第3話:ピーマンの制裁と、異世界仕様のステータスビルド
「ただいまー」
間の抜けた宥子の声が玄関から響いた。
三日ぶりの帰宅だ。何はともあれ、無事だったのなら一安心――そう思いながら、私は工具を置いて何気なくリビングから玄関へと顔を出した。
――そして、その場で完全に固まる。
「……は?」
全身、真っ赤。
文字通り、頭のてっぺんから足の先まで、フレッシュな血糊を頭から大量にぶちまけたみたいな惨状で宥子が立っていたのだ。玄関のタタキに、赤黒い液体がポタ……ポタ……と滴り落ちている。
だが、当の本人は痛がる様子もなければ、苦しそうな素振りも見せない。
つまり、これは自分のものではない――すべてモンスターか何かの返り血だ。
完全にB級ホラー映画のワンシーンである。
「お帰りぃー……って何その格好わっ!!」
第一声がそれになったのは仕方ないと思う。
そして次の瞬間、私の頭の中で高速展開されたのは姉の生死の心配ではなく、洗濯と家計の心配だった。これは日常を守る主婦的な生活力の証だ。
待って、血って普通に洗って落ちる?
固まる前にぬるま湯と酵素系漂白剤に漬ければいけるか?
いや、あれ私が去年の誕生日に生地から選んで仕立ててやった、完全オーダーメイドの限定シャツなんだけど!?
私が脳内で高速で家計のダメージ計算とシミ抜き工程のシミュレーションを回していると、
「ボス戦してきた。」
とんでもない爆弾発言が宥子の口から投下された。
「……お前、レベル1じゃなかったのか?」
「何か街の外の森を散策してたら、急に巨大な赤いクマみたいなやつにロックオンされたべ。」
へらへら笑うな。
私は無言で宥子の頭をペシッと力任せに叩いた。
「そういう問題じゃないんだよ!! てかその服!!」
私は血塗れのシャツを指差し、血涙を流さんばかりの勢いで叫ぶ。
「二万二千八百三十二円!! 布地からこだわった一点物!! 既製品じゃないんだよ!? あの生地縫製してくれたお婆ちゃん、今年亡くなってて再注文不可なの!!」
叫ぶ私に、宥子は口を尖らせて不満そうに頬を膨らませた。
「ちょっとは私の心配してくれても良いじゃん! 私、死にかけたんだよ!?」
じと目で見つめてくる姉。
私は一瞬の躊躇もなく即答した。
「殺しても死ななそうな宥子より、もう二度と手に入らない服の方がはるかに貴重。」
姉、精神的ダメージで撃沈。
「……ひど。妹の愛が冷たすぎる……」
「いいからさっさと風呂入れ! 玄関の床に血を垂らすな!」
しっしと手で払って浴室へ追い払う。
しょんぼりと肩を落として脱衣所へ向かう背中を見送り、私は大きなため息をついた。
……ったく。着替えも持っていってないじゃん。
私は自室のクローゼットを開け、ジャージとバスタオルを引っ張り出して脱衣所のドア前に置いた。
――私の愛用している、ちょっと草臥れたエンジ色のジャージ。
理工専門学校時代の指定ジャージで、生地が無駄に頑丈なのが自慢の一品だ。これから行く異世界で目立つだろうが、どうせまた返り血塗れになるなら、手入れのラクなこれで十分だ。
◇
私はキッチンに立ち、まな板の上に包丁を叩きつけた。
本日の献立は、身勝手な行動で貴重な服を台無しにした対宥子用制裁フルコースメニューだ。
ナスとピーマンとカブの味噌炒め。
人参とピーマンのツナサラダ。
豚しゃぶと茹でピーマンの梅肉添え。
怒涛のピーマン三連撃。
圧倒的苦味と青臭さの暴力。
「心配料と服の損害賠償代だ。噛み締めて食え」
やがて、風呂から上がった宥子が、私のジャージを着て冷蔵庫から取り出した缶ビールを片手に、リビングのソファで盛大に寛ぎ始めた。
「あー、風呂上がりのビール美味いわぁ……生き返る……」
二十代女子の皮を被ったおっさんが完全にログインしている。
彼女は空中に浮かべた半透明のステータスボードを、指先でフリックしながら操作中だった。
私は足音を殺して背後に回る。
「うおっ!? 背後に立つなよゴルゴかよ!」
「余計なリアクションはいらない。それより、塩と砂糖と胡椒、ちゃんとボトルに補充したの?」
「あ、やば! 異世界貿易用の仕入れ忘れてた!」
「RPG定番の金策でしょうが! 早く行きなさいよ!」
私はテーブルの上の財布を掴んで姉に投げつける。
「ひえーっ!」と悲鳴を上げながら、速攻で近所のスーパーへ買い出しに走る姉。怒られた時の学習と行動だけは異常に早い。
◇
二十分後、ゼーゼーと息を切らせて戻ってきた宥子は、大量の砂糖や香辛料の業務用パックを瓶に手際よく詰め替え始めた。
「ちょっと、料理中のキッチンで粉末散らかさないでよ」
「アイテムボックスに入れるには、一応『自分の所有容器』に入ってないとダメっぽいんだもん!」
文句を言い合いながらも作業を終わらせ、
「ご飯できたよー」
と声をかけると、ウキウキで食卓に着席した姉だったが、テーブルの上に並べられた緑一色の惨状を見て、一瞬で顔面を蒼白にして崩れ落ちた。
「酷い!! 緑色しかない!! 私が安心して食べられるの白米だけじゃねーか!!」
「お残し厳禁。一粒でも残したら、明日の朝食はゴーヤ尽くしにするからね」
冷酷に宣言すると、宥子はボロボロと涙を浮かべながら、大嫌いなピーマンの味噌炒めを箸でつまんで口へ運んだ。
「うぅ……苦い……青臭い……」
「文句言わない。ピーマンはビタミンCが豊富なんだから、傷の回復にちょうどいいの」
そこまで嫌がるか。
新鮮なピーマンを強火でシャキッと炒めてあるのだから美味しいのに。
ちなみに、我が家では宥子の料理は全面禁止である。
何故なら彼女は、賞味期限内の新鮮な極上食材からでも、何故か確実に未知の食中毒物質を生み出すという破壊的な才能の持ち主だからだ。料理の天才の真逆。ある意味これも邪神のギフトかもしれない。
◇
「で、ボス戦終えた後の今のステータスどうなってんの?」
ピーマンを涙目で丸呑みした宥子に尋ねる。
「あ、そうだ。ちょい待ち。ステータスオープン!」
相変わらず私に対して無防備に画面を公開する姉。
表示されたウインドウを覗き込むと、新しく解放されたスキルの横の数値がどれも『0』になっている。
「ねえ、これPTでスキルを取っても、熟練度値が0なら発動率低すぎて意味なくない?」
「だよねぇ……。ボス倒したらボーナスポイント入ったんだけど、どこ振ったらいいか分かんなくて」
私は顎に手を当てて思考を巡らせる。
ゲームのシステム構築なら専門分野だ。運営がMMOベースで作っているなら、必ずリソース分配のバグや裏技が存在する。
「……熟練度も、直接PTを注入すれば無理やり上げられるんじゃないの?」
「えっ、そんなのどこにも書いてないよ?」
「試す価値はあるでしょ。ダメ元の裏技だよ」
宥子が半信半疑で、スキル一覧の『隠密』の項目をタップする。
表示は『隠密:0/100』。
彼女が溜まっていたボーナスポイントから、一気に100PTを投入してみた。
ピコン、という電子音とともに、表示が『隠密:1』へと変化した。
「ほら。」
私は腕を組み、ドヤ顔を決めた。
「うわ、マジだ! でも1上げるのに100PT消費とか糞ゲーすぎるんだけど!?」
「バグ技が通用しただけマシでしょ。いい? 今のアンタに必要なのは攻撃力じゃない。『隠密』『隠蔽』『索敵』の隠密系3セットを優先して上げな」
「えー? 派手な攻撃魔法とかじゃなくて?」
「加護持ちの異世界人は目立つの! まずは存在を偽装しろ。低レベルのソロプレイは背後からの気配遮断と一撃離脱が鉄則。見つかる前に気配を消して逃げるか、背後から不意打ち一撃必殺。これ基本ね」
論理的かつ冷酷に説得すると、社畜時代に叩き込まれたリスク管理の習性が疼いたのか、姉も「たしかに……」と納得して頷いた。
◇
食後、二人で本格的なステータス調整の作戦会議に入った。
ウインドウの詳細を精査していくと、従魔の欄に奇妙な記述を見つける。
契約可能枠:『∞』。
「……∞って何。上限なし?」
「あ、なんかね。テイムしたモンスターの数に制限がないらしいよ」
「ぶっ壊れ性能にも程があるでしょ……」
PTが尽きるまで効率的な数値振り分けを行い、最終的に出来上がった姉のステータス画面がこれだ。
---------STATUS---------
名前:ヒロコ(琴陵 宥子)
種族:人族/異世界人
レベル:30
職業:魔物使い
年齢:25歳(※ステータス上の誤表記)
体力:73/125
魔力:200/200
筋力:85
防御:63
知能:108
速度:60
運 :600
■装備:理工高指定ジャージ(エンジ)
■スキル:縁結び・契約∞・剣術2・索敵7・隠ぺい7・隠密7・魔力操作1・初級魔法1[全属性]・生活魔法1
■ギフト:全言語能力最適化・アイテムボックス・鑑定・経験値倍化・成長促進
■称号:なし
■加護:須佐之男命・櫛稲田姫命
■ボーナスポイント:70pt(温存)
「……うーん、微妙。」
レベル30まで上がった割には、基礎ステータスの上がり幅が偏っている。前衛でゴリ押しするには筋力も防御も足りない。やはり前衛でのソロプレイは厳しい。
「向こうで調子に乗って死なないと良いけど……。」
「ほんとそれ。次は絶対に無茶しないから!」
邪神製のMMO風世界だ。
当然、隠し要素や上位互換スキルへの進化システムはあるはずだ。
だが、この能天気な姉がそこまでのシステム構造を理解して立ち回れているかは非常に怪しい。
そして、翌朝。
私が目を覚ましてキッチンへ向かうと、昨晩大量に仕込んでおいた作り置きの料理(カレー、豚汁、常備菜)が、鍋ごと綺麗さっぱり全滅していた。
「……全部持ってったな、あのバカ姉。」
私は誰もいないリビングで、静かに、そして苛烈な殺意を覚えた。
人の朝ごはんまでアイテムボックスに収納して異世界へ戻りやがった。
だが同時に、腹は括られた。
「……刀、いるな。」
万能包丁やサバゲー用の銃器だけでは、真の意味で異世界の怪異や理不尽な神の因果を断ち切ることはできない。
私が削り出さなければならないのは、目に見える肉体だけでなく、目に見えない「縁」そのものを切断するための真の刃だ。
私は上着を羽織り、カバンを掴むと、かねてより知り合いの怪しい骨董店――いや、久世の姉さんの紹介で行ったことのある、霊験あらたかな古物商へと足を進めた。
神様に喧嘩を売るなら、こちらも本気の中の本気だ。
社会人双子の異世界攻略。
次の一手は、因果を断つ刃の調達である。




