15 止まらない復讐 side:アッシュフォード侯爵家
ヴィオレットの手袋へ針を仕込んだことのある使用人は、何かに触れるたび両手へ鋭い痛みを感じるようになった。
傷はない。
それでも、指を曲げるだけで何本もの針を一度に突き刺されたような激痛が走る。
仕事中にイザベラの髪飾りを落とし、上役から叱られても理由を説明できなかった。
「私は頼まれただけなのに……」
痛みに耐えながら呟くと、すぐ近くから声がした。
「誰に?」
使用人は振り返った。
誰もいない。
それでも痛みからくる疲労が、恐怖を上回って、大きな声で見えない誰かに言いつけた。
「イザベル様よ……!私が勝手にやったんじゃないわ!」
しばらく沈黙があった後、女の声が静かに問いかけた。
「断れなかったの?」
使用人は何も答えなかった。
イザベルは、その使用人を脅したわけではなかった。
使用人もイザベルと年の近い若い娘で、大人に囲まれ働く厳しい日々の中で、つい同じ標的に対する悪口という仲間意識に釣られてしまった。
ヴィオレットが憎いわけではない。ただイザベルに同調していれば居心地が良かった。
「暗くて、そこにいるだけでイライラするあの女の手袋に、針を仕込んでやろう」
どちらから提案したかすら、今思い返してみると定かではなかった。
「そうなの……」
女の声が呟いた途端、使用人の指先が干からびた地面のように、パキパキと割れだした。
「ぎゃあぁああああぁあああ!!!」
それは猛烈な痛みを伴いながら、ひび割れに沿って剥け続け、チューリップのように裂けた指先を、内側から赤く彩った。
パーティー用の長手袋に針を仕込み、着替え係と共謀して、一気に肩近くまで引き上げた時、ヴィオレットの腕には長く赤い線が残った。
死ぬほどではなく、跡も一年で消えた。
きっとこの指もたかが指先だけの怪我だ。すぐ治るだろう。
「ねえ、きっとすぐ治るわ、そんな大袈裟に騒がないで?」
猫なで声がクスクス笑った。
それは口調は違うが、生物としての反射でヴィオレットがビクッと腕を縮めた時の使用人のセリフだった。
廊下へ油を撒いたことのある者は、何もない床で繰り返し足を滑らせるようになった。
最初は尻餅をつくだけだった。
次は肩を強く打った。
三度目には階段のすぐ手前で足を取られ、本当に落ちかけた。腰を強打して、腰骨にひびが入った。
必死に手すりへ掴まった直後、耳元で「私も怖かった……」と囁かれ、その使用人はようやく声を上げて泣いた。
それでも屋敷を辞める者はいなかった。
辞められなかった。
そういう者たちを集めていた。
使用人は口が堅くなくては。しかし信用のおける人間だけで下働きまで揃えられない。つまり逃げられない者ばかりが集まっていた。
ここで見捨てられたら行く先がない。
アッシュフォード家の家業が、閉鎖的な空間を生み出していた。
使用人たちは仕事の合間に集まり、疲れているのだ、誰かが悪戯をしているのだと互いに言い聞かせた。
けれど夜になると、一人でいることを恐れるようになった。
やがて、怪異に襲われている者たちが、ヴィオレットへの嫌がらせに関わっていた共通点があることが分かり始めた。
使用人たちは、次第にイザベルへ責任を向けた。
「私のせいだと言いたいの?」
事情を聞かされたイザベルは、不愉快そうに彼らを見た。
「私が頼んだこともあったかもしれないけれど、全部じゃないでしょう? あなたたちが勝手にやったことまで私のせいにしないで」
「ですが、イザベル様が……」
「それに、本当に嫌だったならお姉様が言えばよかったじゃない。何も言わなかったんだから、そんなに嫌がっているなんて分かるわけないでしょう?」
誰も反論できなかった。
自分たちも同じことを考えていたからだ。
怒らない。
泣かない。
助けを求めない。
だから傷ついていないのだと、勝手に決めていた。
「とにかく、私は関係ないわ」
イザベルが言い切った瞬間、部屋の扉が勢いよく閉まった。
その場にいた全員が驚いて振り返った。
「何?」
誰も扉に触れていない。
続いて窓が閉まり、カーテンが引かれた。
昼間だった室内が薄暗くなる。
「誰かいるの?」
イザベルが声を上げた。
返事はなかった。
次の瞬間、背後で大量のグラスが床へ落ちた。
甲高い音とともに砕け、破片が飛び散る。
「きゃああああぁあああぁあ!!!」
イザベルは反射的に後退した。
その光景を見た瞬間、姉が大怪我をした日のことを思い出した。
友人に突き飛ばされ、グラスの載ったトレーへ頭から倒れ込んだヴィオレット。
床に広がった血。
それを見ながら、自分は何をしていただろう。
「……私じゃないわ」
イザベルは誰に聞かれたわけでもないのに弁明した。
「押したのは私じゃないもの!」
耳元で声がした。
「でも、笑ってた」
イザベルの身体が固まった。
「……私は、あんな怪我をするなんて思わなかったのよ!それに周りには人がいたでしょう?私が助けなくても、誰かが助けると思っただけよ!」
床のガラス片が一斉に動いた。
使用人たちが悲鳴を上げる。
破片はイザベルだけを囲むように集まり、逃げようとする方向へ滑っていく。
「……っ何なのよ!やめて!」
イザベルが助けを求めて扉へ走ろうとすると、後頭部へ激しい痛みが走った。
実際に何かへ打ちつけたわけではない。
それでも、頭の奥まで響くような衝撃に、イザベルはその場へ崩れ落ちた。
「痛い!」
痛みは一度で終わらなかった。
呼吸を整える間もなく、同じ場所へもう一度激痛が走る。
「やめて! 誰か助けて!」
「イザベラ!どうしたの!?」
扉の外から母の声が聞こえた。
しかし、扉は開かなかった。
「お母様! 早く助けてよ!」
必死に叫ぶイザベルのすぐそばで、女の声が聞こえた。
「ヴィオレットも、そう思ってたかもしれないね」
イザベルは初めて、自分の声が届いているのに誰も助けてくれない恐怖を味わった。




