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跡地  作者: 陸奥こはる
最終章―前途は多難でした。ですが頑張ります。―
14/15

最終話:1/2

 小鳥の囀りが聞こえる早朝に、アルマは起床した。


「……」


 ごしごし、と瞼を擦りつつ、なんだか、アルマは言いようのない違和感を持つ。ぐるり、と周囲を見回した。すると、反対の壁際にあるベッドの上で、寝息を立てて横になっているヴァルジャンがいた。


「まだ寝て――」


 ――アルマは、そこで、ハッとした。違和感の正体に気づいた。そう、ヴァルジャンが寝ていたのだ。

 ティアハーンの家にいた時から、今に至るまで、アルマはただの一度もヴァルジャンが寝ている所を見た事が無かった。

 自分が目覚める前に起きているし、自分が休んだ後に休み始めるのがヴァルジャンだ。

 ゆえに、この光景は初めてのものであった。

 なんとも言えない、不思議な気分になる。

 アルマは、物音を立てないようにベッドから降りると、ヴァルジャンの寝顔を見に行った。滅多に視れない貴重な姿だから、折角なので拝もうと思ったのである。


「……」


 ヴァルジャンは20代も半ばだ。

 いわゆる”大人の男”である。

 だが……こうして寝入っている横顔には、まだ微妙に、子どもの頃の面影が残っているような、そんな気がアルマにはした。

 アルマは、ヴァルジャンの小さい頃を知らない。だから、あくまで、”気がした”だけだ。


「……不公平よね」


 二人の出会いは、ヴァルジャンが16歳で、アルマが8歳の時だ。

 つまり、ヴァルジャンはアルマの幼少を知っているが、アルマはヴァルジャンのそれを知らないのである。


 ヴァルジャンの子ども時代を知るユキとの関係に対して、あれだけ過剰なぐらいの反応を示したのも、発端はそれだった気がする。


 自分が知らない彼を知っている。自分の割り込めない絆で繋がっている。そんな相手がいる事実は、ひどい息苦しさを感じさせるものだ。


 まぁ、アルマの思っていたような関係では無さそうだと、そこまでの強い繋がりは無さそうだと、紅茶を頂いた時に、そんな雰囲気なのを感じて落ち着いたが……。


「……」


 無防備なヴァルジャンを見ていたら、なんだか、急に胸が締め付けられるような思いに駆られた。

 だから、アルマは、そっと唇を近づけると、「今なら気づかれない」として、ヴァルジャンの頬に浅く押し当てた。


 ――あなたが好きよ。愛してる。そんな思いを込めながら。唇同士にしなかったのは、それは、いつかヴァルジャンの方からして貰いたいからだ。唇を重ねるのは、求められた時が良い。


「ふふっ……」


 思えば、一体いつの頃からだろうか。

 アルマが、ヴァルジャンに、強く”男性”を意識するようになったのは。少なくとも、出会った当初は、むしろ敵対的に思っていた気はする。


 元々アルマは、先天性魔力欠乏症、と言う事もあって、他の子女よりも一段下という扱いを受けていた。

 父親のティアハーン公爵だけは、それでも可愛い娘の一人だと言っていたが、それ以外の人物の目は冷ややかであった。

 侍女も、姉妹も、親戚も……皆がアルマの事を”駄目な子”とでも言いたげな、そういう視線を送っていたのだ。


 貴族が魔術を扱えなくても、生活上や実務上には何らの問題は無く、実際に、貴族にはそこまで魔術を習熟した者はいない。

 そもそも、使える人間を雇えば良いだけなのだから、無理に熟達する必要も無い。


 ただ、嗜みとして、魔術は幾らかは扱えるものがほとんどであった。いわゆる教養に含まれているのである。そこそこ凄い魔術を使えれば、驚かれて賞賛される時もある。

 そして、ゆえに、皆が一様に嗜むその教養に触れる事すら出来ない――それも病気ゆえに永遠に――と言うのは、軽蔑される要因足りえてしまったのだ。


 裏で、欠陥子女、とまで言われた事もあった。


 子どもは敏感だ。だから、まだ小さいアルマも、物心つく頃から、周囲のそんな自分への評価を知っていた。

 そのせいで、毎日が鬱屈していた。

 自分を見て欲しくて、駄目な子なんかじゃないよって伝えたくて、でも誰も真面目に話なんて聞いてくれない。

 だって、欠陥がある子に真面目に接しても、何の意味もないし、使用人たちにとっても、時間の無駄で職務実績にもならないから。


 アルマは、「私はここにいるんだよ」って伝えたかった。「話を聞いてよ」って言いたかった。

 だから、何度も”悪戯”を行った。

 そうすれば、こっちを見てくれると思ったからだ。

 でも、その結果として得られたものは、”悪童”という蔑称のみであった。欠陥がある上に、手間もかかるとんでもない”悪童”だと、そう言われた。


 ――ヴァルジャンが来たのは、そんな時だ。この人が、自分の新しい執事になるのだ、と。


 アルマの執事は、ヴァルジャンの前にもいた。だが、全員が辞めた。度重なる”悪戯”に耐え切れなくなって、だ。

 どうせこいつも同じだろう。ちょっとイジめてやれば、すぐに音を上げて、辞めるに決まっている。”私”の事を、見ようともしない他の連中と、同じだ。


 アルマは、そう思っていた。

 だが……不思議な事に、ヴァルジャンはどのような悪戯を受けても、何も変わる事なくいつも通りの調子で接してくる。

 アルマが、先天性魔力欠乏症である事も、特に気にした様子が無かった。”特級”とか言う、魔術士の頂点に君臨する肩書を持っているにも関わらず、だ。


 ある時に、街中で見かけたイジメっ子を、殴った時があった。弱いものイジメは嫌いだ。持つ者が持たざる者をいたぶる様は、自分の境遇と重なるからだ。


 でも、こういう事をすると、周りの人間は『まぁなんて野蛮』と言い出す。だから、この時アルマは、ヴァルジャンもそのような叱責をしてくるだろうと、そう思っていた。


 しかし、実際は違っていた。


「……正しい事をされましたね」

「……おこらないの?」

「なぜ、怒るのですか? 悪いことを止めたのですから、今のことは、むしろ誇りに思うべきです。ただ、怪我をされると心配になりますので、次からは私を頼って下さい」


 まだ小さかったアルマは、ヴァルジャンを見上げていた。そこにあったのは、向日葵みたいな、優しくて穏やかな笑顔だった。


「さぁ、行きましょう。お嬢様」


 そう言って差し出された手を握り返すのに、何の躊躇いも無かった。少しだけひんやりとしていたけれど、それは、ヴァルジャンが白手袋をしていたせいだ。

 でも、暖かくなった。

 手ではなくて、心が、温かくなった。


 この人は”私”を見てくれている。

 そう、思った。

 ムカデを背中に入れられても、水瓶を放り投げられて水浸しになっても、侍女の下着を勝手にポケットに突っ込まれても、ケーキを顔面にぶつけても……この人は、真剣に私と向き合ってくれた。


 この人は、他の人とは何か違う気がする。ちゃんと真っすぐに見てくれる。”私”の考えた事、思っている事、伝えたい事、どのような形でそれを現しても、何もかもをきちんと受け止めてくれる。


 そう思ったら、”悪戯”なんか、くだらないと思うようになった。そんな事よりも、自分の思う”正しい”の為に動きたくなった。私自身が思った”正しい”をすると、この人が、喜ぶから。


 徐々に”悪戯”は減って行った。

 そして、代わりに、アルマは自分が正しいと思う事をするようになっていった。


 もっともそれは、ヴァルジャンを除く周囲は、新たな悪戯だというような風にしか見なかったのだけれども……しかし、アルマには、周囲の評価はもう関係が無かった。

 この時にはもう、アルマにとっての大事は、周囲なんかではなくて、ヴァルジャンになっていたから。


 アルマは、ヴァルジャンから沢山のものを与えられたと思っている。それ所か、いつも、支えてもくれる。

 国外追放の件もそうだ。

 自分が勝手に決めた事なのに、ヴァルジャンは、それでもついて来てくれると言った。お金も何もない、ただの世間知らずな小娘になってしまった自分を、それでも支えてくれると言った。

 ……いつも、貰ってばかり。でもそれは、不公平で”正しく無い”ことだ。だから、私も、ヴァルジャンに何かしてあげたい。


 アルマは、気づけば、今では、そうした事を考えるようになった。そして、あるものをお返しとして用意する事にした。


「……ねぇヴァルジャン。いつでも、求めて良いのよ。私をあげるから」


 用意したものと言うのは、”自分自身”である。

 が、しかし、だ。

 それはそれで、求められるというのは、アルマにとっても嬉しい事であるのだ。そんな、見返りや期待にも似た紐がついたそれは、果たしてお返しと呼んでも良いのか……?


 まぁともあれ、寝息を立てるヴァルジャンの首筋を、アルマは、その細い指先で優しくなぞる。

 それから、もう一度だけ、今度はヴァルジャンの首筋に口づけをした。

 今度は少しだけ跡がつくように、甘噛みするように肌を吸った。ヴァルジャンの首筋に、薄っすらとアルマの唇の跡がつく……。


※※※※


 世間は、もう、昼下がりになっていた。

 朝方にはユキも仕事に出かけているので、今、この屋敷にいるのは、ヴァルジャンとアルマだけだ。


「さて、お嬢様」


 ふと、ヴァルジャンが、どこかから紙束を持って来た。かなりの枚数だ。非常に厚い。アルマが、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 

「……な、何かしら? それ」

「――仕事を探しましょう。求人票を持ってきましたので」


 これら全て求人票……らしい。

 確かに、一般人として生活をするのならば、仕事は絶対にやらなければならない。


「この町の全ての求人を集めました。お嬢様の興味が引くようなものや、合いそうなものを、この中から探しましょう」


 ヴァルジャン的には、選択肢を増やしたかっただけのようだ。しかし、アルマは思わずポカンと口を開けてしまった。

 市井で生活の糧を得ようとすると、まず、選ぶこの段階からして大変だとは。

 思わず、溜め息が出そうになる。

 と、その時だ。

 アルマは、ヴァルジャンの首筋に、自分がつけた”跡”がまだ残っている事に気づいた。なんだか嬉しくなって、妖しく「ふふっ」と笑うと、それから、自らの下唇を薬指でなぞった。


「……?」


 ヴァルジャンは、一瞬だけ、今まで”お嬢様”であったアルマの顔つきが、急に”女”になった気がした。

 大人びたように見える、と言えば良いのか。

 だが、それは僅かなほんの一瞬の事だ。

 瞬きをした間に、アルマはいつもの”お嬢様”の顔に戻っていた。


 ――気のせいか。


 ヴァルジャンは、自分の思い過ごしだと結論づけて、求人票を種類ごとに分け始める。

 ところで、そういえば、朝起きてから微妙に首筋に違和感がある。


「……寝違えましたかね」


 掌で首を抑えながら、ヴァルジャンは、そんな独り言を零した。

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