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5 復讐は自分でやります

 嫌がらせが命に関わる域に踏み込んだのは、その冬のことだった。

ヴィオレットもアッシュフォード家の者として、仕事をすることがある。この仕事は内容が内容だけに、関わる人間を最小限にしなければならない。


後妻と義妹が関わらない理由をヴィオレットは知らない。

ただ父はこの仕事が嫌いなようで、兄が主に実務を担っている。当然人手が足らないので、ヴィオレットもこういう時だけアッシュフォード家の人間として担ぎ出されるのだ。


 ヴィオレットは馬の鞍の固定具が細工されていることに気づいた。

乗馬の前に確認する習慣が身についていなければ、高速で走る馬の上から落ちていたかもしれない。あるいは落ちるだけでは済まなかったかもしれない。


 使用人に細工をさせたのか、イザベルの友人の誰かが直接やったのか、確かめる術はなかった。だが誰がやったかよりも、どこまでやるつもりかという問いの答えが出た気がした。


ちなみに鞍を直す技術はないので、鞍なしで乗った。こんなこともあるだろうと思って練習しておいて良かった。


 その夜、ヴィオレットは書庫で一人、長い時間をかけて考えた。

 この家に留まることの利益と、去ることの利益。

 留まれば、少なくとも住む場所と衣服、最低限の食事は保たれる。加護がなくても多少の安全が担保される。だが命を狙われ始めた今、それは見せかけの安全に過ぎない。


 去れば、すべてを失う。だが――。

 だが自分の力がある。

 六年かけて磨いた、誰も知らない力が。


 ヴィオレットは静かに決めた。この家を出る時が来たのだ。


 「やっと決めたの?」

翌朝、また本棚の上からリーゼが言った。リーゼはこうやってヴィオレットの考えを見透かしたようなことをたまに言う。

心が読めるのかは知らない。死神なのだから読めてもおかしくはないし、読まれたところで困ることも今までなかったので、ヴィオレットは特にリーゼに聞き返すこともなく肯定の返事をした。


「はい」

「どこへ行くつもり」

「まだ決まっていませんが、首都の外れの方へ。それから仕事を作ります」

「仕事?」

「私の力を使えば、幽霊が絡む問題を解決できます。それは需要があるはずです」


 リーゼは柔らかく笑った。どこか誇らしげな笑みだった。

「そう。やっと動くのね」

「ええ」


 ヴィオレットは窓の外を見た。冬の空は薄い灰色で、雪が降り始めていた。

「この家の者たちが気づくのは、私がいなくなってからでしょうね」

リーゼはヴィオレットがそんなことを言うのを意外そうに見ていた。


「気づいたとして、どうするかしら」

「知りません」ヴィオレットは静かに言った。「私には関係のないことです」


 雪は音もなく降り続けていた。灰色の空の下、アッシュフォード侯爵邸は白く覆われていく。

 ヴィオレットはその光景を、ひどく遠いものを見るような目で眺めていた。

 春を待つ必要はない。

 冬のうちに出よう。誰も、外で何かを探そうとは思わない季節に。


 「貴方の力なら復讐もできるわ」

リーゼの言葉にヴィオレットは「何にですか?」と返した。

「何にって……、義妹とか、使用人とか色々……」

「わざわざ幽霊の皆さんにお願いして復讐してもらうなんて……、お返しも用意できないですし、やるなら自分でやります」


リーゼは腹を抱えて笑った。

「楽しみにしてるわ!」


 リーゼがあまりに楽しそうに笑うので、ヴィオレットは少しばかり仕掛けをしてみることにした。


 リーゼがどうして加護を授けるだけでなく、度々ヴィオレットの世話を焼いてくれるのか、ヴィオレットには分からない。

ただそれは少しずつ嬉しいことだと思えるようになっていた。


 感情を意図的に殺していても、誰かに好感を抱けばその分傷つく可能性があったとしても、ヴィオレットは誰かに感謝が出来ない人間ではいたくなかった。


リーゼとの関わりは、雪が朝までに溶けるようにゆっくりと、ヴィオレットに感謝以外の嬉しいという感情を取り戻させていた。


ただ、他者への恩義以外の、楽しいという喜びまで取り戻せなかったことを、リーゼが悔いていることに気づくまでは、ヴィオレットの心は回復していなかった。


 一度義妹の友人がパーティーでヴィオレットを突き飛ばした際に、ヴィオレットが防ぐような素ぶりを何もしなかったので、使用人が持っていた、グラスを乗せたトレイに後頭部から突っ込んだことがある。


 その時もろくに食事を摂っておらず、避けるのも面倒だったのだ。

ガシャンガシャンというガラスが砕け散る音と、床まで倒れてゴンっと衝突した鈍い衝撃が頭に響いた。


 頭の後ろは風船が破裂するように血管が裂けて、酷い傷があったそうだ。


頭は血が多く流れているから、ヴィオレットの視界は血でどんどん赤く染まっていった。

どこかで悲鳴が聞こえた。血だ!医者を呼べ!という声も聞こえていて、パーティーの雰囲気を壊してしまってゲストに申し訳なかった。


ただその血のおかげで、ガラスの破片は押し流される形で体の中に入らなかったらしい。


 運が良かった、のだろう。

父が相手の令嬢の家に大分金を貰ったらしい。別のパーティーで上手い取り引きだったと言っているのを聞いた。


義妹は、怪我の治療のためにヴィオレットが頭の後ろを剃り上げているのを見て大笑いしていた。


兄はパーティーで遠くにいるのを見かけたが、それだけだった。義母はいつも通り何も関わりがない。


いつも通りの日常。家の利益が増え、義妹は笑顔になり、ヴィオレットは後遺症もなく、髪さえ伸ばせば見えるところに傷はなく無事生きている。


 「死んでしまえたら良かったのに」

そう呟いた時、涙が久しぶりに溢れた。なんだかひどく疲れていた。

そういえばリーゼが姿を見せたのは、そのすぐ後だった気がする。


 リーゼは、ヴィオレットを守ろうとしてくれている。だったら ヴィオレットもそれに報いたい。

星が宿るように胸の奥が温かくなった。

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