第十三話
冒険者ギルドでの一斉レベリングと基礎教育を終え、黒煙山脈のプラント建設が軌道に乗った頃――琴陵商館の一階は、本来の化粧品や金属素材の販売スペースを遥かに超えた、異様な熱気と文化の奔流に包まれていた。
「――容子、今週分の『週刊ウルフェン・コミックアンソロジー』と、翻訳版の知育絵本、それに携帯型液晶ゲーム機(サイエス専用ローカライズ版)の初期ロット三千台、全部完売しちゃったよ……! 開店前から街中の子供たちや貴族のお嬢様、それにドワーフのおじちゃんたちまで大行列を作ってたの!」
宥子が嬉しそうに、しかし目を回しながら二階の特設編集室へと駆け込んできた。その足元では、紅白と赤白がそれぞれ可愛い特製ブックカバーを咥えて誇らしげに宙を舞っている。
「想定の範囲内よ。けれど、文化の伝播速度(バズり方)が指数関数的すぎるわね」
容子はマルチディスプレイの画面を冷徹に操作しながら、サイエス全土のコンテンツ流通ログをチェックしていた。
元々は、商館で働く元奴隷の従業員たちに日本語やサイエス文字、論理的思考を楽しく学ばせるために日本から持ち込んだ知育アニメ、児童書、漫画、そして教育用ゲームソフト。
それが、従業員たちの家族や知人を通じてウルフェンの街へ漏れ伝わり、瞬く間に「魂を揺さぶる未知の娯楽」として爆発的な大ブームを巻き起こしてしまったのだ。
「娯楽に飢えていた中世レベルの封建社会に、日本の洗練されたサブカルチャーと知育メディアを投下した結果よ。
文字が読めない平民の子供たちは、ピクトグラム付きの知育アニメで歌いながらあっという間に読み書きと掛け算をマスターした。
大人たちは、少年漫画の熱い友情と冒険に涙し、少女漫画のドラマチックな恋愛模様に熱狂している。
さらに、日本から持ち込んだ業務用高速輪転印刷機と電子タブレット端末によって、紙の書籍とデジタルコンテンツの大量供給体制が確立された……。
これはもはや、単なる商業活動を超えた【文化維新】よ」
「みんなが文字を覚えて、本を読んで目をキラキラさせてるのはすっごく素敵なことだよね! ……でもね、容子。ちょっと……なんていうか、一部の方向性が、すっごくディープな方向に進化しちゃってる気がするんだけど……」
宥子が頬に手を当てて、困ったように眉を下げた。
「……ええ。把握しているわ」
容子は静かにため息をつき、画面のウィンドウを切り替えた。
そこに表示されたのは、ウルフェン領主府の貴族令嬢たち、エルフの自治区の神官長、そして街の女性冒険者たちから届いた【超大量の同人誌・二次創作小説の委託販売申請データ】だった。
◇
ことの発端は、日本からサンプルとして持ち込まれた名作ファンタジー漫画や、王道バトル小説、そして乙女ゲームだった。
サイエスには元々、吟遊詩人が語る粗削りな英雄譚や、神殿が編纂した退屈な宗教説話くらいしか物語文化が存在しなかった。
そこに突如として現れた「緻密な心理描写」「複雑な人間関係」「ツンデレやヤンデレといった記号化されたキャラクター属性」、そして――「男同士の熱い絆(意味深)」。
この劇薬のようなカルチャーショックに、真っ先に脳を焼かれたのが、日頃から厳格な身分制度と退屈な社交界に縛られていた貴族の令嬢たちや、数百年を無為に生きてきたエルフの女性たちだった。
「……特に、このジャンルよ」
容子が眉間を押さえながら、検閲用のサンプル冊子を開く。
そこには、美麗なサイエス調の挿絵と共に、熱烈な文章が書き連ねられていた。
『――「離せ、ソウタ! 貴様のような元勇者が、この私の隣に立つなど……っ!」
「嫌だね、親方! アンタの鍛える鋼の熱さを知っているのは、世界中で俺だけだ!」
火花散る鍛冶場で、二人の視線が激しく絡み合う――』
「これ……ソウタくんとドワーフの鍛冶ギルド長のおじちゃんをモデルにした、貴族令嬢の手書きBL小説じゃない……!」
宥子が顔を真っ赤にして叫んだ。
「そうよ。タイトルは『黒煙山脈の熱情〜不器用なドワーフ匠と元勇者の愛の焼入れ〜』。著者はウルフェン伯爵家の令嬢クラリス。先週のコミック即売会で限定五百部が一分で完売したわ。
さらにエルフの自治区からは、神聖騎士団の美青年騎士と若きエルフ神官の禁断の愛を描いた長編小説が持ち込まれ、現在サイエス王都の貴婦人たちの間で闇ルートを通じて白金貨十枚で取引されているわ」
「ひ、ひぇぇぇ……! みんなの創作意欲が爆発しすぎて、完全に『腐海』が広がっちゃってるよ~!」
「文化が高度に発達する過程において、女性層を中心とした二次創作および耽美系サブカルチャーの興隆は歴史の必然よ。否定はしないわ。むしろ――」
容子はメガネのブリッジをクイと押し上げた。
「この熱狂的なオタク需要は、極めて高い利益率を誇る【超高付加価値ビジネス】になるわ」
◇
その日の午後、琴陵商館の一階特設イベントスペース。
そこはもはや、地球の東京ビッグサイトで開催される同人誌即売会そのものの様相を呈していた。
「最後尾はこちらニャー! 押さないで並ぶニャ! 走ると危ないニャ!」
猫獣人のミャロが、拡声器を片手に誘導棒を振って見事な列整理をこなしている。
並んでいるのは、ドレスを着た貴族令嬢、ローブを羽織ったエルフの魔導師、筋骨隆々の女性冒険者、そして目を血走らせた裕福な豪商の夫人たちだった。
「クラリス様の最新刊、絶対に手に入れなくては……! 先日完結した日本の漫画『絆の聖剣』の公式ファンブックも絶対に買うわ!」
「私は知育アニメのキャラクター『ぷにるん』の公式ぬいぐるみが欲しいのです! あの愛くるしい姿……見ているだけで魔力回路が浄化されますわ!」
店内には、日本からライセンス輸入(およびデミ・ディバイン・コアによる現地言語ローカライズ版)された正規の漫画、知育絵本、知育パズルゲーム端末が整然と並び、奥の特設ブースには現地作家たちによる公認同人誌がずらりと平積みされていた。
そして、レジカウンターと資材搬入の現場では――。
「ソウタ主任! 第2倉庫から『乙女ゲーム風・恋する魔導士育成ノベル』の増刷分五十箱、持ってきました!」
鬼族のラッカが、軽々と段ボールの山を運んでくる。
「ありがとうラッカ! ミャロ、レジのPOS端末のロール紙、予備を補充しておいてくれ! 釣銭の銀貨が足りなくなりそうだから、金庫から追加のドロアーを出してくる!」
ソウタは額に汗を浮かべながら、テキパキと指示を飛ばしていた。
かつての荒んだ面影は完全に消え去り、今やウルフェンの文化産業を支える敏腕ロジスティクス責任者として、街中の人々から絶大な信頼を寄せられていた。
……ただし。
「あ、あの……ソウタ主任……?」
列に並んでいた貴族令嬢の一人が、頬を染めながらソウタに恐る恐る声をかけた。
「は、はい! なんでしょうか、お客様!」
「こ、これを……! 次回作の取材のために、ソウタ主任がドワーフの親方と仲良く作業している時の【オフショット生写真(魔導水晶記録符)】を……千ペリカでお譲りいただけないでしょうか……!?」
「な、なんで俺とおっさんの写真なんですかぁぁぁっ!? 勘弁してください、ただの業務記録ですってば!!」
ソウタが真っ赤になって頭を抱える横で、令嬢たちは「きゃあっ! 照れてるソウタ様も素敵……!」「受け……完全に受けの反応ですわ……!」と黄色い歓声を上げていた。
「……ソウタくん、すっかりウルフェンのアイドルになっちゃったねぇ」
二階の手すりからその様子を眺めていた宥子が、クスクスと笑った。
「現場の指揮官が親しみを持たれるのは、組織マネジメントとして悪くないわ。肖像権のガイドラインだけは後で策定しておくけれど」
容子は淡々とタブレットにメモを取りながら、満足げに頷いた。
◇
文化の爆発的普及は、単なる娯楽に留まらず、サイエスの社会構造そのものを根底から変革し始めていた。
1.識字率と教育水準の劇的向上
知育アニメ『もじもじフレンズ』や、歌って覚える算数ゲームが街の孤児院や平民の家庭に普及した結果、ウルフェン領内の子供の識字率はわずか数ヶ月で【十五パーセントから八十五パーセント】へと急上昇した。
領主のウルフェン伯爵は「我が領地の子供たちが全員、帳簿を読める神童になった」と感涙し、領内の公立学校すべてに琴陵商会の知育タブレットの導入を決定した。
2.産業と物流のゲーム化
商館が配信した倉庫パズルゲームや経営シミュレーションゲームをやり込んだ若者たちが、街の商業ギルドや流通拠点へ次々と就職。
「ゲームと同じ感覚で無駄な動線を削ったら、配送効率が三倍になった」という事例が多発し、ウルフェン全体の経済活動が劇的にスマート化した。
3.精神的ストレスの緩和と治安の劇的改善
過酷な討伐任務で精神を摩耗させていた荒くれ冒険者たちが、宿屋で携帯ゲーム機の育成RPGに夢中になったり、ギャグ漫画を読んで大笑いするようになったことで、街の酒場での喧嘩や暴力事件の発生率が【七十パーセント激減】した。
「娯楽とは、精神の余剰エネルギーを平和的かつ創造的に昇華させる最高の安全弁よ」
夜、商館の三階執務室で、容子は本日の決算レポートをまとめた。
「本日のコンテンツ部門の純利益――白金貨百二十枚。化粧品や金属素材の売上と合わせ、我が社の月間キャッシュフローは王都の大手商会連合を単独で抜き去ったわ」
「すごーい! みんなが楽しく本を読んだりゲームで遊んだりして、街も平和になって、会社も潤うなんて……これ以上素敵なご縁はないね!」
宥子が満面の笑みで、紅白と赤白を撫でる。
二匹の白蛇も、街中に満ちる人々の喜びと活気のオーラ(ポジティブな思念)を吸収し、その鱗をこれまで以上に神々しく輝かせていた。
「けれど、宥子。文化の力は時に、武力以上の脅威として旧権力層の目に映るわ」
容子の瞳が、スッと冷徹な光を宿した。
「王都の保守派貴族と、アーラマンユの残党が巣食う中央神殿が、この『ウルフェンの急速な啓蒙と文化爆発』を【民を惑わす邪教の術】として危険視し始めているという情報が入ったわ」
「えっ……中央神殿が……?」
「ええ。民が無知で愚かなままでなければ、神殿の権威も独占的な支配も維持できないからよ。
彼らは近いうちに、我が社の出版物やゲーム機器を『禁書・禁制具』に指定し、異端審問官を派遣して武力弾圧を仕掛けてくる可能性が極めて高い」
容子は不敵に口元を吊り上げ、机の上のノートパソコンを開いた。
「迎え撃つ準備を始めるわよ。
王都の民衆と神殿の末端信徒たちに向けて、すでに地下ルートで『王都の腐敗を暴く痛快世直しWeb小説風チラシ』と、神殿の美形騎士たちを主人公にした『禁断のBL漫画』を十万部ステルス投下(無料配布)する手はずを整えてあるわ」
「容子……! 相手の足元からオタク文化で侵略する気だね……!?」
「情報戦の基本よ。剣で立ち向かうより、彼らの精神の奥深くに『続きが読みたくてたまらない』という欲望の楔を打ち込む方が、遥かに安上がりで決定的な破壊力を持つわ。
神殿の騎士たちが私たちの本を奪いに来た瞬間、彼ら自身が読者になって武器を捨てるわよ」
「ふふっ! 容子の作戦、容赦ないけど誰も死ななくて最高だね!」
宥子が朗らかに笑い、二人は手をしっかりと握り合った。
日本の知育と豊かなサブカルチャーで異世界の心を掌握し、理不尽な神と旧態依然の権力すらもオタク文化の渦に巻き込んでいく琴陵姉妹。
最強のエンタメとハイテクを武器に、双子の産業帝国は、サイエス全土を巻き込む前代未聞の文化革命へと突き進んでいくのだった。




