第1話:新企画(岡島彩羽)
その企画書の内容にサラッと目を通した時、私は「面白いかもしれない」と思った。
タイトルは『プレイバック 一ノ瀬直也の素顔』。
民放の若手ADが出してきた企画書だったが、一ノ瀬COOの実像を描きたいという、企画ADの思いがきちんと書かれていたからだ。
普通なら昨今のヒーロー化された一ノ瀬COOに上手く乗っかって描こうとする筈。
グルメ番組や、バラエティ番組にCOOを起用したいという安易なものになる筈だったが、これは全然違っていた。
でも、会議室に集まったメンバーの反応は予想通りだった。
NHK『プロフェッショナリズム ――一ノ瀬直也という現象』の放送からまだ数週間という事もあって、“二番煎じ” の一言で片付けるには、ちょうどいい距離感だったからだろう。
「――正直、よくある “後追い” よね」
最初に口を開いたのは亜紀さん。
「“プレイバック” ってタイトル自体が、いかにも感動狙いって感じ」
玲奈さんが冷ややかに続ける。
麻里さんは腕を組んで、わざとらしいほど大きくため息をついた。
「今やる意味がある? 結局また直也を神格化するだけ。そんな企画、もういらない」
その言葉を聞いて、私は黙って資料を見つめていた。
NHKの番組。
あのとき、私は最後まで冷静に見ていたつもりだったけど――正直、途中から不快になっていった。
だいたいタイトルにある “現象” って何?
人間を “概念” として撮るって、あれは報道じゃなく、演出になるでしょ。
あの人の仕事のスピード、リーダーシップ、カリスマ性。
それを淡々と並べるだけで、まるで「奇跡の人」を再現してるようだった。
一ノ瀬COOの本当の凄さというのは、そんな『絵に書いたような完璧さ』じゃない。
もの静かで、周囲に対しては優しさをもって接しながら、いつも不足するものを自身で補おうとする、自分自分に対する厳しさを抱えこんだような人故の “凄さ” だ。
そこにある尊い自己犠牲の精神性――ある意味では凄惨とすら言える程のもの――と、それがもたらす痛みがまるで描かれていない
――私はあのNHKの番組が、タイトルも、それから内容そのものも『全然違う』と思い続けていた。
でも、その事以上に問題だったのは、あの番組が生み出してしまった空気だ。
GAIALINQ部門は一ノ瀬COOの寛容さや優しさが投影されているような柔軟で、自由闊達な空気がいつも存在している空間だった。
結果として生じるハードワークは、しかし本質的には誰もが自ら望んでそうなっているような部門だった。
だからいつも忙しいけれど、そこには笑顔があふれていた。
総合商社の中の総合商社と言われる五井物産の中でも、更に厳選されたTop-Tireなメンバーが集うフロアにも関わらず、そこにはいつも自由な空気があった。
そう、確かにあの放送前までは、あった筈なのだ。
それがあのNHK『プロフェッショナリズム ― 仕事の流儀:一ノ瀬直也という現象』放映を機に明らかに変わってしまったように感じていた。
一ノ瀬COOは忙しい。
プロジェクト定例Mtgですら欠席するような状況はしょっちゅうある。
そういう時は、亜紀さんがプロジェクトを指揮するのが定常化している。
でもあのプロフェッショナリズムの放映以降、亜紀さんが主導するプロジェクト定例Mtgは私たち新人メンバーだけでなく、多くのプロジェクト参画メンバーにとって居心地悪い場所になってしまっている。
「なぜ、その程度の事も進められないの?こんな進捗では直也くんに申し訳なさ過ぎて涙が出てくる」
「一ノ瀬直也の “神速” という通り名を汚すような遅滞は許されないの」
「世界がGAIALINQを、何よりも一ノ瀬直也を見ているの。そんな状況で、一ノ瀬直也という人がここまで成し遂げてきた業績に対して、結果的に少しでも足を引っ張るような進め方をするなら、誰よりもまず私が許さない」
亜紀さんだけでない。
玲奈さんと麻里さんも厳しい評価を口にする機会が明らかに増えてしまった。
でもプロジェクトの規模があまりにも大きくなりすぎて、それに伴い、どうしても時間と労力を要する場面は増えている。ムリなものはムリなのだ。
でもそれを言えば、
「それは言い訳じゃないの?直也くんならば絶対そんな言い訳はしない」
「直也はいつもムリと言われていた事を突破してきたの。出来ないのは出来ない側に不足や至らなさ、そして問題があるから。それを素早く分析して打ち手を打つ。せめてそれを試みるくらいの努力は見せてよ」
「そんな程度ならAI Agentを用いた方が余程良いパフォーマンスが期待できるわね。でもそうなったら、あなたの存在意義って一体何?」
そんな言葉がすぐに打ち返されてしまう。
世界がGAIALINQを見つめているのは事実だ。
そして世界が一ノ瀬直也の一挙手一投足に注目しているのもまぎれもなく事実だろう。
それは皆、言われずとも分かっている。
もう充分過ぎる程プレッシャーを受けているのだ。
神速と言われる一ノ瀬COOと比較されてしまえば、全てが至らず、全てがダメになってしまう。
でも誰もが一ノ瀬COOになれるわけがない。
いや、むしろ誰であってもなれないのが一ノ瀬直也だ。
それなのに、あまりにもムリな要求に過ぎるというものだ。
でも言い返せない……。
プロフェッショナリズムの放映は、一ノ瀬COOを過度に『神格化』してしまった。
まずい事に実際問題あまりにも一ノ瀬COOが成し遂げた事が大きすぎるので、その『神格化』が過大であるとは感じられないのも事実だ。
でも一ノ瀬COOもまた一人の人間の筈なのだ。
だから、この企画書がそういう『神格化』を目的とするストーリーラインとは真逆の方向性で一ノ瀬COOを捉えたいと考えているのが理解出来たので、『面白い』と思ったのだ。
その思いを企画書の中できちんと描いていたのが北沢というADだ。
だから企画の審査前に私は動いていた。
五井物産広報部の若手社員と一緒に、GAIALINQプロジェクトの広報担当として、この企画ADの人と直接会ってみたのだ。
大手町のカフェで待ち合わせた。
北沢澪という名刺を渡された。
テレビ局の報道の人という印象は薄く、キレイな人だなぁという以上の印象はなかった。
ただ、その目に確かな芯があるように思った。
「……私も、あのNHKの番組を拝見しました。」
彼女は苦笑しながら言った。
「“現象” って言葉で切り取って、一人の人間が抱えている筈の痛みを全部削いで、まるで美しく漂白しているようでした。
でも、あんな風に『立派さ』ばかりを並べたてても、そこに本当の一ノ瀬直也はいないのではないでしょうか?
仮にそれが本当に『立派』だとしても、私はそれを成し遂げようとする彼の原動力や、それを成し遂げる為に費やされている“痛み”が一体何であるのかを投影させられなければダメだと思います。
あの番組でできなかった部分。
一ノ瀬直也が抱えている『痛み』とか『哀しみ』の根源が伝わるものを描きたいのです」
そのとき、私は迷いなく思った。
この人なら、撮れる。
それから数日後。
GAIALINQの定例会議で、私がその話を持ち出した。
「北沢澪さんというADの方ですが、企画書の観点が他のものと全然異なると思います。
私は、彼女と直接話しました。
……一ノ瀬COOの“現象”じゃなく、“原動力”を撮りたいと。あるいは見る側に、『痛み』とか『哀しみ』の根源が伝わるものを描きたいという事です」
けれど、反応はまた冷たかった。
「彩羽、それ、感情移入しすぎじゃない?」
玲奈さんが言う。
「民放って、結局は“泣ける”を売るのが目的でしょ?」
麻里さんが言った。
「また“奇跡の人”パターンにされるのがオチよ。
私たちがブレーキかけないと、そんな企画に付き合っていたら、本当に直也が潰れる」
私はきっぱり言い返した。
「――だからこそ、この人に撮らせたいんです。
『立派』の裏にある痛みを、分かっている人だと思いました」
場が静まる。
その沈黙を、侑里香がやさしく和らげた。
「……とにかく、企画書を直也さんに見ていただくだけでもいいじゃないですか。
読むだけなら時間もかかりませんし」
それでも亜紀さんも玲奈さんも麻里さんもあまり良い顔はしていない。
ただ私は、それを幸いに、そのまま、一ノ瀬COOの執務室へ向かった。
午後。GAIALINQ本社。
私は資料を差し出した。
「COO、取材のご依頼が来ています。少し毛色が違う企画です。」
彼はページをめくり、すぐに息を止めた。
「えっ?……これ、澪の企画書なのか」
その声に、私の中の予感が確信に変わった。
「澪さん……ご存じなんですか?」
「北沢澪。昔、中学、高校と同じ学校だった。……懐かしいな。
キー局に行くって噂は聞いてたけど、ほんとに行ったんだな……」
そのとき、彼の表情が一瞬だけほどけた。
それは“過去”を見ている笑顔だった。
私は迷わず言った。
「……では、“仮OK” ということで、進めてしまってもよろしいでしょうか?」
「うん、いいよ。――本当に、久しぶりだな。
――そうか。頑張っていたんだな……。」
その穏やかな声を聞いた瞬間、私は胸の奥で小さく息をついた。
――北沢さんは、一ノ瀬COOを単純に “立派” として映し出すのではなくて、一人の“人”として、本当に撮れる人なのかもしれない。
あのNHKの番組にはなかった描き方が、一ノ瀬COOの仕事にとって少しでもプラスになればいいなぁと、そう願った。
数日後。
北沢さんを囲んでの正式な打ち合わせ。
当然、私も同席していた。
亜紀さんも、玲奈さんも、麻里さんも、表情は硬い。
最初に質問したのは玲奈さんだった。
「……あなた、直也と知り合いなんですか?」
澪さんは静かに頷いた。
「同じ学校でした。中高一貫で。」
麻里さんが少し身を乗り出す。
「“同じ” って、どれくらい?」
「中三の冬から高二の冬まで……お付き合いしていました。
特に理由があって別れたわけじゃなくて。
まぁお互い受験準備とかもありましたから……。
自然消滅、みたいな感じです。
でも――まだ私の中には彼への思いが、まだ少し残っているかも知れませんね」
その言葉が、静かな部屋に落ちた。
亜紀さんの指が止まり、麻里さんが視線を逸らす。
私は思わず息を飲んだ。
玲奈さんが笑みを含ませて言う。
「……それで、“プレイバック” ですか?
元カレを素材にして番組を作るってこと?」
澪さんは首を横に振った。
「違います。
私が気にしているのは――“本当の彼” を、
周囲の人たちも含めて、誰も理解していないのではないか、ということです」
その一言で、空気が変わった。
あのNHKの放送を思い出した。
まるで、“完成された英雄”を見せるかのような構成。
でも、あの中に確かに映っていなかった部分があった。
澪さんは続けた。
「NHKの『プロフェッショナリズム』は素晴らしい番組でした。
けれど――あの中で、彼の本当の “痛み” を理解していた人は、
おそらく、あの義妹さんだけだと思いました。
周囲はみんな、彼を神格化していた。
“立派な人・奇跡の人” として便利に消費しようとしていた。
メディアも、社会も、そしてもしかしたら……身近な人たちも」
誰も言葉を返せなかった。
その場の全員が、心のどこかで思い当たる節を感じていた。
澪さんは穏やかに言った。
「私は、もっと別のアングルから彼を撮りたい。
彼がもう少し、楽に息ができるように。
だって、そうしなければ、いつか彼が壊れてしまう。
神格化した挙句に壊すのはメディアの常套句のように言われますが、そんな事を私は絶対に許せません」
――誰も何も返せる言葉を持ち合わせていなかった。
その指摘された一つひとつに、私たちの無意識の傲慢が映っていたようにも思える。
そのあと、亜紀さんが静かに言った。
「……分かりました。GAIALINQとして協力します。
ただし、あなた自身が、あなたが先程批判されたようなメディアとしての消費の仕方を彼に対して仕向けないと約束してください」
澪さんは深く一礼した。
「もちろんです。そのために、私はここに来ました。」
その瞬間、私は心の中で思った。
――この人は、一ノ瀬COOの原動力が一体何かを、他の人に見せられるかも知れない。




