11 ヴィオレットの役割
初回のきっかけは偶然だった。
紅茶道具を買いに行った近所の雑貨屋の主人が、店の奥に幽霊が出ると言って困っていた。
この世界には神も精霊も、そして幽霊もいるが、幽霊に物理攻撃は効かないので、火だの水だのの加護があってもどうにもならなかった。
光の加護で霊の恨みつらみの気持ちをやや前向きに出来ることはあっても、除霊には修行を積んで何らかの神に認められた聖職者の力が必要だった。
この場合は加護ではなく、聖職者の願いを神が叶えてくれるという特殊なパターンになる。
人々を救いたいという願いを叶えるため、その覚悟の証明として辛く苦しい修行を積んだ人間を、神が認めて聖痕を授ける。
聖痕がある聖職者が救いたいと願った対象ならば、その人を、神が救ってくれるのだ。
簡単に言うと聖職者は神と人間の通訳である。
しかし聖職者はその背景から非常に数が少ないので、平民がちょっと困っているくらいでは対応してもらえなかった。
なので平民は幽霊が現れると、その幽霊が固執している物を手放すとか、引っ越すとか、弱い霊なら消えるのを待つとか、そういった対症療法のようなことしか出来なかった。
ネズミ避けの煙が効くとか、塩を置いてみると良いとか、そういった効果の定かでない言い伝えのようなものがあった。
実際それが本当に効いているのか不明だったが、消える時期と丁度タイミングが合ったのか成功事例もあり、平民はそれらの言い伝えや噂話に乗るしかなかった。
主人と他の客が霊に困っていると話しているのをたまたま聞いたヴィオレットは、「よければ見てみましょうか」と申し出た。
「ひょっとして幽霊の悩み事が解決できるって子かい?」
「ああ、灰色の美人。確かに噂通りだ」
どうやらエドガーが流した噂を聞いているようだった。美人と形容されたことのないヴィオレットは若干戸惑った。
店の奥にいたのは若い女の幽霊だった。
記憶はある程度保たれており、話すことができた。彼女は店主の先代の妻で、帳簿の一冊を夫に渡したかったと言った。
大切な取引の記録が記してある、忘れないでほしい、と。
ヴィオレットが店主にその旨を伝え、帳簿の場所を教えると、店主は目を丸くした。
「どうしてそれを知っているんです」
「幽霊に聞きました」
しばらく沈黙があった後、店主は帳簿を探した。
ヴィオレットが告げた場所、床下の古い木箱の中に、確かに帳簿があった。
店主は礼を述べ、金貨を三枚差し出した。ヴィオレットは一枚だけ受け取った。
「一枚でいいんですか」
「?、ええ。最初の仕事なので。幽霊の方も良い方でしたし」
それから噂は広がった。今までほぼ対処法がなかった問題が、金貨一枚で解決できるのだ。
元よりネットワークが強い商人の間で確実に。幽霊の問題を解決できる若い女が、職人街の古家に住んでいる、と噂は魔法のように広がって行った。
何故か元々どこかで聞き覚えがある人が多くいて、成功事例が出たことで、安心感からか依頼が続いた。
依頼の内容はさまざまだった。
商家の蔵に出る先代の幽霊が暴れて蔵に入れない、廃屋を買い取りたいが幽霊がいて困っている、毎晩夢枕に立つ亡くなった家族が何かを言いたそうにしているが言葉がわからない……等等。
ヴィオレットはそれらを一つ一つ、粛々とこなした。
感情的に巻き込まれることはなかった。
幽霊に対して哀れみを感じることはあった。しかしそれは仕事の判断を歪めるほどのものではない。ヴィオレットにとっては。
死者の言葉を聞き、それを伝え、できる場合は記憶を取り戻させる。それだけのことを、正確にやる。
そうやって一月が過ぎ、二月が過ぎた。
生活は質素だったが、安定していた。食べるに困らない程度の収入があり、エドガーという話し相手であり番犬であり営業がいた。
リーゼは月に一、二度、気まぐれに姿を見せた。それで十分だった。
アッシュフォード侯爵邸のことは、ヴィオレットは考えなかった。
考える理由がないから、考えなかった。ただそれだけのことだ。
◇◇◇
ヴィオレットが家を出てから一月後、アッシュフォード侯爵邸で奇妙なことが起き始めたと知った。
最初は小さな不運の積み重ねだった。
使用人が廊下で転倒し、骨を折った。原因は不明とされたが、転倒した場所は平坦な廊下で、躓くものは何もなかった。
続いてイザベルが気に入っていた花瓶が粉々に割れた。誰も近くにいないときに、だ。侯爵の書斎では、重要な書類が次々と行方不明になった。
その後、事態はより深刻になった。
イザベルの友人の一人――ヴィオレットの部屋に乗り込んできて衣服を破いた令嬢の一人が、乗馬中に落馬し重傷を負った。
鞍の固定具に不具合があったと言われたが、出発前に確認したはずだと馬丁は主張した。
ヴィオレットの鞍に細工をしたのと、同じやり方だった。
さらに、馬屋で働いていた使用人の一人――イザベルの命でヴィオレットへの嫌がらせを実行してきた者の一人が、原因不明の高熱を出して倒れた。医師が診ても原因がわからなかった。
これらはすべて、偶然と言えば偶然の範囲だった。しかし偶然が積み重なりすぎると、人は偶然と呼ぶことをためらい始める。
アッシュフォード侯爵邸に仕える古参の使用人たちは、ひそかに囁き合った。
先代から仕える年老いた執事が、そっと口にした言葉がある。
「お嬢様がいなくなってから、だ」
その言葉を、若い使用人たちは笑い飛ばした。加護もない、ろくに社交界にも出なかった令嬢が、いなくなったからといって何が変わるというのか、と。
しかし執事は笑わなかった。
この家が長年抱えてきたものを、誰かが抑えていたのだと、彼はうっすらと感じていた。その誰かが去ったとき、抑えられていたものが動き始める。
執事の感覚は、正しかった。




