「ノワの悩み」
小話
「ノワの悩み」
静かな空き地。
夕方の光が、
ベンチの背もたれに長く伸びていた。
ノワはそのベンチに、
深く腰掛けている。
少し離れた場所では、
ミルが何かを追いかけていた。
落ち葉か。
虫か。
それとも、ただの風か。
ミル
「待ってくださーい!」
ノワ
「……何を追いかけてるのよ」
呆れたように言いながらも、
ノワの声は小さい。
手元には、
猫じゃらし。
――少し前。
ミル
「ノワ! ドキワクです!」
ノワ
「はいはい、今度は何?」
ミル
「少しこの猫じゃらし持ってて下さい!」
ノワ
「え、ちょっと――」
ミル
「行ってきます!」
そう言って、
ミルは勢いよく走っていった。
――回想終了。
ノワは、
持たされた猫じゃらしに視線を落とす。
細い棒。
ふわふわした先端。
ただのおもちゃ。
ノワ
「……」
ノワは小さく息を吐いた。
ノワ
「猫じゃらしなんて」
少しだけ、
猫じゃらしを持ち上げる。
ノワ
「ただのおもちゃでしょう」
風が吹く。
ふわふわした先端が、
小さく揺れた。
ノワの耳が、
ぴく、と動く。
ノワ
「……」
ノワは、
何事もなかったように視線をそらす。
けれど。
もう一度、
猫じゃらしの先が揺れる。
ノワの目が、
ほんの少しだけそれを追った。
ノワ
「……違う」
誰に言うでもなく、
ノワはつぶやく。
ノワ
「別に、反応したわけじゃない」
猫じゃらしを膝の上に置く。
けれど、
置いた瞬間。
ふわり。
先端がまた揺れた。
ノワの指が、
ほんの少し動いた。
ノワ
「……」
ノワは自分の手を見る。
人間の手。
細くて、
猫の前足とは違う。
ノワ
「猫の時は」
静かな声だった。
ノワ
「普通だったのよね」
猫じゃらしを追いかけて。
飛びついて。
前足で押さえて。
噛んで。
たまに、
夢中になりすぎて転がって。
それが楽しくて。
それが当たり前だった。
ノワ
「……なのに」
ノワは猫じゃらしを少し空に掲げる。
夕方の光を受けて、
ふわふわした先が淡く揺れた。
ノワ
「この姿だと」
少し間。
ノワ
「なんか」
ノワ
「……恥ずかしいのよね」
ノワは口元を引き結ぶ。
猫なのに。
猫だったのに。
今も、
中身は変わっていないはずなのに。
人間の姿になっただけで、
急にそれが子供っぽいことみたいに思えてしまう。
ノワ
「……別にいいじゃない」
ノワは自分に言い聞かせるように言う。
ノワ
「猫なんだから」
猫じゃらしを軽く振る。
ふわっ。
先端が弧を描く。
ノワの目が追う。
もう一度振る。
ふわっ。
ノワの耳がぴくりと動く。
ノワ
「……」
もう少しだけ。
ほんの少しだけ。
ノワは猫じゃらしを左右に揺らした。
ふわふわ。
ふわふわ。
ノワ
「……」
右。
左。
少し上。
ノワの視線が、
自然にそれを追う。
ノワ
「……何やってるのよ、私」
そう言いながらも、
手は止まらない。
ふわっ。
ノワの指が、
思わず猫じゃらしの先を捕まえた。
ノワ
「……!」
ノワは一瞬固まる。
そして、
ゆっくりと周りを見る。
誰も見ていない。
ミルはまだ遠くで走っている。
ノワ
「……見られてないわね」
ほっとした、その時。
ミル
「ノワ!」
ノワ
「!」
ノワの肩が跳ねた。
ミルがこちらへ走ってくる。
ミル
「行きましょう!」
ノワ
「今度は何処?」
ミル
「ドキワクです!」
ノワ
「だから、それは場所の説明になってないってば」
ミルはにこにこ笑いながら、
また走り出そうとする。
ノワ
「ちょっと待ちなさい!」
ミル
「はい?」
ノワは手元を見る。
猫じゃらし。
ノワ
「猫じゃらし、忘れてるってば!」
ミルは振り返った。
そして、
にぱっと笑う。
ミル
「ノワが遊んでたのを、私は取り上げませんよ!」
ノワ
「こ、これは違うの!!」
ミル
「大丈夫です! ノワもドキワクしてました!」
ノワ
「してない!」
ミル
「耳がぴこぴこしてました!」
ノワ
「見てたの!?」
ミル
「ちょっとだけです!」
ノワ
「それを見てたって言うのよ!」
ミルは楽しそうに笑って、
くるりと背を向ける。
ミル
「では、このまま追いかけっこです!」
ノワ
「待ちなさいミル!」
ミル
「捕まえてみてください!」
ノワ
「猫じゃらしの話を終わらせるな!」
ミル
「ドキワク逃走術です!」
ミルが走る。
ノワも走る。
手にはまだ、
猫じゃらし。
夕方の空き地に、
二人の足音が響いていく。
ノワ
「待ちなさいってば!」
ミル
「ノワ、速いです!」
ノワ
「誰のせいよ!」
そう言いながら。
ノワの表情は、
少しだけ柔らかかった。
猫じゃらしの先が、
走るたびにふわふわ揺れる。
それを見て、
ミルが笑う。
ノワは顔を赤くして、
さらに足を速める。
今日も日が沈む。
終わり




