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22 空中への退避

 「ヴウゥウウウゥーーーー!!!!」

エドガーの喉から聞いたことのない、獣の唸り声のような音が鳴った。

姿は煙のように輪郭が溶けて、内側も渦を巻くように黒く濁っている。


 「へえ、悪霊になってでも主人を守ろうって?健気だねぇ」

レオナルドと言った若い男は、ヴィオレットの口を塞ぐ手に力を込め、小さな顔の下顎をガッチリと押さえ込んだ。


指が頬に食い込んで、ヴィオレットの肉か骨からミシミシと音が鳴る。


 「ア゙ア゙ア゙ァア゙ア゙アアアアアア!!!!」


ヴィオレットは痛みに顔を歪めながら、口を塞ぐ手を離そうと試みるが、その掌はびくともしない。


 ヴィオレットは王家の影の仕事を手伝うことがあったが、戦闘訓練は受けていない。

家業を嫌厭し、加護なしのヴィオレットをいてもいなくても同じようなものと捉える父親は、ヴィオレットに戦闘訓練を付けた方が良いということに気付きすらしていないようだった。


 元々荒事に繋がる可能性がある現場仕事は、侯爵家が直々に実行犯として捕えられる危険性を考えれば、必然的にグレゴールたちのような、専門の組織に命ずることが多かった。


主に父親に代わって仕事をする長男もいるのだし、たまに手伝う程度のヴィオレットにまで訓練を付けるのは、娘の身を案じる親でなければ出てこない発想だった。


 ヴィオレットはレオナルドを蹴ろうと左脚を曲げて靴底をぶつけようとしたが、靴底はレオナルドの脚を掠めて空中を彷徨い、ヴィオレットは大きくバランスを崩した。


「おっと」

ヴィオレットは軽い方だがそれでも40キロ近い体重が一気に傾いだら、レオナルドも受け身のために体勢を変えざるを得ない。


 その隙に煙になったエドガーがヴィオレットを攫う。


 黒い霧に似ているが、恐ろしく冷たく、まるで真冬の川に落ちたかのような運搬だった。


 「あらあら、大変なことになっているみたいね……」

死神リーゼが不意に現れた。


煙はリーゼとヴィオレットを中心にふっと晴れていき、ヴィオレットはリーゼに手を取られ、優雅に空中散歩をするように浮いていた。


「リーゼ、有難うございます。冷たかったので助かりました」


 リーゼは肩をすくめた。

「冷たい、ということが問題ではなく、悪霊化しつつあった幽霊に取り込まれているという状況が、かなり緊急事態なのだけど……。相変わらずね」


 「エドガー、正気に戻ってらっしゃい」

リーゼは黒い煙のかけらというか小さなモヤというか、表現が難しい黒いカケラに手を翳した。


 カケラは抵抗するように震えたが、リーゼがヴィオレットには分からない言葉を低い声で伝えると、機械人形がネジを巻いた時のように、グルン!と強制的な勢いで煙が集まった。


 人型に収束していくそれを眺めながら、ヴィオレットはリーゼにどういう状況なのか訊ねた。


 「貴女の実家がの人々が霊障で使い物にならなくなってね、遂に王様にバレたのよ。

王家の影を担う家が、高潔な精神でその任務を遂行しているならば、王家の抱える聖職者が授けた守護で守られているはずなのに、幽霊に祟られ呪われどうにもならなくなっているって」


リーゼはヤレヤレと肩を落とした。


「ああ……、そうですね。色々と法に触れる行いをしているのですから、恨まれていてもおかしくないです。幽霊に今まで襲われなかった方が奇跡でした」


ヴィオレットは納得いったとばかりに頷く。


 そうした汚れ仕事の実務に就かされていながら、守護の存在を知らされることなく、通常ならば恐怖で眠れなくなるどころか精神を病んでもおかしくない。


しかしヴィオレットは、説明不足の父親に、やはり怒りすら抱いていなかった。


それはつまり、自身の身の安全が守られて然るべきものだという認識が薄いということで、リーゼは深く溜め息を吐いた。


 「こうまで急激に高潔な精神を失うということは滅多にないわ。そして、貴女がいなくなったからこうなったと、貴女があの家の防波堤だったと王家も気付いた。

だから貴方を探していたの」


「街中で感じた視線は王家の遣いでしたか……」

「貴女の実家も血眼で探していたわ、どちらかは分からない。

今日については王家ね」


 「私の背後にいた男性が、エドガーを視認できるのは何故でしょうか。グレゴールさんも危ないですか?」


「いいえ、あいつの狙いは貴女だけだから、もう家屋から離れているわ。だからグレゴールは大丈夫。

貴女は下からずっと奴に見られているわ、この高度まで届く飛び道具がなくて幸いね。

そして奴がエドガーを見られるのは、レオナルドは第三王子で王家付きの聖職者の守護があるからよ」


「王子様でしたか……」


「それにしちゃあ、レディーの扱いってのが分かってなかったんじゃねえか?」

人型に戻ったエドガーが疲れきった顔で、背を丸めて胡座をかいた状態で浮かびながら言った。


 「エドガー、良かったです。戻られましたね」


「おう、お嬢ちゃんの俺を呼ぶ声に引き戻されてな」

「呼んだのは私よバカ」


 リーゼとエドガーが軽い言い合いをしている遙か下で、第三王子レオナルドは、自動車の中から銀色の筒状の武器を取り出していた。

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