10 世間知らず
エドガーは世間知らずなヴィオレットをよく助けてくれた。
職なしの、平民にしては小綺麗な服で、いかにも訳ありな娘が家を借りたいと言っても普通は貸さない。
幽霊が出る家だとしてもだ。
ヴィオレットが支払い能力を疑われたので多めに数ヶ月分前払いしたことや、一応その書類もあると伝えたが、エドガーが見ればそれはすぐに欠点が見つかった。
「まあこういうアコギな商売をする奴は、いつの時代もいるもんだな、ちょっと待ってな」
そう言うとエドガーは家の敷地ギリギリで近所中が外に飛び出るほどの大きな音を立てた。
「んー?ゴミの中にマッチを入れただけだよ、すんごい臭かったからさ、ああいうのは火の気があるとたまに爆発するんだ」
本当か嘘かヴィオレットには分からなかったが、しばらくして憲兵と一緒に不動産屋と大家が現場を確認しにやってきた。
ヴィオレットが書類の不備を指摘すると、不動産屋も大家も「そういうもの」だと世間知らずな娘に教えてやっているとでも言うような口調で丸め込もうとしていたが、彼らの後ろで再度爆発が起きると表情が変わった。
「……」
ギギギ、と首だけ人形のように動かすと、そこに空中で静止したマッチの火があった。マッチの頭は不動産屋と大家に向いている。
逃げ出そうとする二人に、ヴィオレットはただ普通の音量で「待って」と言った。
途端にマッチの火が二人の眼前に迫り、逃げるなと言うようだった。
「直す直す直す!直すから!!」
「……あんた化け物か?幽霊を遣えるのか?んぎゃああああああああ!!!」
ヴィオレットの陰口を言った大家のスカートの裾がたちまち燃え上がった。
「いえ、私はそんなことお願いしていないのですけど、とりあえずお脱ぎになった方が良いのでは?」
ヴィオレットが淡々と表情を変えずに言う様子に大家は悪魔でも見るように目玉を見開いて、何か文句を言いたそうだったが、火がどんどん裾から上がってくるので、紐を解いてスカートを脱ぎ捨てた。
すかさずヴィオレットが自身の外套で腰回りを覆った。
「すみません、手持ちの服はワンピースしかないので、一旦これで隠してください」
大家が感謝して良いのか分からない困った顔のまま、腰回りに外套を押さえつけた。
不動産屋はすぐさま書類を直した。魔法というのは本当に便利だ。
手元にある書類は改竄出来ないように、そういう法律関係の仕掛けがしてあるらしい。
だが、それを破棄することや、新しい書類を作成し直すことは時間を短縮できる。
ノートの中に吸い込まれた書類は、しばらくして新しい書類を吐き出した。
不動産屋の法律に詳しい部署の人間が新しいものを作って寄越したそうだ。
初めからそうすれば良かったのにと思ったヴィオレットだが、本来そうしなければならないのを、目の前の不動産屋が個人的に勝手に改竄したのだと思い至って何も言わなかった。
幽霊が出る家をさっさと貸したかったし、すぐに退去されたくもなかった。
そして世間知らずの小娘であるヴィオレットの金は、自身の懐に入れて誤魔化したかったのだろう。
空中で何かが書類を確認して、くるくる巻いてヴィオレットに渡した。
「ぎいいえええええゃあああああ!!!!」
凄い悲鳴を上げながら、二人は飛ぶように逃げ去って行った。
「こんな男前にひでえ対応だな、ほらよ、上着」
エドガーはウインクをしながら、大家が慌てて落として行ったヴィオレットの外套を拾って渡した。
「女性が下着で走るなんて、大丈夫かしら」
微塵も心が動いていない声に、エドガーは空中で器用に腹を抱えて笑った。
◇◇◇
幽霊に関して仕事の最初の依頼が来たのは、引っ越しから一週間後のことだった。
それまでは驚くことにエドガーが営業活動をしていた。
ヴィオレットはこの先ずっと一人で生きて行くことを考えれば不安だが、平民視点で見ればすぐに食うには困らない金銭を持っていたので、エドガーにより家の中にいるように命じられていた。
「あんたは商売ってもんを分かってないよ、俺に任せて紅茶でも飲んでな」とのことだった。
町では小火騒動の後、やはり幽霊の仕業だと噂が立っていた。
酒を飲みながらだったり、隣に座りながらお互い目も見ない煙草休憩なんかの、適当な噂話をしている人々の間にエドガーが入り、別の噂を広めた。
エドガーはヴィオレットが借りた家だけでなく、この町に縛られているのかもしれないと言っていた。彼は家からかなり離れても自由に行動出来た。
だからヴィオレットは早々に彼が家から離れて行くだろうと思っていた。
やっと意識を取り戻したのだから、やりたいことも多くあるだろうと考えていたが、エドガーは律儀に毎朝毎晩家にいた。
昼から夜にかけて人々が活動していて噂が流せそうな時だけ、情報収集が出来そうな時だけ外に出ていた。
「当たり前だろう?ここは憲兵だの行政官だの領主のお貴族様だのが熱心に見回る場所じゃないんだ。世間知らずなお嬢ちゃん一人じゃ危ないに決まってる」
エドガーはそう言って、片眉だけ上げる妙な顔をした。少なくともヴィオレットにとっては妙な表情だった。
「生きてた時は、この顔評判良かったんだけどな……」
エドガーは顎をさすりながら言った。
大きな傷などもなく、無造作に中央で分けられた、少し癖のあるダークブラウンの髪や短い顎髭、悪戯が好きそうな丸い同色の瞳、高い鼻梁、目と距離の近い眉は表情豊かに動き、優しく気の良いお兄さんといった雰囲気で、確かにモテそうだったが、心を殺しているヴィオレットにはそういったものを感じ取ることは出来なかった。
「綺麗だと思いますよ」
淡々としたヴィオレットの言葉に、エドガーは苦笑しながら、「そりゃどーも」と軽く返した。




