19 王家の影からの依頼
夕食を終えたヴィオレットが食器を片づけていると、台所の入口に見知らぬ男が立っていた。
四十歳ほどに見える男で、胸から腹にかけて服が黒く染まっている。生きている人間ではないことは一目で分かった。
「どちら様ですか?」
ヴィオレットが尋ねると、男は心底驚いたように目を見開いた。
「本当に俺が見えるのか……。声も聞こえている?本当に……?」
「はい。聞こえています」
「良かった……。ああ良かった……。俺はグレゴールと言う。二十年前までアッシュフォード侯爵家に雇われていた」
ヴィオレットには聞き覚えのない名前だった。
「父上の使用人だったのですか?」
「普通の使用人じゃない。アッシュフォード家が王家から仕事を受けた時、現場へ出る人間の一人だった。今の侯爵の下で働いていた」
アッシュフォード家は、代々王家の影として仕事をしてきた。表立って処理できない仕事を任されることも多く、実際に現場へ出る人間も抱えている。グレゴールはその一人だったという。
「二十年前までということは、その頃に亡くなったのですか?」
「ああ。任務の最中に殺された」
グレゴールは胸の傷へ手を当てた。
「今日は、その時の仲間を助けてほしくて来たんだ」
ヴィオレットはサッと残りの片づけを終えると、グレゴールを居間へ案内した。近くにいたエドガーも話を聞きに寄って来る。
二十年前、グレゴールを含む十人ほどの実働要員が、アッシュフォード家から一つの任務を与えられた。彼らは王都を離れ、数日かけて仕事を終えたものの、その帰路で襲撃を受けた。
グレゴールを含む数人が死亡した。
「任務に使っていた拠点があるんだ。俺たちはそこで準備をして、終わった後も一度そこへ戻る予定だった。死んだ奴らの何人かは、今もその周辺に残ってる」
「あなたも?」
「俺も長い間いた。でも、俺は動けるからな。仲間をどうにかできないかと思って、あちこちで他の幽霊に聞いて回っていた。それで、お前の噂を聞いた」
「私の噂ですか?」
「幽霊が見えるだけじゃなく、話ができる。長く残りすぎておかしくなった幽霊とも話して、記憶を取り戻させたことがあるって」
ヴィオレットはエドガーを見た。
「そんなに広まっているのですか?」
「さあな。幽霊にだって口の軽い奴はいる」
エドガーが肩をすくめて笑う。
グレゴールも少し笑ったが、すぐに話を戻した。
「仲間の中には、もう自分の名前も分からない奴がいる。ずっと同じ言葉を繰り返してる奴もいるし、話しかけても反応しない奴もいる。俺じゃどうにもできなかった」
「私でも元に戻せるとは限りません」
「そうか…、いや予想はしていた。分かっている。それでも、一度会ってやってほしい」
ヴィオレットは頷いた。
グレゴールは口を少し開けて、閉じる。
「それだけではないのですよね?」
「ああ。一人、おかしな奴がいる」
ヴィオレットが促すと、グレゴールは眉根を寄せて話し出した。
グレゴールによれば、襲撃を生き延びた者の中に、ハロルドという男がいた。
グレゴールの記憶は死んだ直後のためか安定していないが、ハロルドが仲間と一緒に王都へ帰っていくところを見ている。そのため、少なくとも襲撃では死んでいないことは確かだった。
「だが、しばらくしてハロルドも幽霊になって、あの拠点にいる」
「その後、亡くなって戻ってきたということですか?」
「たぶんな。だが、いつ死んだのかも、どうしてあそこに戻ってきたのかも分からない。ハロルドもまともに話せる状態じゃないんだ」
任務中に亡くなった者が、その任務に関係する場所へ残っていることは理解できる。
幽霊は死んだ場所や直前にいた場所など死にまつわる場所に留まることが多いからだ。
しかし、一度任務を終えて生還した男が、死後に同じ場所へ戻っているのであれば、あえてそこにいる理由があると考えられる。
幽霊は執着している場所に現れることがある。
ハロルドは余程その拠点に戻りたい理由があったのだ。
「ハロルドさんと話せるようになれば、そこにいる理由が分かるかもしれませんね」
「ああ。幽霊になってまで戻り、伝えたいことがあったなら、俺はそれが知りたい」
「父上たちは、ハロルドさんが亡くなったことを知っているのでしょうか?」
「分からない。俺が死んだ後のことだからな」
グレゴールがヴィオレットを探していた理由は、それで十分に理解できた。
彼が助けてほしいのは、二十年前に一緒に働いていた仲間たちだった。長い年月で正気を失った幽霊と話し、生還したはずのハロルドがなぜ死者となって戻ってきたのかを確かめたい。
顧客と接するようになって、幽霊と話したいという顧客の心に少しずつ触れたことで、ヴィオレットの心理に段々と変化が生じていた。
グレゴールが、反応が返ってこない仲間に対し、諦めることなく対話の手段を探し続けていたであろう日々。
何年、何十年もたった一人で。
その根底にあるのは仲間への信頼だろうか、友愛だろうか。
たった一度でも良いから、もう一度話したい人がいる。
ヴィオレットは静かに依頼を承諾することを告げた。
「分かりました。行ってみます」
「いいのか?」
「はい。私にできることなら」
グレゴールの顔から緊張が抜けた。
「助かる。あいつらとまともに話せる奴がいなくて、ずっと困ってたんだ」
「話してみないと、元に戻せるかは分かりません」
「それでもいい。俺一人じゃ何もできなかったからな」
エドガーも当然のように同行すると言った。
「正気を失った幽霊が何人もいるんだろ? 嬢ちゃん一人じゃ大変だ。俺も行く」
「お願いします」
グレゴールがエドガーを見る。
「そいつも、お前と一緒にいる幽霊なのか?」
「はい。仲間です」
ヴィオレットが答えると、エドガーが少し驚いた顔をした。
「何ですか?」
「いや。嬢ちゃんに仲間って言われると、なんか変な感じがしてな」
「違いましたか?」
「違わねえよ。嬉しかっただけだ」
ヴィオレットには、なぜそれほど嬉しいのかはよく分からなかった。それでも、エドガーが喜んでいることは分かった。
それは胸の奥が温かくなる気がした。




