第2話:弾丸と段ボール、そして第二幕の予感
宥子がサイエスへ旅立ってから、数日が経った。
リビングに一人たたずむと、いつも二人で使っていた部屋の静けさがやけに広く感じられる。
私は自室の作業デスクに向かい、整然と機械工具を並べながら小さく呟いた。
「……本当に行きやがったな、あのバカ姉。」
日本理工専門高校で機械制御や電子工作、工業技術をみっちりと叩き込まれていた過去が、まさかこんな異次元の形で役立つとは思わなかった。人生、どこで何が伏線回収されるか分かったものじゃない。
デスクの上には、精密ドライバー、はんだごて、電圧測定器、そして半ばまで分解された様々な機材が転がっている。
もちろん、日本の法律を犯すような違法改造をするつもりはない。だが――未知の怪異やモンスターが跳梁跋扈する世界へ飛び込んでいくポンコツな姉をサポートするためには、物理的な威力の“底上げ”が絶対に必要なのだ。
異世界サイエスがどれほど危険な世界なのか、私はまだ写真や映像で見たわけではない。
だが、初期レベル1の無防備な状態で放り出された姉が、運の良さだけで永久に無事でいられるほど甘い世界であるはずがない。
「高火力は正義……ってね。」
私はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、安全第一で機材の電圧調整と接点加工を進めていく。
ピンポーン。
静かな室内に、甲高いインターフォンのチャイム音が鳴り響いた。
集中していた私の心臓が、一瞬だけ跳ね跳びそうになる。
――え、警察? 電車消失事件の件で追加の聞き込みか!?
いや、違う。落ち着け。私は何も悪いことはしていない。
息を整え、インターフォンのモニター画面を確認すると、そこに映っていたのは大手宅配業者のおなじみの制服を着た、爽やかで感じの良さそうな青年配達員だった。
「はーい。」
玄関を開け、受け取りのサインを済ませてずっしりと重いダンボール箱を受け取る。
作業部屋に戻り、カッターでテープを切って慎重に箱を開封した。
「来たか。」
中から現れたのは、サバゲーマニアの間で人気の高い『HK416C カスタム』の次世代電動ガン。そしてもう一つ、海外製の高電圧スタンガンをベースにした合法仕様の電極銃だ。
当然だが、どちらも日本の銃刀法や法規制に完璧に準拠した完全な合法モデルである。
「このままじゃただの“玩具”だけど……。」
私は内部パーツの配線図を眺めながら、再び不敵に笑う。
高放電放熱仕様のLi-Poバッテリーへの換装、シリンダー圧の気密性の徹底的な強化、モーターの超高回転化。
あくまで日本国内の“安全基準内”での性能向上にとどめるが、異世界サイエスに持ち込んであっちの素材(例えば魔物の油や未知の鉱物)でさらにチューニングする分には、日本の法律は及ばない。多分。
「……たぶん。」
いや、法律の適用外とはいえ法改正や解釈の境界線としてはかなりグレーだな。考えるのはやめておこう。
私は気を取り直し、電動ガンのギアボックスの精密調整作業を再開した。
◇
ひと段落ついた頃には、時計の針はすでに数時間を進めており、私の首と肩は石のようにガチガチに固まっていた。
「はぁぁ……肩が凝った。」
ドライバーを置き、立ち上がって大きく背伸びをする。
キッチンへ向かい、電動ミルで豆を挽いて丁寧にコーヒーを淹れる。部屋中に芳醇な湯気と深みのある香りが広がっていく。
コーヒーカップを片手にスマホを手に取ると、一通のメッセージが届いていた。送り主は久世師匠――私を退魔補助の裏稼業に引きずり込んだ、「デリバリー・シャーマン」の代表・久世苧環だ。
まだ宥子が電車に跳ねられて異世界へ召喚されたなどという話は、彼女には一切話していない。
何の証拠もないのに「姉が異世界に転移して魔物使いになりました」なんて相談したら、一級品の霊媒師である彼女に本気で心配されて、今度こそ心療内科か精神科に叩き込まれるのが目に見えている。
――まあ、双子の実妹である私ですら、目の前でステータス画面を見るまでは頭がバグったのかと疑ったのだから無理もない。
スマホの画面に表示された依頼内容を確認する。
『悪質なストーカー霊との縁切り。対象は都内の女子大生。本日深夜対応希望。報酬:5万円』
「……報酬少なっ。」
宥子と二人で受けるような大型の怪異退治の依頼に比べれば、明らかに単価が低い。久世の姉さんも「ちょっとした手すき案件だけど行く?」くらいの軽いノリで振ってきているのだろう。
だが、背に腹は代えられない。今の我が家は私が稼ぐしかないのだ。
宥子の退職手続き後の当面の生活費も、異世界へ持ち込む機材の購入費や武器調整のパーツ代も、すべてリアルなお金がかかる。小説の印税振込は来月だし、私の財布は防衛ラインギリギリなのだ。
「……軍資金だ。背に腹は代えられない」
私はため息をつきながら、「了解。現地集合で」と短く了承の返信を送信した。
◇
コーヒーを飲み干し、ノートパソコンを開く。
大手ECサイト『ママゾン』を開き、異世界へ持ち込むための“使えそうな物”を徹底的に物色し始める。
「いつまでも武器が万能包丁とゴキジェットってのもなぁ……。」
あの能天気な姉、本気であんなもので異世界のモンスターや人間相手に戦うつもりだったのだ。魔物使いの従魔が優秀だとしても、本体が隙だらけでは話にならない。
防刃ベスト、アウトドア用の多機能サバイバルナイフ、高輝度LEDフラッシュライト、強力な防犯スプレー、大容量ポータブル電源、ソーラー充電パネル。
カゴの中に次々と実践的なサバイバルグッズを放り込んでいく。
粗方注文を済ませ、そろそろ夕飯の買い出しに出ようと、上着を羽織って玄関へ向かった。
そこで、ふとある違和感に気づいた。
「あれ?」
玄関横の土間に置いてあったはずの、私の愛用する原付スクーター(125ccのタフな実用車)が跡形もなく消えている。
……は?
「持ってったな、あいつ。」
異世界に。
剣と魔法と中世ヨーロッパ風のMMORPG世界に。
ガソリンで動く日本の原付バイクを。
「オーバーテクノロジーなんてもんじゃないでしょ……!」
中世風の街並みを、ヘルメットをかぶったアラサー女子が原付で爆走している光景を想像して頭が痛くなった。ガソリンが切れたらただの重たい鉄くずになるのだが、あいつはアイテムボックスを持っているから無制限に収納できるのだ。
まあ、レベル1で魔境に放り出された身だ。移動手段として多少のチートアイテムがあってもバツは当たらないだろう。
バイクの消えた空間を見つめているうちに、ふと私の頭にあるアイデアが閃いた。
「……待てよ? こっちの物が向こうに持ち込めるなら――逆もまた然りだし、向こうで価値が出るものを持ち込めばいいんじゃ?」
私はリビングの隅に視線を向けた。
そこには、宥子が長年買い溜めし、開かれぬまま天井近くまで山積みにされた170センチ級の段ボール箱の群れがあった。
姉の『お宝箱』。
中身は、女性ファッション誌やブランドの特別付録としてついてくる、未使用のポーチやトートバッグ、多機能ショルダーバッグの類である。
数えてみれば、大きな箱が約20個。中身のバッグは百個を下らない。
「……これ、向こうで売れるな。」
日本のリサイクルショップに持っていっても、雑誌付録なんて数十円から数百円の二束三文でしか買い取ってもらえない。フリマアプリに出品するのも、撮影や発送の手間がかかりすぎて時間がもったいない。
だが、裁縫技術が手作業中心で、ファスナーや防水ナイロン生地、精密な金属パーツが存在しない異世界サイエスならどうだ?
「裁縫も刺繍も造形もしっかりしてるし、軽くて頑丈で多機能。向こうじゃちょっとした高級品……いや、貴族向けの宝飾バッグ扱いになるんじゃないの?」
さらに、思考のギアが一気に上がっていく。
「逆に、向こうの美しい鉱石や魔物の毛皮、高品質な薬草なんかをこっちに持ち込んで、私が加工してフリマや裏ルートで売るのもアリでは?」
異世界輸出入ビジネス。
貿易摩擦も関税法も税務署も関係ない、超高粗利の流通ルート。
合法かは知らない。というか法整備すらされていない未開の領域だ。
でも、男心ならぬ「理工系女子のロマン」が激しくくすぐられる。
何を隠そう、私は中学時代から重度のコスプレ沼に落ちていたオタクだ。
施設にいた頃、近所に住んでいた腕利きの裁縫師のお婆ちゃんに頼み込んで弟子入りし、型紙の起こし方からプロ仕様のミシン裁縫、服飾造形まで徹底的に仕込まれた過去がある。自作衣装の完成度には相当な自信があった。
「向こうの魔法素材と、こっちの現代裁縫技術を組み合わせて、高級冒険者用装備ブランドでも立ち上げる……いけるか?」
頭の中で一気に金策プランが広がっていく。
退魔補助の危険なアルバイトに頼らなくても、異世界ブランドの輸出入だけで圧倒的な資産を築けるかもしれない。
「よし、買い出し中止!」
私は上着を脱ぎ捨てると、気合いを入れて腕まくりをし、積み上げられた段ボールの山へと突入した。
◇
山積みの箱を一つずつカッターで開封し、中身を取り出していく。
完全未使用のブランドコラボポーチ。
合皮製のショルダーバッグ。
使用済みの美品。
生地が傷んだボロ。
テキパキと検品し、床の上に仕分けていく。
「これはストリートで高く売れる売却用。これはギルドの幹部や商人への賄賂用。これは素材として解体する保留用……」
異世界サイエスでの円滑な交渉を行うための材料も必要だ。
向こうの文化がわからない以上、単に甘い物を持っていくより、実用的な日用物資や美しい装飾品の方が確実に効く。
黙々と検品と分類の作業に没頭していると、窓の外はすっかり真っ暗になり、夜が明けて再び次の夜が訪れようとしていた。
「やばっ、集中しすぎて時間忘れてた!」
慌てて作業を中断し、近所のスーパーへ買い出しに走った。
牛肉と野菜、スパイスを買い込み、大きな鍋で特製のカレーを作り始める。
部屋の中に香ばしいカレーの匂いがぐつぐつと煮立ち、食欲をそそる。
しかし――。
鍋の火を消し、テーブルに皿を並べて待てど暮らせど、宥子は一向に帰ってこなかった。
「今日の夜には一回戻るって言ってたよね?」
壁の時計を見る。
針はすでに深夜2時を回っていた。
「……時間軸のズレ、厄介すぎる。」
向こうの数時間が、こっちの数日に伸びてしまう。
連絡手段も異世界間では電波が届かないため、彼女が今向こうで無事なのか、それともドラゴンに丸呑みにされているのかすら確認できないのだ。
結局――姉が玄関のドアを開けて帰ってきたのは、それから丸三日後のことだった。
ちょうどその日、ママゾンから注文していた大量のダンボール箱(サバイバルグッズ、防犯兵器、ポータブル電源、大容量バッテリー、大量の調味料)が怒涛の勢いで届いたタイミングだった。
結果として――。
我が家のリビングの一部屋は、完全に銃器、サバイバル兵器、異世界輸出用物資で占領されることになった。
名付けて、『異世界遠征拠点・第一準備室』の完成である。
バタン、と玄関のドアが開き、帰ってきた宥子の姿を見て、私は絶句した。
彼女は身にまとっていた服がところどころ破れ、顔も服も真っ黒な煤だらけになっていたのだ。
「ただいまー……」
フラフラと力なくリビングに入ってくる姉に、私は呆れ半分、心配半分で声をかける。
「おかえり。……生きてる?」
「ギリギリ……? ゴブリンの群れに囲まれて、ゴキジェット全弾噴射して原付で全員轢き倒してきた……」
ゲラゲラと疲弊した顔で笑う姉。
笑い事じゃない。完全に世紀末の狂気である。
だが――その瞳の奥には、数日前までのしがない社畜事務員だった頃の泥のような濁りは一切なく、過酷な生死の境目を潜り抜けてきた“冒険者”特有の力強い光が、確実に宿っていた。
私は静かに、深く息を吐き出した。
異世界サイエス。
MMO仕様のゲームシステム。
時間軸の不確定なズレ。
現代日本の物資とテクノロジーの持ち込みが可能。
――なら。
「次は私も行くか。」
双子は片割れだけでは不完全だ。
切り離された半身が向こうで暴れているなら、もう半分がついていって手綱を引くのが筋というものだろう。
宥子の“縁結び”と、私の“縁切り”。
異世界の勝手な神様に喧嘩を売り、運営のバグを突いてボロ儲けするには、二人揃っていた方が都合がいい。
武器の調整は完了した。
防具と物資の調達も完璧だ。
第二幕、準備完了。
社会人双子の異世界ガチ攻略生活は、ここからが本当の本番である。




