ノックは三回。ゆっくりと 2
ミイラ男のウエイターが慇懃にメインディッシュを持ってきた。
布でぐるぐる巻きにされた腕の動きは妙に滑らかで、ぎこちなさが一切ない。
包帯の隙間から覗く暗がりに視線を向けると、そこに目があるのかどうかすら分からないのに、確かにこちらを見ている気配だけは感じる。
それでも動作は一流のホテルマンそのもので、銀の蓋を持ち上げる所作ひとつ取っても、やけに洗練されていた。
「こちら魂のてんぷらでございます」
さらりと出てくる単語が怖い。
料理名として成立しているのが一番怖い。
「これこれ! これが食べてみたかったのよ」
椰子泉さんが珍しくはしゃいでる。
その声音はいつもの落ち着いたものより半音高くて、目もきらきらしている。
異文化に対する好奇心なのか、それとも単純に珍味への興味なのか。
どちらにしても、この状況でそれを楽しめるのはすごい。
空にしたジョッキは「生命の雫」なるエール。
……エールでいいんだよね?
見た目は普通の琥珀色。
でもグラスの内側に、時折きらりと光る粒子が浮かんでいるのが見える。
泡も、なんというか……少しだけ粘度が高い気がする。
飲んだらどうなるのか。
飲んだあと、自分は自分のままなのか。
そんなことを考え始めるとキリがない。
「まむまむ」
衿衣が静かに味わっているのが許可された二足獣鍋。
いくら許可されてても二足はアカン!
って衿衣を止めにかかったところ、二足歩行化したグリズリー系モンスターだと説明があってほっとした。
カンニバリズムは流石に勘弁。
鍋の中では、しっかりと火の通った肉がぐつぐつと煮えている。
見た目は普通の肉料理だ。
普通の、という言葉の定義が少し揺らぐが。
衿衣は一切動じることなく、淡々と箸を進めている。
こういう時のあいつは強い。
で、俺が頂いてるのがブラウンシチュー、精気を混ぜ込んで。
我ながら攻めた逸品だと自負している。
スプーンで掬うと、濃厚なとろみ。
香りはビーフシチューに近いけど、その奥にほんのりとした何かがある。
甘いような、鉄っぽいような、不思議な匂い。
一口含むと、舌に絡みつくコク。
そして遅れて、鼻に抜ける刺激。
精気、ね。
これがそうなのか。
「天馬くん交換しよ、交換!」
ハナさんがホワイトシチュー(※精気込み)を掬ったスプーンを差し出してくる。
これは?
もしや?
あーんというやつ?
本当に距離感バグってるな、この人は。
距離というか、壁というか。
そういうものを一切感じさせない動き。
自然体でここまで来られると、拒むほうが不自然に思えてくる。
「冷めちゃうよ?」
「あーん」
それを見て椰子泉さんが苦笑する。
「寿美子が見たら呪いそうな光景ね」
双滝寿美子。
第4BPで散ったカースメーカー。
幸せなカップルを羨まずにはいられない嫉妬の化身。
清楚な外見してるんだから、男人気はあったんだけどな。
ここに彼女がいたら、確かに呪詛の一つや二つ飛んできそうだ。
いや、十や二十では済まないかもしれない。
「どう? どう?」
「精気がまろやかすぎるかな。普通のクリームシチューとして頂く分には、十分美味しいんだけど」
「わー、意見がグルメだー。じゃあブラウンをちょうだいちょうだい?」
「あ、好きに掬ってどうぞ」
「天馬くんがあーんしてくれないと交換じゃないもん」
「あ、それじゃあどうぞ」
「あーん?」
「あーん」
「寿美子じゃなくても呪いたくなるかな?」
「まむまむ」
ハナさんの無自覚な舌が官能的に動く。
スプーンを受け取る仕草も、咀嚼の仕方も、いちいち無防備だ。
見ている側が勝手に意識してしまうタイプのそれ。
……だからこの人は危険なんだ!
だけどともだちだからね、「ともだち」。
その距離感は大事にしたい。
「まむまむ」
この子がここにいる以上、この子を意識しちゃってる以上。
ハナさんは「ともだち」。
「あ、来たよつーんと来た!」
「鼻に抜ける感じ、強いでしょ?」
「ミルク混ぜたい!」
「それじゃあホワイトと変わんないよ」
「私も食べ比べたい」
鍋を底まで綺麗に平らげた衿衣が自らのレンゲを構えて参戦宣言。
「「はい、どーぞ」」
「ちゅるちゅる」
「……なんかあなた達って三人で完成されてるわね」
呆れと感心をミックスさせた声で椰子泉さんが目を細める。
俺ですら感じ取った。
その表情から滲み出る一抹の淋しさを。
双滝さん、大渓さん、後さん、塩湖さん。
いわゆる「大人組」という名の飲み仲間たちは、すべて日本へと帰されて。
いまの椰子泉さんは一人だと。
そういうのを敏感に察して、迷いなく飛び込むのが、ハナさんという女性だ。
「ともだち?」
俺たちをスプーンで指して、ほら来たぞ。
「「ともだち」」
当然の如く唱和する俺と衿衣。
椰子泉さんの目が泳ぐ。
だが残念だったな雪花、もう手遅れだ。
次はお前の番!
ハナさん時空に引きずり込めぇ!
「セッカさんもともだち!」
このテンポ、この距離感。
気づけば自然と巻き込まれている。
抗う余地がない。
「「ともだち」」
だから抗わずに唱和する。
絶対悪いことにはならないから。
「私の周り、こういうノリってなかったんだけど……」
椰子泉さんはため息を一つ零すと。
三杯目となるエールのジョッキを掲げて、言った。
「ともだちに」
俺たちもドリンクの器を掲げて唱和した。
「「「ともだちに!」」」
グラスが軽く触れ合う音。
その響きが、この不穏な街の中ではやけに明るく感じた。
このハナさんのあけっぴろげな牽引力たるや。
これで25歳だなんてとても……
無邪気さと大人っぽさが同居してる。
そのバランスが、周囲の空気を一気に柔らかくする。
と、その時。
膝の上に置いてあった左手に、ふわり。
あたたかな感触。
何事かと思って視線を下にやると、ハナさんの手が重なっていた。
指が絡む。
柔らかい。
そして、しっかりとした力で逃がさない。
「ハナさん……?」
そうしたらハナさんは、俺の耳に顔を寄せてきて。
吐息がかかる距離で、囁いた。
声は、ほとんど空気に溶けるくらい小さい。
「今夜十二時。 会いに来てくれないかな……?」
今まで聞いたことのない切なげな囁き。
背筋がぞわりと泡立つ。
冗談じゃない。
さっきまでの軽さとは、まるで別物の声音。
一瞬で、空気の温度が変わる。
冗談じゃない、よな?
「ノックは三回。ゆっくりと」




