ノックは三回。ゆっくりと 5
「「うわぁああああ!」」
飛び起きた。
隣のベッドで寝てた垂須さんとほとんど同時に。
スプリングが悲鳴を上げるように軋み、現実へと引き戻される衝撃が、
背中から頭蓋へと突き抜ける。
呼吸が荒い。
肺が焼けるみたいに熱い。
心臓がうるさい。
生きてる、っていう証明みたいに、うるさい。
「市籠」
「垂須さん」
互いの名を呼ぶ声が重なった。
顔を見合わせる。
――いる。
目の前にいる。
1Fのフロントに、ホテルマンに異常事態を知らせに向かった垂須さんが。
隣のベッドで。
寝巻を身に纏って。
どういうことだ?
夢?
いや、あれが夢で片付くなら、心臓はこんなに暴れてない。
でも。
どうでもいい!
そんな理屈、今はどうでもいい!
とにかく垂須さんは無事だった!
俺も生きてる!
それだけでいい!
「「よかったぁぁ」」
大の大人二人が、情けない声で抱き合う。
腕に伝わる体温。
背中に回した手に感じる、確かな質量。
ああ、本物だ。
ここは現実だ。
その安堵に、全身の力が抜けていく。
膝から崩れ落ちそうになるのを、互いの体で支え合う。
その、安堵の空気に水を差すように。
「いかがでしたか? 当ホテルのナイトメア・サービスは」
と、声。
ゆっくりと振り向く。
そこに立っていたのは、カイゼルすぎる髭の紳士。
ホテルオーナーのバンパイア。
「「ウルティモ畜生!」」
ほぼ反射だった。
理性を通さない、純度100%の罵倒。
今完全にわかった。
全部だ。
全部、繋がった。
俺たちは黄石や閑君。
さらにはサンタフェさんにまで担がれていたのだと。
「恐ろしい恐ろしいアンデッド国家・ヌー」
あの紹介。
あの空気。
あの、じわじわとした違和感。
あれ全部、この質の悪い企画のための布石だったのか!
「そりゃ冷静に考えれば。命の危険がある場所で素人にロケなんてさせないよな」
垂須さんが、疲れたように笑う。
その言葉は、あまりにも正論で。
同時に、今さら過ぎて、ちょっと腹が立つ。
「今にして思えば、街に人影がなかったことも怪しいです」
俺も苦笑するしかない。
あの静けさ。
あの不気味さ。
全部、演出だったってわけか。
「してやられてってことですよね?」
「はぁ…… ひっかからなかった人なんているのかな?」
乾いた笑いが、部屋に転がる。
ナイトメア・サービス。
つまりは悪夢を見せられてただけ。
危険なんて一つも無かった。
「楽しんでいただけたようでなによりです」
「「怖かっただけだよ!」」
声が揃う。
息もぴったり。
こんなところでシンクロしたくない。
「文句は番組スタッフまでどうぞ。アデュー!」
責任を軽やかに放り投げ。
紳士バンパイアはコウモリと化して窓から飛んでった。
逃げやがった。
ああ、もう。
ほんとにウルティモだ。
「「うわあああああ!」」
しばし後、隣の部屋から絶叫。
港ヶ陸と墨市氏だな。
ああ、よかった。
あいつらも無事で。
同時に、ちょっとだけ安心する。
引っかかったのは自分たちだけじゃないっていう、妙な連帯感。
時計を見る。
24時5分前。
秒針の動きが、やけに重く見える。
『ノックは三回、ゆっくりと』
……ごくり。
喉が鳴る。
あの声。
あの距離感。
あの温度。
夢だったか?
そうかも知れない。
違うかも知れない。
どっちとも言い切れなくて気持ち悪い。
だから。
確認しなくちゃいけない。
「垂須さん、俺、ちょっと夜風に当たってきますけど?」
自分でもわかるくらい、声が少し上ずっている。
「僕はもう動く元気ないから、このまま寝るよ。キーは持って行って」
「あ、はい」
鍵を受け取る。
ひんやりとした金属の感触。
現実の重み。
「禁忌1:招いてはならない。鍵持ってたら適応されませんもんね」
「流石に二番底は無いと信じたい」
その言葉に、小さく頷く。
……信じたい。
でも、ウルティモだしな。
完全に信じきれない自分がいる。
垂須さんの介入が無いことが確定し。
俺は、ひとりで廊下へ出る。
静かな廊下。
さっきまでの悪夢が嘘みたいに、普通のホテルの空気。
……普通、だよな?
三階へ。
女性部屋のフロア。
足音が妙に響く。
その、踊り場で。
「あ、天馬くん」
聞き慣れた優しく甘い声。
窓際に薄い月を背負って立つ影。
ハナさんが、そこにいた。
そして。
静かに、涙を流していた。
こんな涙、初めて見た。
あの人はいつも全力だった。
泣くなら大声で。
笑うなら全身で。
なのに、今は。
音もなく。
ただ、静かに。
「怖かったね?」
「それはもう」
短い会話。
それだけで、似た恐怖を体験をしたことが分かる。
「天馬くんはどんな夢だった?」
「李野くんが女児の声で笑って、廊下がダンジョンになって。後ろからいろんな声が聞こえて。最後サンタフェさんに裏切られました」
自分で言ってて、意味わからんなこれ。
でも、全部本当だ。
「ハナはね。十二時に三回ノックがあったから天馬くんきたーって思ったの。でも扉を開けたらそこに知らないバンパイアがいて、目を見られたら逆らえなくなって、がぶって喉を噛まれていっぱい血を吸われたの……」
禁忌1。夜に招き入れてはいけない。
なるほど。
ちゃんとルールに沿った悪夢だ。
でも、そのバンパイア。
……なんか、気に食わないな。
理由はわからないけど。
「ね、天馬くん。天馬くんはホントに天馬くんだよね?」
その言葉と一緒に。
ハナさんの手が、そっと伸びてくる。
頬に触れる。
冷たい指先。
でも、すぐに体温が移る。
首筋。
胸。
確かめるように、怯えるように、触れてくる。
俺は、何も言わずに、それを受け入れる。
やましいとか、そういうのじゃない。
ただ、ハナさんの手が冷たかったから。
友達の温度と心拍数で、自然と受け入れていた。
やがて、ハナさんの手が止まる。
左胸。
「あはっ、本物だ。心臓がどくんどくんしてる!」
笑った。
いつもの、あの笑顔で。
ああ。
これだ。
これが、ハナさんだ。
さっきまでの涙も。
この距離感も。
全部ひっくるめて、この人だ。
「それで、ハナさん。俺を呼び出してしたかった話って、何?」
なんか呪縛が解けたというか、開き直れた俺が。
何の衒いも無く、まっすぐ聞く。
逃げない。
さっきの自分みたいに、勝手に変な方向に解釈しない。
「あ、あのね……」
赤面。
もじもじ。
上目遣い。
「その、ね。」
……あ、これやばいやつ?
やっぱりそういうそれだった?
ともだちじゃない方向の。
いや、でも。
落ち着け。
落ち着け俺。
「ハナ、すごく淋しいの…… 心が凍えそうなの…… だから……」
ぴったり距離を詰めてくる。
胸から太腿まで。
押し上げるように密着。
働け理性!
高まれ自制心!
「お家に電話したいんだぁ」
……………………ん?
「でもでも、ハナはプーで。お金持ってないから電話できなくて」
……………………んんん?
「お金! 貸してください! 絶対返すから!」
ホームシックか!
「あはははは」
崩れた。
緊張が一気に抜けて。
笑いが止まらない。
「笑うなんてひどーい! ハナ真剣にお願いしてるのに!」
全力でぷんぷんするハナさん。
ああもう。
ほんとこの人は。
そうだよな。
俺が空回りしてただけだよな。
お金の話に遠慮して。
回りに聞かれたくないから囁いて。
それがたまたま、変な温度感をもっちゃった。
ただそれだけ。
それもちょっとはハナさんの解釈違いではあるけれど。
天使とか妖精じゃなくて、人間だもんな。
その位の後ろめたさは、あるか。
「あんな風にこそこそ話しなくても、普通に頼んでくれたらよかったのに」
「こんなこと、お父さんを亡くした無くしたこよいちゃんには頼めないし、聞かせられないし」
あ……
それがあったか。
あー、俺ってノンデリだな。
衿衣の事を気にしていながら、そっち方向の気遣いは全然無かった。
小さなケガレ祓いでそこんとこ把握してたのにな。
視野が狭かった。
要反省だなぁ。
*
「うん、あのね! ハナは元気! でも淋しかった!」
フロント脇の公衆電話。
ゴーストホテルマンにこっちの世界のテレホンカードめいたものを有償でお借りして、ハナさんは家族と魔道電波で繋がった。
「大丈夫。泣いてないよ! お友達いっぱいできた!」
声がどんどん弾んでいく。
仲の良い家族なんだな。
こりゃ衿衣には見せられない姿だわ。
亡父を赦す旅なんだからな。
絶対わだかまりが起きてしまう。
「うんうん。ありがと。それじゃあ……」
お、やっと電話が終わるのか。
一時間。
大体カード一枚使い切った感じだな。
国際電話と比べてお高いのかどうなのか。
高くてもまあ、しょうがないか。
なんてったって異世界だし。
「それじゃあ次は、お母さんに代わって?」
…………なんですと?
*
一時間後。
「うんうん。大丈夫だから。それじゃあ……お爺ちゃんに代わって?」
*
一時間後。
「うんうん。大丈夫だから。それじゃあ……お婆ちゃんに代わって?」
*
一時間後。
「うんうん。大丈夫だから。それじゃあ……お兄ちゃんに代わって?」
*
一時間後。
「うんうん。大丈夫だから。それじゃあ……ポチに代わって?」
「ポチはダメだろ!」
*
「あ、おふくろ。オレオレ。天馬だけど。……うんそう。まだ異世界。で、急なお願いで悪いんだけどさ。ゆうちょの例の口座に、仕送りを前借り、できないかなぁ? や、無駄遣いじゃなくて。ちょっと必要経費っていうか……とにかくその、お願いしますお母さま!!」
*
そして翌朝、朝食後。
「荷物は全部持って、運動できる恰好で来てください。無い人には体操着とジョギングシューズを貸し出します」
クイズの時間がやってくる。




