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「コラテラル・ダメージ」

小話


「コラテラル・ダメージ」


━━━━━━━━━━━━━━━


夕方。


ナナの家。


夕飯の良い匂いが部屋中に漂っていた。


キッチンではナナが鍋をかき混ぜている。


ミルはその匂いに鼻をひくひくさせながら、

待ちきれない様子でノワが座っているソファの後ろをうろうろ。


ノワはそんなミルを横目に、

本を読んでいた。


ルナは静かにお茶を飲んでいる。


ナナ

「もう少しでご飯ができるわよ」


ミル

「本当ですか!」


ナナ

「その前に」


ナナはルナとアイコンタクトを取った後、

にこりと微笑んだ。


ナナ

「お風呂に入りましょうか」


その瞬間。


部屋の空気がぴたりと止まった。


ミル

「……お風呂です?」


ナナ

「そうよ」


ミルの耳がぺたんと寝る。


額に一筋の冷や汗。


ミル

「その……」


少しの間。


ミル

「お水どしゃーです?」


ナナ

「そうね」


ミル

「嫌ですーーー!!」


ノワの後ろへ隠れるように飛び退くミル。


ノワはゆっくり本を閉じた。


そしてナナと目を合わせる。


ノワ

「……」


小さく息を吐く。


ノワ

「私は遠慮しておくわ」


ナナ

「あら?」


ナナ

「どうして?」


ミルは勢いよく前へ出た。


ミル

「濡れます!」


ノワ

「濡れるわね」


ミル

「毛がどしゃーってなります!」


ノワ

「乾くまで気持ち悪いのよ」


ミル

「毛づくろいもしないといけません!」


ノワ

「それに」


ノワは自分の胸へ前足……ではなく、

手を当てた。


ノワ

「自分の匂いも分からなくなるの」


ミル

「落ち着かないんです!」


ナナは驚いたように目を丸くした。


ナナ

「そうだったのねぇ……」


ルナも静かに頷く。


ルナ

「猫はそうね」


ミル

「だから!」


ミル

「お風呂は嫌です!」


ノワ

「できれば入りたくないわ」


ナナは困ったように笑った。


ナナ

「でもねぇ」


「これからみんなで暮らすんだから」


「少しずつ慣れていきましょう?」


ミル

「うぅ……」


ナナ

「それに」


少しだけ真面目な顔になる。


「お風呂に入らない子は」


一拍置いて。


ナナ

「今日のご飯は、お預けね?」


ミル

「!!!」


ノワ

「!!」


ミル

「ご、ご飯です!?」


ノワ

「そこまでなの?」


ナナ

「みんなで気持ちよく、ご飯を食べたいもの」


ミルはナナを見る。


ご飯を見る。


ノワを見る。


忙しく視線を動かした。


ミル

「うぅぅぅ……」


ノワは静かにため息を吐く。


ノワ

「……まぁ」


「少し濡れるのは嫌だけど」


「全部濡れれば諦めもつくわね」


ルナ

「どういう理屈?」


ノワ

「私にも分からないわ」


ミル

「ノワぁぁぁ!?」


ノワ

「ご飯抜きはもっと嫌よ」


ノワ

「私達は今ご飯を貰えるだけ有難いんだから」


ミル

「そ、それは……」


少し考える。


ミル

「……」


ミル

「ミルも、ご飯は食べたいです……」


ナナは優しく微笑んだ。


ナナ

「じゃあ決まりね」


「ルナ、お願いしてもいい?」


ルナ

「うん」


ナナ

「私はその間に、ご飯を仕上げてるわねぇ」


ルナは静かに立ち上がる。


ルナ

「行きましょう」


ミル

「まだ心の準備がぁぁぁぁ!!」


ノワ

「もう諦めなさい」


ミル

「嫌ですーー!!」


夕飯を懸けた、

二匹の長い戦いが今、

始まろうとしていた。


━━━━━━━━━━━━━━━


ルナに連れられ、

三人は脱衣所へやって来た。


ルナ

「フード脱いで」


ミル

「うぅ……」


ノワ

「……」


二人は観念したように猫フードを脱ぐ。


次の瞬間。


ぽんっ。


白猫のミル。


黒猫のノワ。


二人は猫の姿へ戻った。


ルナはそのままフード姿で浴室の扉を開ける。


ルナ

「行くよ」


ミル

「にゃーー!!(まだ心の準備ができてませんーー!!)」


ノワ

「にゃ(諦めなさい)」


ルナには二匹の言葉は分からない。


聞こえるのは、


「にゃー」


という鳴き声だけ。


ルナ

「大丈夫」


ミル

「にゃーー!!(大丈夫じゃないですーー!!)」


ルナはミルを優しく抱き上げる。


ミル

「にゃ!にゃーー!!(降ろして下さいー!!)」


今にも逃げ出しそうな勢いで鳴くミルを、

下からノワが哀れんだ顔で見ていた。


そのまま浴室へ。


ノワも渋々後をついて行く。


その尻尾は地面をなぞっていた。


ガチャ。


扉が閉まる。


その瞬間。


ミルはルナの腕から飛び降りた。


ルナ

「ミル!」


そして一目散に入口へ駆け寄る。


カリカリカリカリカリ!!


前足で必死に扉を引っかく。


ミル

「にゃーーー!!(やっぱり嫌ですーー!!)」


ノワ

「にゃにゃ!(だから言ったでしょ。諦めなさい)」


ルナはシャワーを手に取る。


ルナ

「ミル」


ミル

「にゃ!?(えっ!?)」


シャーーー……


ミル

「にゃぁぁぁぁぁーーー!!!」


浴室中に悲鳴が響く。


ルナは優しくシャワーを当てながら、


慣れた手つきでミルを洗っていく。


数分後。


びしょ濡れになったミルは、


しっぽまでしんなり垂れ下がり、


床へぺたんと座り込んでいた。


ミル

「にゃ……(さっきノワが言っていた意味が分かった気がします)」


ノワ

「にゃ(嬉しくない共感ね)」


ルナ

「さて」


「次」


「ノワ」


ノワはぴくっと耳を動かした。


静かに瞳を閉じる。


ノワ(心の中)


(私は取り乱さない)


(私は取り乱さない)


(私は取り乱さない)


(私は――)


ルナ

「それ」


シャーーー……


ノワ

「にゃぁぁぁぁぁぁぁーーー!!」


一目散に入口へ飛び付く。


カリカリカリカリカリ!!


必死に扉を引っかく。


ノワ

「にゃぁぁぁぁぁぁぁーーー!!(やっぱりここから出してーーー!!)」


ミルはその様子を見つめ、


少しだけ元気を取り戻した。


ミル

「にゃ(ノワもやっぱりお風呂苦手です)」


ノワ

「にゃっ!!(今はそれどころじゃないわよっ!!)」


ルナは二匹を見比べる。


ルナ

「同じだった」


その後、

ルナは慣れた手つきで、

二匹を順番に洗っていく。


その後。


浴室には、


「にゃーー!!」


「にゃぁぁぁ!!」


という鳴き声が、

しばらく響き続けた。


一方その頃。


キッチンでは。


ナナが鼻歌を歌いながら夕飯を作っていた。


ナナ

「ふふっ」


「賑やかねぇ」


浴室から聞こえる鳴き声に、

思わず優しく微笑むのだった。


長い戦いの末、

浴室から帰還した二匹と一人。


ルナは大きなバスタオルを二枚取り出した。


まずはミル。


ふわりと包み込む。


ごしごしではなく、

優しく押さえるように水気を取っていく。


ミル

「にゃっ(あれ?)」


さっきまで暴れていたミルは、

気持ち良さそうに目を細めた。


続いてノワ。


ノワも大人しく身を任せる。


ルナ

「終わり」


ルナはバスタオルで包んだ二匹をそっと抱き上げる。


ミル

「にゃ(運ばれてます)」


ノワ

「にゃ(楽ね)」


そのまま猫フードルームへ向かった。


━━━━━━━━━━━━━━━


部屋の扉が開く。


その瞬間。


ぽんっ。


白猫だったミルは少女の姿へ。


黒猫だったノワも少女の姿へ戻る。


ルナも部屋へ入り、

ドライヤーを取り出した。


ブォォォ……


暖かな風がミルの髪を揺らす。


ルナ

「乾かす」


ミルは少しずつ表情が緩んでいく。


ミル

「気持ちいいです……」


続いてノワ。


ブォォォ……


ノワ

「……」


しばらく黙っていたが、

ふっと肩の力が抜けた。


ノワ

「これ……」


「思ったより悪くないわね」


ルナ

「うん」


髪が乾くと、

今度はブラシを取り出す。


ミル

「それは何です?」


ルナ

「ブラッシング」


ブラシが髪を優しく梳いていく。


猫耳の周り。


そして、

ふわふわの尻尾。


ルナがミルの頭頂部から背中の方へ、

流れるようにブラシを動かしていく。


ミル

「……」


「ふわぁ……」


「そこ好きです……」


思わず尻尾が左右にゆっくり揺れる。


ルナは少しだけ微笑んだ。


続いてノワ。


ブラシが尻尾を通る。


さらっ。


さらっ。


ノワ

「……」


「これ好き」


ルナ

「知ってた」


ブラッシングが終わる頃には、

二人とも毛並みはふわふわになっていた。


ミルは自分の尻尾を抱き寄せる。


ミル

「ふわふわです!」


何度も撫でる。


ノワも髪へ触れる。


さらりと指が通る。


ノワ

「……」


「なんだか」


「身体が軽いわね」


ミル

「ですね!」


ミルは腕を伸ばして、

大きく背伸びをした。


ミル

「すごくスッキリします!」


ノワ

「ええ」


「今までこんな気分になったことないわ」


ミルは嬉しそうに笑う。


ミル

「お風呂って」


「悪くないです!」


ノワも小さく笑った。


ノワ

「……うん」


「悪くないわね」


ルナは満足そうに頷いた。


ルナ

「良かった」


その時。


部屋の外からナナの声が聞こえた。


ナナ

「みんなぁ」


「牛乳入れたわよぉ」


ミルの耳がぴくりと動く。


ミル

「牛乳です!」


ミルは勢いよく部屋を飛び出していった。


ノワ

「あっ、ミル!」


ミル

「え?」


廊下へ出たミルは、

白猫の姿に戻っていた。


ノワ

「あんたねぇ」


ミル

「にゃー(えへへ)」


ルナは廊下へ出ると、


ミルへ白い猫フードを被せた。


ぽんっ。


ミルは人間の姿へ戻る。


ミル

「危なかったです!」


ノワ

「牛乳しか見えてないからそうなるのよ」


ミル

「えへへ……」


ノワは小さくため息を吐くと、


自分も黒い猫フードを被った。


ノワ

「行くわよ」


ミル

「はい!」


三人はリビングへ向かった。


━━━━━━━━━━━━━━━


リビング。


テーブルの上には、


夕飯と一緒に三つのコップが並んでいた。


真っ白な牛乳が注がれている。


ミル

「牛乳です!」


勢いよく席へ向かう。


ノワ

「そんなに急がなくても逃げないわよ」


ミル

「こういうのは勢いです!」


ナナは優しく微笑んだ。


ナナ

「実は今日」


「ルナとお話ししてた時に」


「お風呂上がりの牛乳は」


「こうやって飲むと美味しいって」


「飲み方を教えてもらったの」


ミル

「そうなんですか!」


ノワ

「そんな飲み方があるのね」


ナナ

「だから」


「みんなにも教えたくて」


ルナは自分のコップを手に取る。


ルナ

「私は後で」


「まだお風呂入る」


ルナは牛乳を冷蔵庫へ戻した。


ナナ

「分かったわ」


「じゃあ二人とも」


「見ててね」


ナナは左手を腰へ当てる。


ごくっ。


ごくっ。


ごくっ。


一気に飲み干す。


そして。


ナナ

「ぷはぁ」


ミル

「!!」


ミルの目が一気に輝く。


ミル

「かっこいいです!!」


ミルは勢いよくコップを持ち上げる。


左手を腰へ。


ナナの真似をするように胸を張る。


ごくっ。


ごくっ。


ごくっ。


一気に飲み干した。


ミル

「ぷはぁーーーー!!」


ミルは満面の笑みになる。


ミル

「最っ高です!!」


ナナ

「ふふっ」


「上手ねぇ」


ミル

「もう一回やりたいです!」


ノワ

「牛乳は一杯までよ」


ミル

「むぅ……」


ナナ

「お次は…」


三人の視線がノワへ向く。


ノワ

「……」


少し照れたようにコップを見る。


ナナ

「ノワもどう?」


ノワ

「……」


少し迷う。


そして。


左手を腰へ当てる。


ミルは目をキラキラさせながら、


ノワを見つめている。


ごくっ。


ごくっ。


ごくっ。


飲み干す。


少しの間。


ノワ

「……ぷは」


ミル

「ノワ!」


ノワ

「な、何よ」


ミル

「もっと『ぷはぁー!』です!」


ノワ

「十分でしょ!」


ナナ

「ふふっ」


リビングには、


温かな笑い声が響いていた。


━━━━━━━━━━━━━━━


ナナ

「さぁ」


「ご飯にしましょうか」


四人は席へ着く。


テーブルの中央には、


湯気を立てるホワイトシチュー。


焼きたてのパン。


彩り豊かなサラダ。


優しい香りが部屋いっぱいに広がっていた。


ミル

「いただきます!」


ノワ

「いただきます」


ルナ

「いただきます」


ナナ

「いただきます」


ミルはスプーンでホワイトシチューをすくう。


ふぅー……


ふぅー……


息を吹きかける。


ぱくっ。


ミル

「!!」


ミルの目がきらきらと輝く。


ミル

「美味しいです!」


ナナ

「良かったわぁ」


ノワも一口食べる。


しばらく味わうように噛み締める。


ノワ

「……」


「美味しいわ」


ナナ

「本当?」


ノワ

「ええ」


「すごく好きな味」


ナナは嬉しそうに微笑んだ。


ルナも静かにホワイトシチューを口へ運ぶ。


穏やかな時間が流れる。


しばらくして。


ルナがぽつりと呟いた。


ルナ

「今日は頑張った」


ミル

「はい!」


ルナ

「最初」


「ミル」


「扉カリカリしてた」


ミル

「うっ……」


ルナ

「その後」


「ノワもカリカリしてた」


ノワ

「……」


ミル

「えへへ!」


ノワ

「笑わない」


ルナ

「しかも」


「ノワの方が長かった」


ノワ

「言わなくていいわよ!」


ミル

「あははは!」


「ノワも必死でした!」


ノワ

「あなたもでしょう!」


ミル

「ミルは最初から必死です!」


ノワ

「胸を張ることじゃないわ!」


ナナは思わず吹き出した。


ナナ

「ふふっ」


「二人とも頑張ったわねぇ」


ミルとノワは顔を見合わせる。


少し照れくさそうに笑った。


ナナ

「でも」


「さっき、お部屋で」


「お風呂って悪くないって言ってたでしょう?」


ミル

「はい!」


ミルは満面の笑みで頷く。


ミル

「お風呂!」


「大好きになりました!」


ノワも優しく微笑む。


ノワ

「正直」


「こんなに気持ちいいなんて思わなかったわ」


ルナ

「良かった」


ナナ

「これで安心ねぇ」


四人は顔を見合わせる。


そして。


思わず笑った。


夕飯の温かな香りと、


楽しそうな笑い声が、


ナナの家へ優しく広がっていく。


こうして。


ミルとノワは、


初めて「家のお風呂」の心地よさを知ったのだった。


小話


「コラテラル・ダメージ」


終わり

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