第四話:帰還、兵站の爆増、そして魔法技術の開拓
湿った畳の匂いと、アパート『若草荘』の二階に響く古風な壁掛け時計のカチカチという機械音が、二人の帰還を静かに告げていた。
「はぁ〜……! やっぱり我が家の畳は落ち着くなぁ……」
宥子が床の上に大の字になってゴロゴロと転がり、首元の白蛇『紅白』と『赤白』も珍しそうに六畳間の柱をペタペタと登っていく。
容子は即座に文机の上に置かれたノートパソコンを開き、時計の時刻を確認した。
サイエス側でまる二日以上の時間を過ごし、白銀狼の群れを掃討し、東方伯爵家の令嬢エレノアを救出するという大立ち回りを演じてきたというのに、日本側で経過していた時間は――わずか【一時間と四十二分】。
「完璧ね……」
容子は眼鏡の位置を直し、ノートパソコンのキーボードを軽快に叩き始めた。
「日本の時間経過はほぼゼロに等しい。社会的な不都合も、アパートの家賃更新も、光熱費の支払い遅延も一切発生しないわ。……宥子、ダラダラしてないで、今から秋葉原と大型ホームセンターへ買い出しに行くわよ!」
「えぇっ!? 今から!? 容子、私ちょっとお腹空いたかも……」
「向こうでガルドさんの美味しい肉とレトルト味噌汁を食べたばかりでしょ。時間が惜しいのよ。向こうで手に入れた金貨十五枚のうち、三枚を日本円に換金するわ」
「えっ、金貨って日本の銀行で換金できるの!?」
「銀行なんて通すわけないでしょ。足がつかない古物商や金・プラチナの買取専門店を利用するのよ。サイエスの金貨は純度が極めて高い無垢の金。目方(重量)だけで計算しても、今の金相場なら金貨一枚で三十万円以上、三枚で百万円以上の現金を一瞬で手に入れることができるわ」
容子はテキパキとリュックサックに金貨三枚を詰め込み、宥子の手首を引っ張って部屋を飛び出した。
秋葉原と大型ホームセンターの爆買い
深夜から早朝にかけての移動と買い出し準備。そして開店と同時に都内の貴金属買取店へと飛び込んだ二人は、提示された金貨の純度に絶句する店員から、あっさりと百二十万円の札束を受け取った。
「よし……初期仕入れ資金は十二分ね」
札束をリュックに叩き込んだ容子は、秋葉原の電気街と郊外の超大型ホームセンターを縦横無尽に駆け巡った。
容子の買い出しリストは、常人の感覚からすれば完全に狂気の世界だった。
産業用高精度3Dプリンターおよびカーボン配合特殊樹脂フィラメント(サイエスで手に入る魔導鉱石の粉末を混ぜ込み、高精度な特殊部品を自家整形するため)
大容量ポータブル電源(2000Wh級)および折りたたみ式高効率ソーラーパネル四枚(サイエスで安定した交流100V電力を確保するため)
卓上型真空パック機および滅菌ポリエチレン袋・高密封ガラスボトル数百個(宥子のハーブ化粧水や石鹸を『最高級ブランド』として長期保存・パッケージングするため)
小型蒸留装置(アランビック型銅製蒸留器)と精密化学天秤(サイエスの希少草木から精油を効率的に抽出するため)
ポータブルインバーター発電機と静音化マフラー、ガソリン缶(緊急時の予備電源)
大量の圧縮乾燥食品、純度99.9%の無水エタノール、苛性ソーダ(医薬用)
「容子……これ、全部持って帰れるの……?」
ホームセンターの配送トラックからアパートの前に降ろされた、ダンボールの山を見上げて宥子が引きつった声を上げた。
「何言ってるの。あんたの『アイテムボックス』の容量は無制限でしょ? 部屋の中に運び込んだ瞬間に全部仕舞い込みなさい」
「は、はいぃっ!」
六畳間の足の踏み場を埋め尽くしたダンボール群は、宥子が手をかざすだけで、吸い込まれるように空間の歪みの中へと消え去っていった。
「物資の積み込み完了。日本の滞在時間、約十二時間。……サイエス側では、私たちが部屋を空けてからたったの【三十分】しか経っていないわ」
容子は満足げに頷くと、自らの腰に新しいホルスターを装着し、改修を重ねた『魔導加速型HK416C・改』と『パルス・ブレイカー』を固く握りしめた。
「行くわよ、サイエスへ。私たちの『真の拠点』を築くために!」
「うん! スキル『境界渡り』――発動!」
異世界工房の爆誕とガルドの絶叫
極彩色の光線が弾け、次の瞬間、二人は再びウルフェンのガルド商会二階部屋へと降り立った。
窓の外の景色は、出発した時と寸分違わず、夕闇に包まれたウルフェンの街路のままだ。
「よし、時間経過の誤差はほぼゼロね。……宥子、機材を展開するわよ!」
「おーっ!」
二人はガルドの了解を得て、二階の広い物置部屋を丸ごと買い取り、改装を開始した。
石造りの壁にソーラーパネルから伸ばしたコードを配線し、ポータブル電源を接続。カチリとスイッチを入れると、無機質な液晶画面に「100V 50Hz」の文字が青く点灯した。
続いて、最新型の3Dプリンターが設置され、卓上真空パック機と精密化学天秤が木製デスクの上に整然と並べられた。
無骨な石造りの部屋が、わずか一時間で「現代科学と魔導が融合した最先端ラボ」へと変貌を遂げたのだ。
そこへ、差し入れの麦酒を持ったガルドが「嬢ちゃんたち、調子は……」とドアを開けて入ってきた。
「な……なんじゃこりゃあぁぁぁぁっ!?」
ガルドの手から木製のジョッキが滑り落ち、泡立った液体が石畳に広がった。
彼の目の前では、見たこともない黒いハコ(3Dプリンター)が「ウィーン……ウィーン……」と機械音を立てながら、青い光を照射し、宙空に未知の精密なプラスチック歯車を自動で削り出していた。
さらにその隣では、宥子が真空パック機を使って、ラベンダーの香る石鹸を「シューッ」という音とともに美しく脱気・密封している。
「な、ななな……精霊の自動錬金炉か!? 人の手も借りずに、均一な精密部品を勝手に造形しておるだと!? それにその『空気を吸い出す透明の膜』は何じゃあぁぁっ!?」
ガルドは髪の毛をかきむしり、額から汗を噴き出させながら叫んだ。
容子は落ち着いた手つきでドライバーを置き、冷めた麦茶を一口飲んだ。
「驚くほどのことじゃないわ、ガルドさん。これは私たちの郷里に伝わる『機工工学』と『真空包装技術』よ。これを使えば、宥子の作る化粧水や石鹸は一切酸化せず、一年以上も出来立ての品質を保つことができるの」
「い、一年間……!? この世界の極上油脂は、夏場になれば一ヶ月で腐敗して臭くなるのが当たり前なんだぞ!? それを一年持たせるだと……!? 王都の大貴族が喉から手が出るほど欲しがるに決まっておるじゃろうがぁっ!!」
ガルドの叫び声が、ガルド商会の屋根を揺らした。
容子は不敵に笑い、3Dプリンターから完成したばかりのパーツを取り出した。
それは、サイエスで入手した『風の魔導石』の粉末を特殊樹脂に練り込み、高精度で立体成形した――【魔導増幅式スプレープラグ】だった。
「これを使えば、宥子の化粧水をミスト状に噴霧し、肌の奥深く(角質層)まで魔力とともに浸透させることができる。……明後日の『伯爵家の夜会』での目玉商品にするわ」
伯爵家の夜会と社交界の激震
二日後。
東方伯爵家の広大な邸宅は、絢爛豪華な灯火と、絢爛な衣装を身に纏った貴族・豪商たちで溢れかえっていた。
「見たか? 今夜の夜会には、あの偏屈な東方伯爵が直々に『命の恩人にして奇跡の調合師』を招いているそうだぞ」
「ふん、どうせどこかの田舎の薬草師だろう。伯爵令嬢様が森で命を救われたとかで、大げさに騒いでいるだけではないか?」
会場の隅でワイングラスを傾ける貴族たちが、怪訝な顔で噂話を交わしている。
そこへ、ホールの中央の重厚な扉が静かに開いた。
「――東方伯爵家令嬢、エレノア・フォン・シルフィード様! そして、特別ご賓客……琴陵容子様、琴陵宥子様のご入場です!」
執事の朗々とした声とともに現れた三人の姿に、会場全体の喧騒がピタリと止まった。
エレノア令嬢の隣に立つ二人――
容子は、黒の耐切創生地を立体裁断で仕立て直したスタイリッシュなパンツスーツ姿。
宥子は、鮮やかなターコイズブルーの幾何学模様スカーフを肩に羽織り、白蛇たちを優雅に腕に纏わせたオリエンタルなドレス姿。
そして何より、会場中の女性貴族たちの目を釘付けにしたのは、エレノア令嬢の『肌』だった。
数日前まで長旅と森の毒気で荒れていたはずの彼女の肌が、まるで初雪のように白く、発光するかのような透明感と潤いを放っていたのだ。
「お、おいでくださいましたわ! 容子様、宥子様!」
エレノアが嬉しそうに二人へ駆け寄ると、周りの女性貴族たちが怒涛勢いで群がってきた。
「エ、エレノア様! お肌が……なんという美しさですの!?」
「一体どのような極上の秘薬をお使いになりましたの!? 教えてくださいませ!」
エレノアは得意げに胸を張り、容子と宥子を示した。
「ふふん、皆様。これこそが、宥子様が調合し、容子様の現代魔導技術によって密封された至高の逸品――『精霊の涙(高保湿ハーブ美容液ミスト)』でございますわ!」
容子は静かにステップを踏み出し、ダッフルバッグから3Dプリンターで自作したクリスタル風ボトルを取り出した。
ボタンを軽く押し込むと――
シュァァァ……という繊細な音とともに、ローズマリーとラベンダーの極上の香りを纏った超微粒子ミストが、優雅に空中へと広がった。
「な……なんという心地よい香り……! そしてこのミスト、肌に触れた瞬間に消えるように馴染んでいく……!?」
公爵夫人が感極まった悲鳴を上げた。
「これは、ただの化粧水ではありませんわ」
宥子が微笑みながら前に出た。
「無添加のハーブ精油と、人と幸運を結ぶ『縁結びの祈祷』を込めて仕立てた特別な美容液です。お肌の角質を潤すだけでなく、疲れた心と運気を整える効果がございます」
「欲しい! いくらでも払いますわ! 金貨五枚……いや、十枚出しますわ!」
「私にも! 私にはそのクリスタル瓶ごと譲ってくださいませ!」
会場は一瞬にして、富裕層の女性たちによる猛烈な競売会場へと変貌した。
容子は冷徹な瞳でその狂乱を観察し、静かにボロフとガルドへ目配せを送った。
「販売窓口はすべて、ガルド商会および商工ギルドのボロフ鑑識官を通させていただきます。限定生産のため、今夜は試用品の予約のみとさせていただきますわ」
その一言で、ガルド商会とボロフの地位は、ウルフェンにおいて揺るぎないものとなった。
忍び寄る影と黒い思惑
夜会が最高潮に達し、貴族たちが宥子の周りに群がっていた頃。
容子は一人、会場のテラスに出て冷たい夜風に当たっていた。
(第一段階は完了ね。資金と社会的地位、そして流通網は手に入った。これでサイエスの最先端の魔導技術と鉱石を独占的に買い集めることができる……)
そう思っていた時だった。
「……フフフ、素晴らしい演出だったな、異邦の少女よ」
暗闇の木立の中から、低い不吉な声が響いた。
容子は即座に右手を腰の『パルス・ブレイカー』のグリップへと滑らせ、低姿勢をとった。
「誰?」
『構造解析』を起動すると、テラスの下の暗がりの中に、三つの動体反応が浮かび上がった。
全身を黒い忍び装束のようなレザーギアで包んだ男たち――顔には不気味な髑髏の仮面を着けている。
「我らは『黒い蠍』……暗殺と強奪を司る裏ギルドだ。……小娘、お前たちの持ち込んだその奇妙な『自動造形器(3Dプリンター)』と、化粧水の製法……すべて我らの雇い主に引き渡してもらおうか」
男のひとりが、毒の塗られた黒い投擲ナイフを指先で弄んでいた。
「断ったら?」
「ハッ! 愚問だな。この場で殺し、ガルド商会の二階を焼き払って奪い取るまでのことよ!」
三体の影が、風を切るような速度でテラスへと跳躍してきた。
ランクB相当の熟練の暗殺者たちだ。人間離れした身体能力と瞬発力を誇る。
しかし――
「『構造解析』……筋肉弛緩タイミング、着地予測地点……算出完了」
容子の瞳が青く光った。
「甘いわね。現代の軍事戦闘術と、三百万ボルトの雷撃を舐めないで」
シュパパンッ!!
着地の瞬間の無防備な隙を狙い、容子は『魔導加速型HK416C・改』のサプレッサー付き銃口から超音速の真空波弾を叩き込んだ。
「ガハッ!?」
リーダー格の膝頭が吹き飛び、悲鳴を上げて石畳に転倒する。
残る二人が死角から毒ナイフを突き出してきたが、容子は完璧な体捌きで攻撃を回避。突進の慣性を利用し、左手に握った『パルス・ブレイカー』の長い電極を、二人の首筋へ同時に叩きつけた。
「『最大出力・連続開放』」
バチチチチチチチチッ――!!!!
紫色の巨大な放電現象がテラスを眩しく照らし出した。
「ギニャァァァァァッ!?」
三百万ボルトの高周波電流が暗殺者たちの神経系を焼き切り、男たちは白目を剥いて煙を上げながら前のめりに卒倒した。
交戦時間、わずか四秒。
容子は倒れた暗殺者の胸元をブーツで踏みつけ、冷静に残弾をチェックした。
「『黒い蠍』……裏ギルドね。私たちのビジネスの邪魔をするなら、その組織ごと『構造解析』して根絶やしにするだけよ」
闇の中から現れた新たな脅威。しかし、科学と兵器、そして異世界の理を手にした琴陵容子の前には、ただの「排除すべき障害」に過ぎなかった。
二人の異世界攻略は、新たなステージ――裏社会との暗闘へと足を踏み入れていくのだった。




