷き、白髪の青年ともう一人の親友の同行をあっさりと許可した。
瞬く間に、四人の若者たちは足早に夜の闇の中へと消えていった。居間には何倍にも膨れ上がった緊張感だけが取り残され、大きな疑問符を抱えた夫婦が、静寂の中で立ち尽くすのだった。




