第3話:講演(北沢澪)
体育館の中は、光に満ちていた。
磨かれたフロアの反射が眩しくて、照明の熱が肌にまとわりつく。
壇上に立つ直也くんは、穏やかな笑みを浮かべていた。
――完璧な “公の顔” になった一ノ瀬直也。
ステージ背後のスクリーンには、「GAIALINQ」という文字が映し出されている。
巨大商社のCOO、そして世界的に注目されている『再エネ×AI』プロジェクトの旗手。
誰もが、その肩書きと物語に目を奪われていた。
「皆さん、こんにちは」
マイクを持つ手の動き、声のトーン、間の取り方。
どれも洗練されていて、場を支配する力を持っていた。
「私は今、GAIALINQというプロジェクトに関わっています。
地熱発電とAIデータセンターを組み合わせて、
地球環境を守りながら新しい産業を育てる――そんな新しい試みです」
ステージ下の生徒たちは憧憬の眼差しを彼に向けている。
教師たちは満足げにうなずいている。
“あの一ノ瀬直也が、母校に帰ってきた” ――そういう空気が会場を包み込んでいた。
直也くんは一拍おいて、少し柔らかい口調に変えた。
「でも、私も皆さんと同じように、この学校で悩んで、迷って、いろいろと失敗もしてきました。
数学の授業で先生が書かれた数式について、その間違いを指摘してムッとされたり。
放課後の図書館で時間を忘れて本を読んで、下校時間をとっくに過ぎていたので、見回りの先生に怒られたり。
あとは、当時お付き合いしていた女の子との待ち合わせ時間を忘れたまま、数学の問題に没頭していて、その子に滅茶苦茶怒られたり……。
でも、そういう時間があったからこそ、今があります」
生徒たちは笑い、先生たちは拍手を送る。
“立派な先輩” としての姿が完成していた。
彼の言葉の一つひとつが、あまりにも整っていて、まるで台本を読んでいるようにさえ聞こえた。
カメラのファインダー越しに、その完璧な構図を見つめながら、
私は息を詰めていた。
――完璧すぎる。
声の抑揚、手の振り、会場の空気の掌握。
どれも「一ノ瀬直也の実像」を超えてしまっていた。
彼が話すたびに、会場の空気が彼を“現象”に変えていく。
まるで、NHKのあの番組の再演を見ているようだった。
モニターには、光の粒が揺れている。
でも、それは誰も気づかない “熱” のように、彼を包み込んでいた。
あの頃の直也くんは、こんな風に笑わなかった。
もう少しぎこちなくて、
言葉を探して、迷って、時には黙り込んでしまう人だった。
今、彼の沈黙は計算されている。
すべてが「見せる」ための間合い。
「最後に、ひとつだけ。
私がこの学校で学んだ一番大きなことは―― “Honesty is the best policy.” という言葉です。
嘘やごまかしは一時的な解決にしかならず、最終的には正直でいることが最も良い結果につながる、という教訓を示している言葉ですが、それを、この学校の当時の英語の先生に教えて頂きました。
この言葉は今でも私のとっての大きな道標になっています。
きっと皆さんも、それぞれにとっての大切な指針となる言葉を、既にこの学校の先生方から頂けている筈なのです。
その言葉の大切さ、重みについて、今すぐには理解できない場合も多いでしょう。
でもやがて皆さんも社会に出る時が来ます。
そしてそうなってから、きっと中学や高校時代の自分自身を振り返る事があると思うのです。
その時になって、あの時のあの言葉が、あの教えが、重要だったのだと思い出す。
皆さんそれぞれにとって、その人生を照らしてくれるような言葉を、あるいは指針を探してください。
それがあれば、きっとどんな場所でも、道は開けると信じています」
拍手が響いた。
体育館の空気が熱を帯び、拍手が波のように広がっていく。
その中で、私は手を叩けなかった。
――これじゃ、また同じだ。
―― “立派な彼” を、もう一度作ってしまっている。
照明の光の中で、彼の表情が揺れたように見えた。
でも、それを映像で捉えたとしても、
きっと “神話の続き” として編集されてしまうだろう。
私は心の中で呟いた。
――全然違う。
こんな映像を撮りたかったんじゃない。
彼が少しでも息をつける場所を、この番組の中に残してあげたかったのに――。
ステージ袖で、私は小さく拳を握った。
そして、確信した。
――このままでは、彼はまた走らされる。
誰かが止めなければいけない。
その瞬間、私はカメラの赤い録画ランプを見つめながら、
次の撮影地を決めていた。
学校校舎の屋上。
普段は鍵がかかっているスペース。
よく直也くんとの逢引で使っていた秘密の場所。
そこでもう一度直也くんと話をしなければならない。




