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バグ喰らいの境界線  作者: シオン


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3/7

神ゲーの地面は、ちゃんと硬い


灰人が最初に感じたのは、土の匂いだった。

次に風。

頬を撫でる冷たさと、草を揺らす音。

目を開けると、そこは丘の上だった。

遠くに石造りの街が見える。

白い城壁、青い川、橋、風車、畑、煙を上げる村。

空には雲が流れ、陽光が草原にまだらな影を落としている。

「……おお」

思わず、それだけ漏れた。

現実に近い、という表現では足りない。

視界の情報量だけでなく、距離感と空気の湿度まで、ひどく自然だ。

足元の草を踏めばちゃんと倒れ、持ち上げようとすれば抵抗がある。

石を拾えば重さが指先に乗り、遠くで馬がいなないた。

多くのVRが“高度な映像”で終わるのに対し、これは明らかに世界の挙動から作られている。

「たしかに、神ゲーと呼ばれるだけある」

その言葉を聞きつけたように、視界端へシステムログが一行だけ走った。


観測者補正:周辺情報の要約を開始します。


「は?」

次の瞬間、草原のそこかしこに、ごく薄い光の線が浮かんだ。

獣道。

人がよく通る斜面。

最近踏み荒らされた箇所。

遠くの木立に続く不自然な折れ線。

さらには、街道の脇で誰かが一度だけ立ち止まった痕跡めいた色の揺らぎまで。

灰人は数秒、黙った。

「……おいおいおい」

普通のUIではない。

マップ表示でも、探索アシストでもない。

これはまるで、その場に残った“記録”を視覚へ翻訳しているような表示だ。

剣士が剣筋を学び、弓手が風を読み、魔術師が魔力を見るように。

自分だけはこの世界の“痕跡”が見えている。

「クソ職どころか、意味不明職じゃねえか」

灰人は最も濃く残っている線を一つ選び、丘の斜面を下った。

街道へ向かう一般ルートではない。草むらを横切り、小さな岩場を抜け、一本だけ傾いた木の脇を通る。

すると、そこにあった。

斜面のえぐれた先、小さな半洞窟。

普通に歩けば視界に入らない位置に、誰かが隠した木箱が埋まっている。

灰人はしゃがみ、蓋を開けた。

中に入っていたのは錆びた短剣、乾パン二枚、そして薄い銅板。

銅板に触れた瞬間、ログが出る。


断章取得:旅人の記録片【001】

“道は正しいほど、人目にさらされる”


「はい、好き」

開始数分で、すでに好きだった。

箱の中身自体は大した価値ではない。

だがこのゲームは、わざわざ“外れた行動”をしたプレイヤーへ、物ではなく意味のある痕跡を渡してきた。

しかも、それをプレイ開始直後にだ。

「なら、正規ルートはもっとつまらん可能性あるな」

灰人は立ち上がり、今度は街道とは逆方向へ向かった。

普通なら街に入る。

チュートリアルを受ける。

武器を買う。

クエストを受ける。

でも灰人は知っている。

世界が本当に面白いのは、

**“想定された手順から外れた瞬間にどう反応するか”**だ。

丘を下り、林へ入る。

獣道らしき細い筋がいくつも見える。その中に、人のものとも獣のものともつかない、奇妙に歪んだ痕跡があった。

それだけ、色が違う。

灰人はその線を目で追う。

草が過去に押し倒された痕。

枝の一部が古く折れている。

地面には窪み。

だが歩幅が不自然だ。生き物の移動というより、何かが引きずられたような。

「プレイヤーか? NPCか? イベントか?」

痕跡は林の奥へ続いている。

普通なら初期レベルで入るべき場所じゃないと分かる。

だが分かるから何だというのだ。

灰人は躊躇なく進んだ。

十分ほど歩くと、木々の間が開け、崩れた石造りの祠が現れた。

蔦に覆われ、半分沈んでいる。

チュートリアルの範囲外感がすごい。

そして祠の前には、一体のNPCが座り込んでいた。

黒い外套。

顔は見えない。

手には壊れたランタン。

灰人が近づいた瞬間、そのNPCはゆっくり顔を上げた。

目が合う。

その瞬間、視界上部に赤い警告線が走った。


想定外接触を検知

観測権限の使用履歴を確認中――


「っは?」

警告線は一瞬で消える。

代わりに、NPCの頭上へ奇妙な表示が浮かんだ。

名前不明/分類不明

状態:観測されることを想定していない

灰人は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

この手の文言は普通、プレイヤーに見せるものじゃない。

NPCは、こちらを見たまま低く口を開く。

「……なぜ、お前には見える」

風が止んだ気がした。

「質問に質問で返すのは良くないな」

灰人は笑った。

怖くないわけではない。

だが、それ以上に心臓が高鳴っている。

「こっちも聞きたい。

お前、何者だ?」

黒衣のNPCはしばらく黙り込み、やがてランタンを握り直した。

「なら一つ、選べ」

その声はさっきまでのNPC的な感情の薄さではなかった。

迷いと警戒のある、人間みたいな声だった。

「街へ戻るか。

それとも、記録の外へ来るか」

同時に、灰人の視界へ選択肢が現れる。


A:近くの街へ向かう(推奨)

B:黒衣の人物へ同行する(非推奨)

C:この選択肢を誰が表示しているのかを問う


灰人は、声を立てて笑った。

「最高だろ、このクソみたいな極上ゲーム」

普通のプレイヤーならAを押す。

少し変わった奴ならBを押すかもしれない。

だが真波灰人は、そんな二択で満足しない。

彼は迷わず、三つ目を選んだ。

C:この選択肢を誰が表示しているのかを問う

空気が凍った。

黒衣のNPCの目が見開かれる。

同時に、世界のどこか遠くで、何かが軋むような音がした。


規定外応答。

観測者ID:MNM-HITO を再評価します。

警告:世界層への不正接近の可能性。


灰人は、そのログを見て、ゆっくり口角を上げた。

ああ、そうか。

このゲームには、裏がある。

隠し要素なんて生ぬるい。

攻略サイトの餌になるレアクエストでもない。

もっと深いところで――

世界そのものが、プレイヤーに知られたくない何かを抱えている。

「いいね」

灰人は一歩、祠の影へ踏み込んだ。

「やっと、壊しがいが出てきた」


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