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第2話:再会(北沢澪)

 校門の前に立つと、朝の光が少し眩しかった。

 門柱の金属プレートはくすんでいて、十年前よりも文字の輪郭が丸くなっている。

 それでも――この場所に吹く風の匂いは、確かにあの頃のままだった。


 車が一台、ゆっくりと校門の前に止まる。

 黒いセダンのハイヤー。

 後部座席のドアが開いて、直也くんが降りてきた。

 白いシャツに薄いグレーのジャケット。

 柔らかく笑うその仕草の奥に、どこか遠い人になってしまった時間の厚みが見えた。


「……久しぶり、澪」

「うん。6年ぶりになるのかな……」


 ほんの短いやり取りなのに、呼吸の仕方を忘れていた。

 挨拶の言葉が、やけに整って聞こえる。

 互いに何かを確かめ合うように、一拍だけ沈黙が落ちた。


 門をくぐり、二人で歩き出す。

 足音が重なるたびに、古い記憶が靴底の裏から立ち上がってくるようだった。


 昇降口を抜け、教室へ向かう途中、先に来ていた旧友たちが待っていた。

 誰もが十年前の笑顔のままだった。

 髪型も、声も、少しずつ違うのに、不思議と空気は当時と同じだった。


「直也、変わらないなぁ!」

「ほんとに。

 あの頃から、私たちの学年の中でもずば抜けて頭良かったし、もう将来決まってた感じだったもんね。」

「ニュースで見たよ。

 GAIALINQの責任者?になっているんだっけ。

 なんか世界的にすごいことしてるんだって?」


 笑い声があがる。

 懐かしさと誇らしさが入り混じるような空気。

 私も笑った。けれど、どこかでその輪の中に入りきれなかった。


 ――みんな、ちゃんと覚えている。

 でもその “覚えている” は、すでに「今の直也くん」という光で上書き補正されている。

 十年前の彼の中にあった未完成の痛みや不安は、もう誰の記憶の中にも残っていなかった。


 私の胸の中で、何かが微かにずれる音がした。


「直也くん、相変わらず姿勢いいね」

「そう? ……癖になってるのかもな」

「先生に怒られてたよね、ノートがきれいすぎるって」

「そんなこともあったな」


 笑いながらも、直也くんの目の奥は少しだけ遠い。

 まるで、今のこの時間さえも俯瞰して見ているようだった。


 恩師の渡辺先生が教室に入ってくる。

「いやぁ、一ノ瀬くんは勉強は出来たから、社会人として大成するだろうとは思っていたけれど、まさか、こんなに立派になるとはなぁ!」

 先生は懐かしそうに笑いながら、新聞記事のコピーを取り出した。

“GAIALINQ COO 一ノ瀬直也”。

 新聞や雑誌に出ている直也くんの姿を見る事で、更に昔の思い出が塗り替えられていく。


「授業中、よく黒板の数式を直されたなぁ。

 ……あれ、先生ちょっとイラッときていたんだぞ」

「すみません、あの頃は……」

「いやいや、いいんだ。

 やはり才能っていうのは、やっぱり学生時代から、否応なしに出るんだよなぁ。

 何れにしても、今、世界の舞台で活躍してるって、すごいことだよ」


 先生の声は穏やかだった。

 でも、“あの頃” の話はもう続かなかった。

 みんなの関心は自然に “今の直也” へ向かっていく。

 成功した教え子を誇る――それは自然なことだ。

 だけどその自然さが、私には少しだけ息苦しかった。


 ――この人たちは、あの頃の「少年としての直也」を確かに覚えているのに、今の眩しい彼の姿によって、記憶が補正されて塗り替えられていく。

 “きっと昔から特別だった” “あの頃から違っていた” ――そういう物語に。


 実際、直也くんが自分の弱さの存在そのものを否定し続けて、もうあの頃から「特別」になっていた側面があるのは、事実だ。


 でも私は、知っている。

 その “特別さ” の裏側に、どれだけの孤独を抱えていたか。

 そして当時まだ完璧に本当の自分を覆ってしまう事が出来なかった直也くんがふと見せてしまった本当の姿。

 それを見てしまったのは、たぶん私だけだった。


 放課後の教室。

 撮影の合間に、私はそっと声をかけた。

「……この席、覚えてる?」

 直也くんは少し照れたように笑って、窓際の二列目に腰を下ろした。

「懐かしいな。

 窓際の席は冬は結構寒かったな。

 手がかじかんで、ノートするのが大変だったかもね」

「でも誰よりも早く、出題された問題を解いてたよ。

 そして、時間を持て余したように、窓から外の方をよく見てたな」

「そんなこともあったっけかな」


 彼は窓の外を見ながら、微かに目を細めた。

 まだ午前中の光が斜めに差し込み、彼の横顔を照らす。

 その横顔が、まるで別の人のように見えた。


「……ここ、カメラ入れる?」

 スタッフが控えめに尋ねる。

 私はうなずき、位置を指示した。

 “良い絵” になると思った。

 でも、ファインダーを覗いた瞬間――胸の奥で何かがざらりと音を立てた。


 光が強すぎる。

 レンズ越しに見る直也くんは、きれいすぎた。

 白い壁、古びた机、差し込む冬の光。

 そのどれもが、彼を象徴のように浮かび上がらせていた。


 それは、美しい “構図” だった。

 でも、どこかで違っていた。


「直也くん、中三の冬の頃のこと、覚えてる?」

「いつの話?」

「中三の冬。期末試験のあと、みんなでこの窓から雪見たじゃない。

 ……都心で珍しく雪が積もった時」

「ああ、あの時か……」

 彼は少し笑って、椅子の背に寄りかかった。

「澪が “明日積もるかな” って言っていたのに、オレは、自分に聞かれたと思わないで、ボーっと雪を見ていて……それで澪が怒り出した時の話しかな?」

「そうそう。

 ……やっぱり、覚えてるんだね」

「覚えてるよ」


 その “覚えてるよ” は、まるで台詞のように響いた。

 本当に “覚えている” というより、“覚えておかなきゃいけない記憶” をなぞるように。

 そう感じたのは、私の思い過ごしだったのだろうか。


「私は直也くんに、“もっと私を見て” “私の言う事を聞いて” って思っていたのに、全然そんな事お構いなしで、ボーっとしているから……それで怒っちゃった」

「そうだったのか。

 ――あの頃は、まだボーっとする時間なんて、オレにもあったんだなぁ……」


 カメラが静かに回る。

 モニターに映る彼の姿は、どこから見ても完璧だった。

 姿勢、表情、言葉の間。

 どれも崩れがなくて、まるで呼吸のリズムまでコントロールしているみたいだった。


 ――こんな人だったっけ。


 あの頃の直也くんは、もっと不器用だった。

 すぐに照れて、都合が悪くなると話を途中で変えてしまうことも多かった。

 でも今、目の前にいるのは、

 言葉をひとつ発するたびに “意味” を整える人。

 その整い方が、美しくも、痛々しかった。


 私は、マイクを構えるスタッフの後ろで、ひとり息を止めていた。

 “今の彼” を撮ることは簡単だ。

 でも、“あの頃の彼” を映すことはできない。

 光が強すぎて、陰が消えてしまう。

 その陰の中にこそ、本当の彼がいる気がするのに。


「……次、廊下のカット行こうか」

 スタッフの声で我に返る。

 私は首を縦に振り、機材を持ち上げた。


 けれど、教室を出る瞬間、もう一度振り返った。

 直也くんはまだ、窓の外を見ていた。

 その横顔に、わずかに疲労の影が見えた。

 それを、私はシャッターの音で消した。


 ――彼が “映される” たびに、

 ほんとうの彼は、少しずつ遠ざかっていくような気がした。


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