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第5話:最終確認視聴(岡島彩羽)

 午前中、GAIALINQ本社の広報室。

 私の机の上に、二つのBlu-rayケースが並んでいた。

 白い付箋に、整った字でメッセージが添えられている。


「放映版と、ディレクターズカット版の二本をお送りします。

 放映版は、来週の土曜21時放送予定の最終確認用です。

 ディレクターズカット版は、もし可能であれば――

 一ノ瀬COOの義妹さんを含めた関係者の皆さまでご覧ください。」


 ――北沢澪さん。


 私は短く息を吐いた。

「……今回は、COOの義妹さんがいらっしゃならいので、放映版の方をかけます。

 視聴チェックとしてご覧ください」

 

 部屋の照明が落とされ、大型モニターが青く光る。

 再生ボタンを押すと、タイトルロゴが静かに浮かび上がった。


(放映版完パケ)

■OPN

[SFX: 朝の環境音/小さな風]

[テロップ]『プレイバック ― 一ノ瀬直也の素顔』

[CU: 校門プレート/逆光の朝]


■澪・Nナレーション

「この番組は、7年前には同じ教室で机を並べた同級生――一ノ瀬直也を、もう一度彼の“原点”から見つめ直す記録として私自身が企画したものだ。

 けれど、取材が始まってすぐに気づいた。

 彼が今いる場所は、もう誰の記憶とも重ならないほどに遠い場所に行ってしまっている事に」


■ブロックA:母校・再会

[CAM1: 校門/黒いセダン停車]

[BGM:A WINTER STORY(Love Letter ORIGINAL SOUND TRACK)]


直也

「……久しぶり、澪」

澪 

「うん。6〜7年ぶりになるのかな……」


澪・N

「カメラを回すと、言葉が整いすぎて聞こえる。

 旧友としての再会なのに、すでに “公の人” としての一ノ瀬直也がそこにいた。」


[CAM2: 教室前・旧友の輪]

友人A

「直也、変わらないなぁ!」

友人B

「ほんとに。あの頃から、私たちの学年の中でもずば抜けて頭良かったし、もう将来決まってた感じだったもんね。」

友人C

「ニュースで見たよ。GAIALINQの責任者?になっているんだっけ。なんか世界的にすごいことしてるんだって?」


■澪・N

「“覚えている” ――そう言いながら、みんなの記憶の中の彼は、すでに“今の直也”の光で上書きされていたのだ。」


[CAM3: 教室IN/恩師カットイン]


渡辺先生

「いやぁ、一ノ瀬くんは勉強は出来たから、社会人として大成するだろうとは思っていたけれど、まさか、こんなに立派になるとはなぁ!」


[INSERT: 新聞コピー“GAIALINQ COO 一ノ瀬直也”]


渡辺先生

「授業中、よく黒板の数式を直されたなぁ。

 ……あれ、先生ちょっとイラッときていたんだぞ。」

直也

「すみません、あの頃は……」

渡辺先生

「いやいや、いいんだ。やはり才能っていうのは、やっぱり学生時代から、否応なしに出るんだよなぁ。

 何れにしても、今、世界の舞台で活躍してるって、すごいことだよ。」


■澪・N

「 “立派になった教え子” ――そういう言葉が、更に彼を遠くへ押し出していくように私には見えた」


■ブロックB:体育館・講演(第3話素材)


[WIDE: 体育館満席/スポットライト]

直也「皆さん、こんにちは」


[MCU: ハンドマイク/ゆっくりと]


直也

「私は今、GAIALINQというプロジェクトに関わっています。

 地熱発電とAIデータセンターを組み合わせて、地球環境を守りながら新しい産業を育てる――そんな新しい試みです。」


澪・N

「まるで台本のように整った言葉。

 その声が響くたびに、また新しい “神話” が上書きされていくのを感じた」


[REACTION: 生徒たちの憧憬・教師の頷き]


[beat/口調やわらぐ]

直也

「でも、私も皆さんと同じように、この学校で悩んで、迷って、いろいろと失敗もしてきました。

 数学の授業で先生が書かれた数式について、その間違いを指摘してムッとされたり。

 放課後の図書館で時間を忘れて本を読んで、下校時間をとっくに過ぎていたので、見回りの先生に怒られたり。

 あとは、当時お付き合いしていた女の子との待ち合わせ時間を忘れたまま、数学の問題に没頭していて、その子に滅茶苦茶怒られたり……。

 でも、そういう時間があったからこそ、今があります。」


[SFX: 会場の笑い/拍手]


澪・N

「笑いが起きる。

 でも私は、笑えなかった。

 ――彼はもう、自分自身が本当は抱えている “弱さ” を、他の誰に対しても見せない。

 もう、見せることを完全に諦めてしまっているように思えた」


■ブロックC:屋上・定点


■澪・N

「私は必死だった。

 私には、もう彼が限界を超えているように思えたからだ。


 私が知っている等身大の一ノ瀬直也は、世界的な雑誌や新聞、テレビ等で喧伝されるような、スーパーマンではなかったのだ。

 それなのに、そうした過大な期待が彼を蝕んでいるようにしか思えなかった。

 でもその原因はおそらく彼自身が、自分に対して強いている事にある。

 それを私は彼に気づいて欲しかった。

 だから無理を言って彼を引き止め、撮影クルーにも外してもらい、彼と二人だけで、二人にとって思い出深い学校校舎屋上に誘い出した」


[EST: 校舎屋上・定点カメラ赤ランプ/夕日]

[BGM:HE LOVES YOU SO(Love Letter ORIGINAL SOUND TRACK)]


澪 

「……最後に、屋上だけ。

 ここ、もう少しだけ撮らせてください」


■澪・N

「等身大の一ノ瀬直也を撮れる場所は、ここしかなかった。」


[風音/フェンスきしみ/二人だけ]

澪 

「ここ、覚えてる?」

直也

「忘れるわけないよ。……澪との逢引によくここ使っていたな」

澪 

「ふふっ……それは覚えていたんだね」

直也

「ああ……」


(間)


澪 

「ねぇ……私は中学時代からずっと直也くんを見ていたから分かるの。

 高校一年生の三学期くらいからかな。……もう、ずっと“走ってる”なって」


直也

「別に生き急いでいるつもりはないよ。

 でも、走らなければ、間に合わないことが多すぎる。

 立ち止まったら、もう前に進めなくなるかも知れない。

 もう高校生の頃から、オレは、もうずっと、そんな生き方しかできなくなってしまっていたよ」


■澪・N

「彼の言葉は、まるで彼自身が課している “自罰” のようにすら聞こえた。

 誰も、彼にブレーキをかけようとしないまま、ここまで来てしまったのだ

その理由は、私にはなんとなく分かっていた。

 契機となったのは、彼のお母さんが亡くなった事。


直也

「澪も知ってのとおり、オレの母親は高校一年生の春から入院していた。

 対処する為の薬の種類もそんなに多くない。

 でも投与された薬が最初は効いてくれたから、その夏に一度は回復した。

 夏休みには退院して自宅に戻ってきたよ。


 でもその秋に再発して肺に転移して……もう病状は絶望的になった。

 あの年のクリスマスには、もう母は死を覚悟していたんだと思う。

 そして見舞いに来ていたオレに “立派になってね” って、言ったんだよ。

 その年に暮れに母はなくなった。

 最後は意識がずっと薄れたままだったから、その “立派になってね” が、事実上、

オレにとっては最後の言葉になってしまったんだよ。


 その言葉が、ずっと……今でもオレの中に残響となっている」


「“立派になる” って……直也くんにとってどういう意味なの?」


直也

「オレもずっとそれを考え続けてきた。

 まだそれが何なのかは全然分からない。

 ただ、今は……それに到達点は無いんじゃないかと思っている。

 そこにゴールなんかは無い。

 進めば、またその先に次の道が見える。

 だから、また進むしかない。


 休もうとしても、それで本当に良いのか自問自答してしまう。

 それでは立派とは言い難いのではないのか。

 亡くなった人から託された言葉に応えられていないのではないか。

 そうやってオレ自身を駆り立てるものがあるんだよ。」


「それじゃあ、いつか直也くんが壊れちゃうよ!

 体が壊れなくても、直也くんの心が壊れてしまう。

 ……もう随分無理をしている。

 必死にそれを取り繕っているけれど、私には分かるの。

 すごく疲れていて、辛そうにしか見えない。

 このままだと絶対に直也くんが壊れる」


直也

「……澪。オレは逃げることができない人間なんだよ」


「できるとかできないとか、そんな話じゃない!

 もっとゆっくり生きなきゃ。

 もっと自分を大事にしてよ。

 あなたを走らせてる人たちは、立ち止まらせる勇気を持ってないだけ!


 無責任に “すごい” “天才” 、挙句の果てには “現象” って褒め上げて、あなたが壊れたら、これまで賛美していた筈の人達が、今度は嘲笑したり期待外れだと蔑むような事を勝手に、好き放題に言い出すんだよ!


 メディアもそう。

 投資家もそう。

 きっとテレビを見ているだけの人たちなんて、皆そうだよ。

 そんな奴らの期待に応える必要なんて――直也くんには全く無い!」


(中略なし)


澪 

「私は、直也くんが本当はそこまで強くない事を知っているの。

 私も直也くんのお母様が亡くなられた後、お葬式に参列していた――」


(中略なし)


澪 

「……その時、なんて言っていたか、覚えている?」


直也

「覚えているよ。

『バカだなぁ、オレは。もう自宅に戻っても、誰も待っていないのに』って――そう言ったんだよな……」


澪 

「そうだよ。

 そしてそう言って――あなたははじめて泣いたの。

 直也くんが涙を流してくれて……私はすごく安心した。

 そしてあなたを抱きしめたんだよ」


(中略なし)


澪 

「お母様のその言葉は、本当は直也くんの未来への “祈りの言葉” だった筈なのに、今は直也くんへの “呪いの言葉” になってしまっている。

 そんなのは、お母様が本当に望んだ事じゃない。

 そんな “立派さ” を我が子に望むような母親なんかいないよ」


■澪・N

「―― “立派になって” という彼の亡くなった母親が遺した言葉。

 本来なら息子の未来に対する祈りだった筈の言葉が、呪いの言葉となってしまっていた。

 そして彼に無理を重ねさせ続けて、ここまで走らせる起点となっていたのだ。

 確かにそれによって彼は世界から称賛されるビジネスマンになった。

彼は確かに“立派な人”になった。


 しかし今、その賞賛が逆に彼を苦しめているようにしか思えない。

 本当の一ノ瀬直也の実像からどんどん外れていく『虚像』を皆で見上げて、無責任に褒め、称賛しているだけなのに、その期待に更に応える事を自分に強制する。

 この無限ループが彼に背負わせている『想像を絶する重たさ』を、ようやく彼自身が正視してくれようとしていた」


「等身大の直也くんは決して強くないのに、今は必死になって鎧をまとっているみたいになってる。

 今、一番必要なのは――直也くんを、直也くん自身が止める事。

 本当は周囲にいる人たちが必死になって止めるべきだったのに、あなたの周りには、あの義妹さん以外、あなたをもっと走らせるような人たちしかいない。

 まずは直也くん自身が……一度立ち止まって」


(中略なし)


澪 

「私は直也くんの等身大をきちんとみんなに伝えたい。

 等身大のままで、もう直也くんは充分立派だよ。

 私は、だから必死になってそういうコンテンツにする。

 みんなに――見てくれた全ての人に対して、彼を休ませて欲しいと伝える。」


直也

「……ありがとう、澪。

 そうかも知れないな。

 もう随分と、オレは確かに無理をしてきていたかも知れない。

 特に最近は酷くなる一方だった。

 でも分かった。

 週末は仕事から離れる。

 仕事のペースも見直す。

 澪の言う通り、オレの生き方そのものをSDGsしないとな」


[FADE: 夕日の色が落ちていく/風の音]

[BGM:SMALL HAPPINESS(Love Letter ORIGINAL SOUND TRACK)]


■澪・Nラスト

「“立派になって” という彼の母親が祈りのように遺した言葉。

 それが呪縛となってしまった痛ましさを思い私は涙が止まりませんでした。


 そして、ようやく彼は少しだけ、その呪縛を正視し、解くことを約束してくれました。


 この映像が、彼の心に風を通す一瞬になってくれたなら――。

 そして等身大の一ノ瀬直也という人のあり方を多くの人に知って頂き、彼にこれ以上の重荷を背負わせないようにして欲しいと、私は切望します。


 彼は断じて“現象”などではありません。

 彼もまた、紛れもなく、多くの痛みを背負って苦しみながらも、必死になって前を向いている、一人の普通の人間なのですから」


ENDカード


[黒味/白字テロップ]

「制作:民放某局 報道制作部」

「取材協力:都立公立中高一貫校 関係者・同窓生の皆さま」

[※ディレクターズカット版案内は非表示]


 映像が黒に落ち、室内の照明がゆっくり戻る。

 誰も動かなかった。椅子が軋む音さえしない。

 空調の微かな唸りだけが、広報室の天井に吸い込まれていく。


 私は、掌が汗で冷たくなっているのに気づいた。

 ――ここで、終わらせてはいけない。


 指先から音を起こすつもりで、そっと拍手をした。

 一拍、二拍。控えめに、しかしはっきりと。


 向かいの席で侑里香が、驚いたように私を見て、それから手を合わせた。

 重ねる音が少し大きくなる。


 亜紀さんが、短く息を吸い、ゆっくりと手を叩いた。

 玲奈さんも、視線を落としたまま、静かに続く。

 麻里さんが肩を落とし、目を閉じてから、両手を合わせた。


 広報室に、乾いた拍手が広がっていく。

 誰の言葉も、まだない。

 拍手だけが、澪さんの編集で切り取られた “あの屋上の風の音”と、それからBGMで流れた「SMALL HAPPINESS」の美しい音色の代わりに、私たちの胸の中を通り過ぎていった。


 やがて、音が途切れる。

 沈黙が戻る。

 誰も立ち上がらない。


 私はゆっくりとリモコンを置き、深く息を吐いた。

「――放映版は、これで最終確認とします」


 返事はなかったが、全員が小さく頷いた。

 それで十分だった。


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