13 令嬢、失踪する
春になっても、アッシュフォード侯爵家からの捜索の手がヴィオレットに届くことはなかった。
それはそうだろう、とヴィオレットは思った。加護もなく、社交界での価値もない長女が姿を消したとして、侯爵家が大々的に探し回れば、むしろ家の体面に傷がつく。
加護なしの令嬢が出奔した、という噂が広まることの方が、当人が行方不明であることより都合が悪い。
だから表立っては何もせず、水面下で多少動いているとしても、本腰を入れてはいないだろう。
ヴィオレットは自分の存在が、家にとってその程度のものだと知っていた。
知っていて、それでも最早傷付きすらしなかった。万が一見つけられたらどうするか、という思案に脳のリソースを割かずに済むならそれに越したことはない。
ヴィオレットはそうして得たゆとりの中で新しい紅茶を楽しむなどしてのんびり過ごしていた。
職人街での生活は、ひと季節ー三ヶ月が過ぎるころにはすっかり安定していた。
依頼は口コミで来る。看板も広告もない。それでも月に十件前後の依頼が入るようになっていた。
口コミは偉大だった。情報元への信頼が基礎にあって、客は初めから依頼をするつもりでやって来る。
「貴方の営業のおかげね、有難うエドガー」
ヴィオレットが礼を言うと、どこから拝借したらしいゴシップ新聞を読んでいたエドガーは、眉を上げて口の端だけで笑った。
「俺は何にもしてないよ、なんせお嬢ちゃん以外にはほとんど見えないんでね。お客が集まってんのはお嬢ちゃんの実力さ」
エドガーはそう言ってコーヒーカップを手に取ると、ふよふよと浮いてキッチンへ向かった。お代わりを淹れるようだ。
その動きはヴィオレットから見ても嬉しそうにだった。
幽霊にまつわる問題というのは、ヴィオレットが予想していたより遥かに多かった。
成仏できない者は至るところにいて、その存在が生者の生活に影響を与えることも珍しくない。
その存在は悲劇を抱えていて、それによって生者も悲劇を経験する。
そういった問題を「解決できる者」がいると知れば、人は金を払う。
ヴィオレットは依頼の選別も覚えた。
幽霊を使って誰かを傷つけてほしいという依頼は断る。
死者から財産の情報を聞き出してそれを奪いたいという依頼も断る。
純粋に問題を解消したい、あるいは死者の言葉を聞きたいという依頼だけを受ける。この基準を曲げたことはなかった。
暴力に訴えようとする者は、エドガーによって外に叩き出された。
目に見えない力によって外に押しやられた者は、恐怖に泣き叫んで逃げ出し、再度近寄ることはなかった。
エドガーは最初、ヴィオレットが仕事をするのを物珍しそうに見ていたが、やがて的確な観察者になった。
「今日来た依頼人、嘘をついていた」と彼が言ったことがある。
「わかっていました」とヴィオレットは答えた。「だから断りました」
「どこで気づいた」
「目が泳いでいた。それと、幽霊の存在を恐れているというより、利用したがっていた。恐れている人間と利用したい人間は、顔つきが違います」
エドガーはふむ、と言った。「随分と人を見る目があるな」
「必要に迫られてそうなりました」
それ以上の説明はしなかったが、エドガーは察したようで、それ以上聞かなかった。
必要に迫られて、多くの人と対話し、観察し、ヴィオレットは少しずつ他人の感情の機微を理解するようになっていた。
◇◇◇
ある晴れた午後、ヴィオレットは王都の市場を歩いていた。
食料の買い出しと、薬草の補充が目的だった。市場は人が多く、ヴィオレットは人混みが得意ではなかったが、必要なことは粛々とこなす。
薬草を売る露店の前で値段を確かめていたとき、ふと視線を感じた。
ヴィオレットは顔を上げなかった。
視線の方向だけを確かめ、露店の商品を吟味する体裁を保ちながら、周囲の情報を集めた。
視線の主は、少し離れた場所にいた。若い男で、身なりは悪くないが派手でもない。
商人の息子か、あるいは下級の役人か。
しかしその目が、ただ女を眺める目とは違った。観察している目だ。
ヴィオレットは薬草を購入し、その場を離れた。
尾行されているかどうか確かめるために、三回、不自然でない範囲で進路を変えた。男は二回目まではついてきたが、三回目には姿を消した。
偶然ではなかった。しかし今日のところは退いた。
ヴィオレットは家に戻りながら、静かに考えた。
幽霊始末屋の噂が広まることは想定していた。
ただの好奇心ある者なら問題ない。
だが権力を持つ誰かの耳に入ったなら、話は変わる。




