タイトル未定2026/07/02 02:35
市役所の昼休み。
市役所勤務の朝倉しのぶは、休憩室で同僚三人と、お弁当を食べながら昼休憩を取っていた。
朝倉しのぶ。
マスターの父親、麻生の友人朝倉の一人娘。
しのぶは結婚していたが、子供ができない身体と判明し、その途端相手から離婚を切り出された。
実家に出戻ったしのぶを父親の朝倉は不憫に思い、友人の麻生を通してしのぶはマスターとお見合いをした。
お見合いがきっかけで、マスターはしのぶと知り合った。
ある日、仕事の用でマスターが市役所に行った時、しのぶと再会をした。
その夜、仕事終わりにマスターとしのぶは食事をした。
マスターと一緒に食事をしたことが、しのぶの中でいつまでも離れない。
お弁当を食べ終わると、同僚の一人が言った。
「朝倉さん、職場で背の高い男性と話をしていた時があったでしょ。あの男性誰?」
「そうそう、私も気になっていた!あのかっこいい男性」
「父親の、友人の息子さん。仕事の用事で此処に来ていたわ」
「へぇ〜昔から、知っていたの?」
「ううん」
「そうなんだ。良いなぁ、あんなかっこいい男性と知り合いなんて」
それまで黙っていた、同僚の一人が言った。
「職場の男性は、ハズレばっかだもんね」
思わぬところで、マスターの話題になり、しのぶはマスターに会いたくなっていた。
……どうやったら、マスターに会えるんだろう。
しのぶは、マスターが昼間診療所で仕事をしていることを思い出した。
……診療所なら、ネットに出ている。どうして、このことに気が付かなかったんだろう。
目の前の同僚二人は、違う話題で盛り上がっていた。
しのぶは携帯を出すと、マスターが勤務をしている診療所を検索した。
仕事を終えたしのぶは、早めに市役所を出た。
電車とバスを乗り継いで、やっとマスターが勤務をする診療所にたどり着いた。
辺りは、すっかり真っ暗だった。
診療所は、明かりが灯っていた。
駐車場には、何台かの車があった。
まだ、勤務中と言うことは明白だ。
父親から、マスターは自転車通勤をしていると聞いていた。
近くにコンビニがあったが、自転車で帰宅をするマスターを、見逃す恐れがある為、診療所の側でマスターが出てくるのを待っていた。
どれくらいの時間が、経ったのだろう。
一台また一台と駐車場から、車が出て行く。
やがて診療所内は暗くなり、駐輪場に入るマスターが見えた。
しのぶは、急いでマスターのもとに駆け寄った。
「麻生さん!」
顔を上げたマスターは、驚き顔になった。
「朝倉さん……どうして、ここへ」
「もっと……もっと麻生さんに会いたくて」
しのぶはマスターをじっと見ていたが、マスターは普段通り自転車の鍵を解除すると、駐輪場から自転車を出した。
「もう、遅いですよ。女性一人では危険ですよ」
「じゃあ、休みの日にゆっくり会ってくれますか?」
小柄でおとなしい雰囲気のしのぶが、まさかこんな言葉を口にするなんて。
マスターは驚きながら、自転車を引きながら歩きだした。
しのぶも、マスターの隣を歩いた。
「休みの日は、ゆっくりしたいんですよ」
「じゃあ、一緒にゆっくりしませんか?」
「大門がいます」
「もちろん、大門君も一緒に」
手強いしのぶに、マスターは苦笑をして、とうとう根負けをした。
「朝倉さんには、かなわないですね。今から、カレー専門店の店に行きますか?」
「今から?良いんですか?」
「あのカレーを思い出したら、食べたくなりました」
「カレー、美味しかったですね。今夜は、違うカレーにしようかな。あの、肉がゴロゴロたくさん入ったカレーにしようかな」
「意外に、肉食なんですね」
「やだぁ」
マスターの言葉に、しのぶは照れていた。
繁華街にあるカレー専門店に着き、マスターは店のドアを開け、しのぶを先に店の中に入れた。
カレー専門店は混んでいて、スタッフに案内された席は、ちょうど二席が空いた、カウンターの真ん中の席だった。
カウンター席から、調理をしている姿がよく見えた。
しのぶと向かい合うことなく食事ができるので、マスターは内心ホッとしていた。
マスターは、スタッフが来るなり言った。
「先にビールを、お願いします」
マスターの隣では、メニューを手にしていたしのぶが、驚き顔でマスターを見ていた。
ビールとグラスが運ばれ、マスターはグラスにビールを注ぐと、勢いよくビールを飲んだ。
グラスが空になり、すぐビールをグラスに注ぎ、半分程飲むとマスターは息をついた。
隣でマスターを、じっと見つめていたしのぶが言った。
「麻生さん、お酒飲むんですね」
「これでも、量は減りました」
「初めて会った時と、麻生さんの印象が、だいぶ変わりました」
「そうですか?」
「麻生さんって常に敬語だし、物静かでおだやかだし、ビールを飲む姿なんて想像できませんでした」
「お酒は飲みますよ。以前は、タバコを吸っていたし」
「そうなんですか!信じられません」
ビールをグラスに注いで飲んだマスターは、小さく笑った。
「麻生さんは、誰に対しても敬語ですね」
「幼い頃から、教え込まれました。後、大学時代バイト先で厳しく言われました」
「厳しい家庭環境で、育ったんですね」
……おまちさんが、厳しかったんですが。
マスターは、胸の中でつぶやいた。
マスターの野菜がたっぷり入ったカレーと、しのぶの肉々しい肉がたくさん入ったカレーが運ばれた。
カレーと同時にナンがついてきた。
ナンはお土産用にもできることを知り、マスターはカレーを運んできたスタッフに、お土産用のナンを頼んだ。
早速マスターとしのぶは、カレーを食べ出した。
カレーを食べていたマスターの手が、少しずつ止まった。
肉々しい肉がたくさん入っているカレーを食べていたしのぶは、マスターの視線に気がついた。
「やだ、何ジロジロ見ているんですか?」
マスターは、何も言わずゆっくりカレーを食べ出した。
カレーを食べているしのぶを見て、食リポするように味わいながら楽しく食べる流花を、マスターは思い出していた。
カレー専門店を出たしのぶは、真っ先にマスターに言った。
「また、誘っても良いですか?」
「もう、今夜限りにしてください。ボクは、帰ります。おやすみなさい」
素っ気なく言ったマスターは自転車に乗ると、思い切りペダルをこぎ出した。
マンションに着くと、マスターは大門の部屋のドアをそっと開けた。
ベッドでは、大門が静かに眠っていた。
部屋のドアを閉めリビングに入り台所に行くと、台所ではかすかにカレーの香りが漂っていた。
冷蔵庫の扉に、メモ書きが貼られていた。
(カレーを、作りました。食べてね)
冷蔵庫の扉を開けると、冷蔵庫の中に片手鍋が入っていた。
片手鍋の中には、カレーが入っていた。
マスターは冷蔵庫の扉を閉め、リビングに置いてある大門専用の棚を開けた。
棚には教科書やゲーム機の他、A5サイズのノートがあった。
大門の要望で、bar「ジェシカ」の料理人たきこが書いた料理レシピのノートだった。
ノートをめくると、一番最初のページにカレーのレシピが、書いてあった。
……大門。このレシピを見ながら、カレーを作ったんですね。
マスターは、ノートを棚にしまった。
台所に行き、マスターは冷蔵庫の扉を開けた。
……明日の夜、カレーを一緒に食べましょう。
マスターは、カレー専門店で買ったお土産用のナンを片手鍋の隣に置いて、冷蔵庫の扉を閉めた。




