第1話:縁切りのペンと、異世界帰りの姉
私の名前は琴陵容子。
専業小説家という名の自由業であり、その実態は日銭を稼ぎながら怪異を処理する「退魔補助」という、なんだかよく分からない二束の草鞋を履いている女だ。
そして現在、私の目の前に座り、緑茶を優雅にすすりながら「私、異世界に行ってきたんだよね」などと頭の沸いた寝言を平然と供述しているのが、双子の姉である宥子だった。
「……うん、宥子。ちょっと落ち着こうか。頭イカレたのかな? 大丈夫、お姉ちゃんの精神の健康は私が守るよ。とりあえず心療内科じゃなくて、今すぐ受け入れてくれそうな精神科をスマホで探すから」
「酷い! ちょっと容子、なんで本気で病院の予約取ろうとしてるの!? 私、本当に異世界に行ってきたんだってば!」
必死な顔で身を乗り出してくる宥子を、私は氷のように冷ややかな視線で見つめ返した。
無理もない。だって彼女は、三日前に電車に轢かれて消失したのだから。
話は三日前に遡る。
宥子は仕事帰り、満員電車のホームで線路へと落下し、接近してきた通過電車にそのまま轢かれた。……はずだった。
だが、ホームにいた大勢の目撃者が固唾をのんで見守る中、線路の上には血の一滴も、肉片一つも残されていなかった。電車が通り過ぎた後、そこにはただ彼女の鞄だけがぽつんと取り残されていたのだ。
「人が電車に飛び込んだのに消失した」というショッキングなニュースと防犯カメラの映像は、瞬く間にSNSで拡散され、世間では「現代の神隠し」などと大騒ぎされていた。
警察からの事情聴取を受け、私自身も「ついにあの家系の呪いでも巡ってきたか」と頭を抱えていたのだが――。
で。
先ほど、何食わぬ顔で我が家の玄関を開けて帰ってきたのが、目の前の能天気な姉である。
「神隠しじゃなくて、異世界転移! マジだから! 信じてよ容子!」
「はぁ……。宥子、あのね。小説家の私がいうのもなんだけど、現実とファンタジーの区別くらいつけなよ。三十路手前の大人が『異世界行ってきた』は痛すぎるでしょ」
「二十九歳だよ! あと一か月は二十八歳だよ! とにかく見ればわかるから!」
憤慨した宥子は、ぐっと両拳を握りしめ、空に向かって叫んだ。
「ステータスオープン!」
――は?
私が冷ややかな呆れ顔を崩す暇すらなかった。
宥子の眼前に、突如として青白く発光する半透明のウインドウが展開されたのだ。空間そのものが切り取られ、ホログラムのように浮かび上がるグラフィック。
SF映画のCGでも、最新のVRゴーグルの映像でもない。私の生身の眼球が、くっきりとそれを捉えている。
「……マジか。ステータス画面やん」
私は手に持っていたスマホをソファに落とし、固まった。
そこに表示されているのは、どこからどう見てもRPGゲームのステータスそのものだった。日本語訳されたフォントで、詳細な数値とスキルが整然と並んでいる。
【名前】 琴陵 宥子
【職業】 魔物使い
【LV】 1
【HP】 50/50 【MP】 120/120
【STR】 8 【VIT】 7 【AGI】 10 【INT】 15 【LUK】 300
【固有スキル/ギフト】
・全言語能力最適化
・アイテムボックス(容量:無制限)
・鑑定(LV:MAX)
・経験値倍化(10倍)
・成長促進(極)
【従魔】
・『紅白』:【詳細未解放】
・『赤白』:【詳細未解放】
【加護】
・須佐之男命の加護
・櫛稲田姫命の加護
「……ねえ宥子」
「なに、容子?」
「お前、魔物使いかよ。しかもちゃっかり『紅白』と『赤白』なんて怪しげな奴らをテイムしてんじゃねぇか!」
「不可抗力だよ!? 向こうに着いた瞬間、目の前にいた変な蛇みたいなやつと鳥みたいなやつが勝手に懐いてきたの! それより見てよこの『運 300』! 初期値の平均って 10 とからしいよ!?」
運だけ異常値。
完全にガチャ廃人向け、あるいは初期設定で数値をバグらせた重課金勢のステータスである。
しかもギフト欄がエグい。全言語能力最適化にアイテムボックス、鑑定MAX。経験値10倍に成長促進(極)とか、ソシャゲのサービス開始記念ハイパーぶっ壊れチュートリアル特典か何かか。
「運営、仕事しろよ……ゲームバランス崩壊してんだろ……」
「運営って誰!? 神様的なサムシング!?」
「しかも加護まで付いてるし……須佐之男命と櫛稲田姫命って、日本神話の夫婦神フルサポートかよ。うちの実家の神社、一応その二柱祀ってたよね? まさか実家のツケがこんなところで効いてるの?」
私の問いかけに、宥子は少し気まずそうに目を泳がせた。
そう、私達琴陵家は、由緒ある神職の家系……らしい。
「らしい」と他人事のように言うのは、私自身が幼い頃に家族との縁をぶった切って出奔したからだ。
物理的に家出をしただけではない。概念的に、だ。
私には生来の能力があった。それが“縁切り”。
目に見えない人間同士の結びつき、運命、因果、果ては呪いに至るまで、あらゆる「縁」を認識し、それを断ち切る力。
対する双子の姉・宥子が持っていたのが“縁結び”。人と人、人とモノ、あらゆる好意や運命を結びつける力。
なんとも縁起の良い対の双子として、実家ではさぞ大切に育てられた……と言いたいところだが、家庭環境は実に最悪だった。血筋だの伝統だの、能力を家の繁栄のために使えだのという大人の汚い都合に振り回される毎日に、私は早々に嫌気がさしたのだ。
十四歳の時、私は自分の力で実家および両親との「血縁の縁」を不可逆的に切断した。親は私の存在そのものを記憶の隅に押し追いやり、私もまた実家を飛び出して児童養護施設へと入所した。
普通科高校には進まず、学費を浮かせるためと手に職をつけるために、日本理工専門高校へと進学。三年間みっちりと工業技術や機械制御、プログラミングを学んだ。大学推薦の打診もあったが、学費を払う余裕など皆無だったので丁重にお断りした。
卒業後は持ち前の想像力を活かしてWeb小説を書き始め、奇跡的にデビュー。細々と印税で生活費を稼ぐ中、私の“縁切り”の力を見抜いた一人の変人と運命的な出会いを果たすことになった。
久世苧環。
自称、占い師。
実態はガチの霊媒師。
退魔の腕は一級品で、怪異駆除の出張サービス会社「デリバリー・シャーマン」の代表を務める胡散臭い女性だ。
彼女にスカウトされて以来、私は小説家としての執筆業の傍ら、彼女の現場についていって危険な怪異の縁をバッサリ切る「退魔補助」の二束草鞋生活を送っていたのだ。
一方、実家に残った宥子は宥子で、両親の過干渉に耐えかねて高校卒業と同時に脱走。私と連絡を取り直し、都内のIT企業でしがない事務員として働いていたはずなのだが――まさか電車に跳ねられて異世界へ飛ばされるとは、神様も粋な嫌がらせをしてくれるものだ。
「で、異世界ってどんなところだったの?」
「うんとね、サイエスっていう名前の世界らしいよ。街並みは中世ヨーロッパ風で、冒険者ギルドがあって、街の外には普通にスライムとかゴブリンがウロウロしてるの。まさにMMORPGの世界!」
「サイエスねぇ……。で、どうやって戻ってきたの? 異世界転移って普通、魔王倒すまで帰れないパターンが多くない?」
「なんかね、召喚の儀式がバグったらしくて。異世界の神様っぽい声が頭の中に響いて『あ、間違えて異物を引き込んじゃった。ごめんごめん、戻すねー』って言われたんだけど、帰還のトリガーに『自分の所有物がある場所』を指定されたの。だから『この家、半分私の名義で所有権あるよ!』って強く念じたら、リビングにすぽーんと戻ってこれた!」
「博打すぎるでしょ……」
住宅ローンの折半名義がまさか異世界からの帰還ビーコンになるとは。持ち家を買っておいて本当に良かった。
「でも、宥子。問題は時間だよ」
「時間?」
「向こうではどれくらい過ごしたの?」
「うーん、街をちょっと散策して、ギルドの登録窓口で説明聞いて、神様の声が聞こえて帰ってきたから……トータルで三時間くらいかな?」
「こっちでは三日経ってるよ」
宥子は「えっ」と声を漏らして絶句した。
「時間軸がズレてる。向こうの1時間が、こっちの1日……あるいはもっと複雑な比率で歪んでる可能性があるね。向こうで1週間過ごしたら、こっちでは数ヶ月経ってるかもしれない」
「嘘でしょ!? じゃあ、私……」
「うん。会社、辞めなきゃだね」
「……あ。」
忘れてた、みたいな顔すんな。
「無断欠勤三日目で、しかもネットでは電車跳ねられ消失事件の渦中の人だよ? 私が『急病で入院して連絡が取れませんでした』って適当に誤魔化して会社には連絡入れておいたけど、警察も動いてる。どうせまた向こうに行くんでしょ?」
「行かなきゃダメっぽいんだよね……『サイエスの世界を攻略しないと、完全に次元の歪みが塞がらない』とか神様が言ってた気がする……」
「なら確定だね。有休消化の手続きをして、円満(?)退職の書類を作っときな。社会人の基本でしょ」
「はい……」
がっくりと肩を落とす宥子。
だが、さすがは厳しい社畜生活を耐え抜いてきた現代日本人である。立ち直りは早かった。宥子はすっと顔を上げ、真顔になった。
「……よし。決めた。やるからには徹底的にやる」
「何を?」
「まずはレベル上げと、金策だね」
「生活基盤が第一だよね」
社会人、どこまでも現実的である。世界を救うだの魔王を倒すだのという大義名分よりも、まずは資金計画と安全確保。それがアラサー女子のリアルだ。
「向こうの通貨は銀貨とか金貨だったよ。で、ギルドの物価表を見たんだけど……塩とか調味料がめちゃくちゃ高価だったの!」
「出たな、異世界貿易。定番中の定番だけど、一番確実な奴」
「でしょ!? だから日本で大量の砂糖、塩、胡椒、それから味の素を買い込んで向こうに持ち込む。アイテムボックスは容量無制限だからいくらでも入る! 物価差で儲けて、まずは向こうでの拠点を作るの!」
「輸出ビジネス始動か。関税とかどうなってんのか知らんけど。……で、現地の治安は? 武器は何持っていくの?」
「え? 万能包丁と、ゴキジェットプロ」
私は深くため息をつき、天井を仰いだ。
「……万能包丁で何と戦うの。相手はモンスターでしょ? 刃が通るわけないじゃん」
「人間相手ならいける」
「物騒!! 発想が暗殺者のそれなのよ!」
「だってモンスターはテイマーの力でなんとかするし! あと、害虫系のモンスターが出たら嫌だからゴキジェットは必須!」
カバンの中に業務用サイズのゴキジェットプロを手際よく詰め込んでいく宥子。異世界で害虫駆除する気か。強力な神経毒だから巨大昆虫にも効くかもしれないが、あまりにも絵面がシュールすぎる。
正直、不安しかない。
宥子はポンコツだ。運の数値が300あろうが、根が甘いから簡単に騙されかねない。
それに何より――自称神とやらの身勝手さが気に入らなかった。
誤召喚? 間違えて引き込んじゃった?
勝手に人の生きている人生を弄んで、バグの処理を一般人に押し付けるなと言いたい。
私は「縁を断ち切る」女だ。不条理な運命や、勝手な神の都合なんて、一番大嫌いな代物である。
「……宥子」
「ん?」
「必要なら、その異世界の神様との縁、切ってあげようか? 召喚の因果ごと断ち切れば、もう二度と巻き込まれずに済むと思うけど」
私の提案に、宥子は少し考え込むように首をひねったが、やがて苦笑いを浮かべて首を振った。
「うーん、ありがと容子。でも、腐っても自称神様だからね。下手に縁を切ったら、私ごと次元の狭間に落ちちゃいそうだし……それに、サイエスの世界、ちょっと面白そうだったんだよね」
「たく……能天気なんだから」
なら、腹は決まった。
攻略するまでだ。
異世界サイエス。MMO仕様のシステム。
ルールがあるなら穴もある。裏技、大歓迎。
おい神様。
仕様の穴を突くシステム構築と、バグ利用の効率化は専門学校時代からの私の得意分野だ。運営のガバガバな設定、絶対に見逃さないからな。
こうして私たち双子は――。
異世界と日本を往復しながら、社会人としての現実的な感覚を武器に異世界をガチ攻略する生活をスタートさせるのだった。
まずは安全なレベル上げ。
そして確実な黒字化。
邪神だか魔王だかの討伐なんて、それは全部安全資産が溜まってからの話だ。
優先順位?
そんなの決まっている。もちろん、日々の生活費と貯金である。




