ノックは三回。ゆっくりと 1
人気が無いレンガ造りの街並み。
というか国境を越えてから動く物を見てない。
赤煉瓦の石畳。
左右に圧迫感のある高い壁。
壁が二つの太陽から二つの影を生み、トンネルの様に暗い。
アンデッド国家ヌーに入って約十分。
既にロケバス内の和気は消沈し、藹々は霧消した。
さらに十分。
ようやく街並みらしきものが見えてきた。
でも、その街並みをぐるりと囲む隔壁が、心をすんとさせる。
圧迫感。
息苦しさ。
そんなものばかりが募ってワクワクしない。
それに…… なんだろ、この。
目には見えないし、臭いもしないんだけど。
絶対に周囲に漂っているイヤーな気配。
寒色系の光化学スモッグみたいな。
霧のロンドンの真実の姿みたいな。
視界の端が、じんわりと曇るような錯覚。
吸い込んだ空気が、肺の奥で冷たく沈殿するような違和感。
何も起きていないのに、何かがずっと起き続けている感じ。
「皆さんをぐるりと囲むこの大きな壁を隔壁といい、隔壁に囲われた範囲をリビングマン特区といいまス」
リビングマン。
生きてるもの。
それ用の特区。
アンデッドの国家。
もーいやーな予感がぷんぷんですわ。
というか、名称からして線引きが露骨すぎる。
生きている側とそうでない側を、ここまで明確に区切ってる場所なんて、普通ない。
他に在ってたまるか。
「特区の内側は生き物のルールが適応されていまスが、その外側ではアンデッドのルールが適応されていまス。でスので、皆サマ生きている人間は決して隔壁を超えないでくだサい」
ジェネリック女神のシリアスな表情は珍しい。
というか初めて見るかもしれない。
いつものあざとさが一切ない。
軽口も、ウインクも、全部引っ込めて。
ただツアコンとしての顔だけを見せている。
それが逆に怖い。
というか。
まずもってリビングマン特区ってのを置いとかなくちゃいけない
ヌーって小国家自体が怖い。
共存じゃない。
隔離だ。
そしてその隔離が成立しているってことは――外側は、そういう世界だってことだ。
隔離しないといけない巷が広がっているということだ。
「アンデッドのルールとは?」
眼鏡をキラリと光らせて李野くんが尋ねる。
こういう時でも平常運転だなこいつ。
いや、だからこそ聞けるんだろうけど。
「平たくいうと生き物をエサにしていいという事でス」
餌……
餌とな!?
さらっと言ったな今。
もうちょいオブラートに包むとかないのか。
頭の中に浮かぶのは、牙とか、爪とか、そういう分かりやすい捕食じゃない。
もっとこう、じわじわ削られる感じ。
魂とか、生命力とか、そういう曖昧なものを食われるイメージ。
まあ、吸血鬼は血を吸うし?
ゾンビは生肉齧るし?
リアルで踊り食いされる可能性ももちろんある。
「スペクターちゃんとかゴーストちゃんと触れ合いたいんですけど?」
鼻息も荒くモーリーが尋ねる。
お前ブレねえなほんと。
この状況で触れ合いを求めるのは才能だよ。
もちろん褒めてない。
「触れた途端、生命力が吸われまスのでお勧めしまセん」
お勧めとかじゃなくて禁止しろよ。
というかその言い方だと、やろうと思えば出来るって聞こえるからやめてほしい。
絶対モーリーやるぞ。
艱難辛苦も妨害もかいくぐって成し遂げるぞ。
実績だって十分ある。
「あちらが今晩の宿泊先。このヌーで唯一の安心なホテルでス」
静まり返ったヌーのリビングマン特区。
バスが横付けした聳え立つ正方形。
レンガ造り四階。
雷が落ちたらフランケンシュタインの怪物が目覚めそうな建物。
窓は細くて高い位置にあって、内側が見えない。
入り口の扉は重厚で、閉まったら最後、外の気配を完全に遮断しそうな厚み。
安心、ね。
ここだけはまだマシって意味での安心だろうな。
外と比べて、という但し書き付きの。
なんか条件付きで。
「それも、約束を守って頂ける限りはのお話でス」
ほら。
やっぱり条件来たよ。
悪い予感は当たるんだ、俺。
サンタフェさんの怖いお話は続く。
黄石の目が笑ってないからマジ話なんだろう。
カメラ回ってるよな?
これ。
なのに演出じゃない空気がある。
「ひとつ。決して封印を解いてはならない。
ふたつ。ありえない通路では決して後ろを振り返ってはならない。
みっつ。決して夜に招き入れてはならない」
まっじで!?
近代、神代、ゴシックのホラー禁忌揃い踏みですやん!?
一つ一つが重い。
しかも具体的な説明が無いのがまた怖い。
封印ってなんだ。
どこにある。
どのレベルの封印だ。
そもそもホテル内で何封印してるんだ。
ありえない通路ってなんだ。
見たら分かるのか。
それとも、気づいた時にはもう遅いタイプか。
そもそもホテル内に変な通路繋げるなよ。
それに振り返らずに進んだ先はどうなってるんだよ?
振り返れないってことは戻れないってことだよなぁ?
夜に招き入れるなって。
誰を?
何処から?
夕方と夜の境目は何時から?
そもそもそんな物騒な奴ホテルに入れるなよ。
廊下を歩かせるなよ。
ホテルマンが体張ってブロックしとけよ。
考え始めると止まらない。
なんにせよ、ホテル側の経営努力が足りてないと思う。
とても。
非常に。
「あなたたちに言っているのでスよ。毛利井サン、李野サン」
名指し。
まあ、納得ではある。
この二人はやる。
愛情と好奇心で踏み越える。
「あと、市籠サン」
俺までその括りに入れるのやめてくれませんかねェ!?
ヤバいことはずっと避けてきましたよね?
危険な状況もだいたい俺以外の誰かに巻き込まれたせいですし。
覚えてるでしょ、ペガサスのボス君の暴走を。
エルフの森だって俺自身はなにも問題起こしてないでしょ?
ねえ?
つまり俺は悪くない!
なのに周囲が納得した空気で話が進みそうなの、悲しくなる。
「お互い気をつけましょうな、市籠くん」
ほらぁ李野くんがもう仲間判定してるし。
セラさんが動きを止める。
笹形ロール耳がぴくぴく。
硬い毛の生えた鼻をふんふん。
落ち着かない。
何かの気配を感じ取ってる。
ホテルを見上げる。
……あのカーテン、窓締まってるのに揺れてないか?
エントランスを眺める。
顔色の悪いカイゼル髭の紳士が慇懃に頭を下げる。
いや、カイゼルなんてもんじゃない。
跳ねたヒゲだけで10センチを超えてそうだ。
「ようこそお越しくださいました、日本人の皆様……」
気取ったボウ&スクレープ。
「当ホテルでは優秀なホテルマンが勤務しておりますが……」
そうして、声を潜めると。
ホテルの影からすっと、左手の甲だけを日光に晒した。
「盛り塩やご祈祷、神聖魔法はくれぐれもお止めくださいませ」
じゅうう、と。
カイゼル紳士の手の甲から、煙が立ち昇る。
「なにせ従業員は皆アンデッドですのでね」
焼け爛れた手の甲を見せながら、ホテルオーナーのバンパイヤは犬歯を見せて笑う。
「明日の朝、誰も欠けることなく皆サンとお会いできることを願っておりまス」
サンタフェさんは最後までウインクしなかった。




