第六BF:スピリットフォレスト 5
最初に湧いたのは怒りだった。
あんたはどんだけ過保護なんだと。
俺はこれでも成人してるぞと。
若人に楽しい旅を続けて欲しい。
そんな老婆心の発露だと思ったからだ。
胸の奥で、じわりと熱が広がる。
あの穏やかな顔の裏で、勝負を投げるような真似をしているのだとしたら。
それは、違うだろうと。
でも――
そんな単純な問題じゃない気も、一方でする。
この怒りに、どこか芯が通っていない。
否定しきれない何かが、残っている。
言語化できないだけで俺はすでに気づいてる。
だって大渓さんは始めからそうだったから。
二問目。
鼠がボタンを走り抜けてクワさんのマイクまで行った。
あのときの光景が、鮮明に蘇る。
鼠は一直線に走り抜けて、肝心のボタンを無視して空回り。
あれも大渓さんの願い通りの動きなら。
まだ、衿衣に一ポイント入っただけの戦況で。
俺の事を気遣って、というのはあり得ない。
じゃあ何で?
胸の奥に浮かぶ疑問は、形を変えながら沈んでいく。
有給。
社会人にはその問題があると、垂須さんや塩湖さんは言っていた。
限られた時間。
仕事との折り合い。
現実の制約。
垂須さんはクビになっても勝ち進む気概で。
塩湖さんは限界まで来たらリタイアする気持ちで。
では大渓さんは?
俺は成田のホテルで聞いていた。
第10BPまでなら行けるほどの有給休暇を申請していると。
まだまだ制限日数に余裕はあるはずだ。
それなのに。
ここで。
このタイミングで。
「問題。」
思考を断ち切るように、次の問題が投げ込まれる。
俺と大渓さんがサシの勝負になってからもう五問。
時間の感覚が曖昧になる。
短いはずなのに、妙に長く感じる。
ここまで、俺に答えられる問題は出なかった。
知識が、引っかからない。
焦りが、じわじわと蓄積していく。
大渓さんもまた問題に答えることは無かった。
答えがわからない?
そんなはずない。
でも、答えてない。
だから、戦局がみじめに膠着している。
「問題。戦国武将、小曾我部モッティカの幼名――」
これは分かる!
日本史!
やっと巡って来た!
頭の奥から、記憶が引きずり出される。
『ゴー!』
ぽーん!
「姫ちゃん坊や」
ブー!
え? なんで?
モッティカは子供の頃にさ。
体弱くて色白でさ。
その中性的でなよやかな容姿がさ!?
脳内が疑問と言い訳で埋め尽くされる。
「それは通称だろ? 問いは幼名だ。珍福丸でしょうが!」
あ……
引っ掛けに引っかかった。
単語だけを拾って、飛びついた。
クイズ作家がやったぜと指を鳴らしてしまうようなミス。
「ほら、お神輿になってきなさい。走る走る!」
何てタイムロスだ!
身体が勝手に動き出す。
解答台から離れて、あの場所へ。
二問から三問、大渓さんに優先権が……
優先権……
全部無駄にするんだろうな。
そんな確信めいた予感が、胸に落ちる。
それとも根負けして、見切り付けて、答えてしまうのか。
まあいずれにせよ、わっしょいは喰らうんですけどね!
『『『わっしょい! わっしょい!』』』
「ひえええ!」
視界が一気に持ち上がる。
地面が遠ざかる。
風が、頬を叩く。
ああ、カメラのレンズがこっちに合わせて上下してるのに、情けない声もらしちゃったじゃないか!
視界の端で、ミラーボールスーツが反射する光が揺れる。
精霊たちは無邪気に笑っている。
悪意なんて一切ない。
ただ楽しいからやっている。
俺は楽しくない。
クイズと大渓疑惑に引っ張られてそれどころじゃない。
これをあと4回……
時間にして何秒のロスだ?
……。
……。
……。
……。
思考が途切れ途切れになる。
上下の感覚が曖昧になる。
それでも。
なんとか。
下着は換えずに済みそうだ。
やっと精霊に下ろしてもらい、解答台へ急ぐ。
足が少しふらつく。
でも止まれない。
大渓さん、またしても誤答したらしい。
俺と入れ替わるためにこちらへ走ってくる。
その、すれ違いの瞬間に。
ほんの一瞬。
視線が交わるかどうかの距離で。
ぼそり、と、呟いた。
「戦後最大の疑獄が、日本で起きたんだ」
そのまま顔を合わせることなく大渓さんはお神輿に。
軽い足取りで。
いつも通りの歩幅で。
俺は一人、解答台に戻って来た。
鳥ちゃんを肩に乗せ、ウルティモハットをかぶりなおしながら、思う。
言葉の意味が、遅れて染み込んでくる。
大渓さんは社会部の新聞記者。
疑獄は社会部の担当記事。
数日前の言葉。
『ブン屋のカンと魂を忘れたくない』
あの時の、少しだけ照れたような顔。
こんな辺境の地に、自腹を切ってまで、日本の新聞四紙を毎日転送してもらっている。
ただの習慣じゃない。
誇りの源泉。
責任の在り処。
仕事。
現場。
社会人。
立ち位置。
今、自分がどこにいるべきか。
何を優先するべきか。
……そうか。
胸の中で、断片が組み合わさって形となり、すとんと落ちる。
やっぱり大渓さんはブレても迷ってもいない。
最初から。
ずっと。
選んでいる。
その上で、ここに立っている。
立っていた。
立てなくなった。
戻らないといけないから。
在るべき場所に。
「問題。」
まるでサービス問題のような……
いや、実際サービス問題だったのだろう。
余りにも簡単な問題が出され。
鳥ちゃんにボタンを押してもらい。
迷うことなく解答し。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽん!
勝利のチャイム音が、やけに大きく響く。
「市籠くん! ラス抜け! おめでとう!」
勝者の一部から歓声が上がる。
周囲の空気が一気に緩む。
ハナさんや垂須さんに祝福されても。
プレゼンターにメダルをかけて貰っても。
俺の意識は、ここにはなかった。
俺はわっしょいされる大渓さんの背中を見つめていた。
高く。
高く。
何度も宙に放られながら。
それでも崩れない姿勢。
あの人らしいな、と。
きっと飄々とした表情をしているんだろうな、と。
妙に納得してしまう。
ありがとう、大渓さん。
あなたが成田のホテルで俺に一人きりの時間を作ってくれたからこそ、
今、俺はこんなにも生きています。
第6バトルフィールドの戦いは幕を閉じた。
彷徨える未来新聞社、社会部記者・大渓慎二。
精霊の森にてわっしょいに散る。




