茂侍裁 4
「ひょおおおお!?」
茂侍の悲鳴と共に視界が一気に開ける。
足元が消える。
風が体を持ち上げる。
森の匂いが一気に濃くなる。
葉と樹皮と湿った土と、遠くの水の匂い。
全部が混ざって、押し寄せてくる。
命綱も何もないところから突然の高度100メートル超!
流石の茂侍も怖いは怖いらしい。
いや、これでビビらなければそれはそれで完成してるけど。
とにもかくにもナイスタイミングで大樹に着枝した。
到着したそこは枝というより、もう大地だ。
太くて、広くて、安定している。
これまたド太っとくて、オープンテラスでも置けそうな広さ。
あ、テーブルチェア一式あるわ。
エルフたちもここからの景色、楽しんでるんだろうな。
わかる。
『わかる』
鳥ちゃんも同意。
そして、視界が開ける。
「心臓に悪いじゃないか市籠。今度は一体どんな検証を……」
瞬間、風が抜ける。
地上とは違う風だ。
遮るものがない分、まっすぐに、体を押してくる。
その風が、森の匂いと、遠くの水気と、夕方の冷え始めた空気を運んでくる。
視界の端で、光が揺れる。
西の空が、もう燃えている。
「なあ茂侍。西の空を見てみろよ」
空の下半分が、赤に浸っている。
ただの赤じゃない。
重たい赤。
沈む赤。
滲む赤。
何層にも重なった色が、ゆっくりと沈んでいく。
太陽は、まだ半分顔を出している。
でも、その輪郭はもう曖昧で、溶けかけているみたいだ。
「日没だな」
その一言で片付けられる景色じゃないのに。
見ろ、赤の中に、まだ残っている黄色があるだろ?
その黄色が、最後の抵抗みたいに輝いているぞ?
そしてその上に、かすかに紫が差し込むからな?
昼の名残と、夜の気配が、同時にそこにあるんだ、凄くないか?
「南の空もだ」
視線をずらす。
森の向こう。
針葉樹の海の向こうに、もう一つの太陽。
こっちはまだ、輪郭がはっきりしている。
木々の隙間から覗く光が、枝を一本一本、縁取っている。
金色だ。
森が、金に縁取られている。
「日没だな」
同じ言葉。
でも、全然違う景色。
西の沈みは、溶けていく感じ。
南の沈みは、削れていく感じ。
二つの終わり方が、同時に進んでいる。
「太陽から影が伸びてるだろ?」
足元を見せる。
枝の上に落ちる影が、二方向に伸びている。
俺の影も、茂侍の影も、交差している。
一本じゃない影。
それが妙に不安定で、現実感を揺らす。
森全体も同じだ。
木々の影が、絡み合っている。
どこが光で、どこが影か、境界が曖昧になっていく。
「光源が二つあるんだ。当然だろ?」
当然。
そう言われれば、そうなんだけど。
法則があるんだから、決まった現れになるのは当然だけど。
その当然が、こんなにも異様に美しいことに、どうして気づかないんだ。
西の赤が、さらに濃くなる。
南の金が、ゆっくりとくすみ始める。
二つの光が、同時に衰えていく。
「影」が、世界を侵食していく。
「あのグラデーションはどうだ?」
空を見上げる。
赤の上に、紫。
その上に、まだわずかに残る青。
三色が、はっきり分かれているわけじゃない。
溶け合っている。
にじんでいる。
境目がない。
どこからが赤で、どこからが紫なのか、指でなぞれない。
「紫富士と同じ理屈で発生しているのだろう」
理屈。
そういう言葉を当てはめた瞬間に、何かが削ぎ落ちてしまう気がする。
この、曖昧で、掴めない感じ。
それこそが、今ここにあるものなのに。
紫が、じわじわと広がっていく。
赤を押し上げるように。
夜が、空を塗り替え始めている。
「地平線なんて、ほら。ブラウン管越しでしか知らなかったろ?」
視線を落とす。
地平線。
本物の地平線。
遮るものが、ほとんどない。
森が、ゆるやかに続いて、その先で、空と繋がっている。
あの境界。
平面の向こうに、さらに続く世界。
テレビ越しに見ていたものとは、全然違う。
距離がある。
奥行きがある。
そして、そこに光が沈んでいく。
「ブラウン管越し通りだな」
言葉が、全部跳ね返される。
この景色。
この空気。
この瞬間。
全部が、彼の中では説明可能な現象で終わっている。
「茂侍。えっと。ええと…… もっとさあお前…… 呼吸をするみたいに光の変化を受け止めろよ!」
「無理な提案をするな。俺は共感覚持ちではないんだ」
そういうさあ。
最近分析が進んで来たらしい脳科学とかはどうでもいいの!
考えるな!
感じろ!
今日、お前に伝えたかったのはずっとこれ。
全部これ。
ただこれだけ。
でも、その『解り方』が『分からない』。
一度、知識という理解のベースに形成しなきゃ茂侍は何事もインプットできない。
わかったよ。
もうお前がそういう頭の構造をしてるってことは十分わかった。
じゃあどう言えばいい?
どうすれば伝わる?
この胸のざわつき。
この、何かに触れている感じ。
「……市籠。おそらくなんだが」
俺が胸と頭をワジワジさせていた時、茂侍の方から話を振って来た。
茂侍の声には力が宿っていなかった
夕日の光が、ゆっくりと弱まっていく。
「お前は俺を、感動させようとしているのではないか?」
赤が沈み。
紫が消え。
青が戻り始める。
「……まあ、言葉にしちゃうとそんな感じ」
感動か。
一言に纏めちゃうとそっけないな。
味気ない。
でも目的はそれ。
ゆるやかな体験でわかんないなら、強烈な体験をぶつけてみようかと。
ショック療法。
そんな感じ。
「俺はまた己の弱みを知ったよ」
「……何だ?」
空の色が変わるたびに、世界の輪郭も変わる。
さっきまで鮮やかだったものが、少しずつ沈んでいく。
「俺はどうやら……どうすれば感動できるのかも分からないらしい」
その言葉が、二人の間に、静かに落ちる。
重くもなく。
軽くもなく。
ただ、そこにある。
本当に淋しそうに。
諦めを含んだ眼差しで。
茂侍は、笑った。
透明な笑顔で。
夕日の残光が、その輪郭をぼやかしていく。
一瞬、茂侍の目元をきらりと光らせて。
顔の細部が、少しずつ見えなくなる。
「ありがとう市籠。こんな俺に、お前の貴重なリソースを割いてくれて」
最後の光が、地平線の向こうに沈む。
二つの太陽が、完全に姿を消す。
空は一気に暗くなる。
赤も紫も、すべてが溶けて。
夜が、来る。
夕日が沈んだ。
茂侍の顔は、もう見えない。
でも、見えなくなる一瞬。
お前の目が、光ってた。
あれは涙だろう?
感動が解んなくても、感情はあるから泣いたんだろ?
なんとかならないのか?
どうにかできないのか?
「蹴落としたい筈の俺に、そこまで懸命になってくれて、本当にありがとう」
まとめの空気。
終了の雰囲気。
……あきらめの宣言。
「いや、でも、俺、まだ」
まだ何ができるよ。
もうネタも方針も尽きただろ?
万事休すだ。
そんなの、茂侍に言われるまでも無く解ってる。
でもな。
でも。
なんかあるだろう、まだ、なんか!
分からなかったねで終わるならともかく、更なる絶望を与えて終わりって。
それはいくらなんでもあんまりだろう!?
なにかアイデアを!
もっとアイデアを!
『緩んだ』
唐突に。
鳥ちゃんが言った。
「何が?」
『頭ガチガチが』
小さな光が、茂侍の頭上から降り注いでいた。
「これは……?」
シーツ幽霊のシーツの内側が発光していた。
『つながる』
鳥ちゃんの確信に満ちた声。
呆けて見上げている茂侍の頭上。
シーツの内側から、女性型妖精の姿をした精霊が現れて。
頭からかぶってたシーツを風の運ぶに任せた。
「あなたは……」
彼女は茂侍の頬骨に両手を添えると。
『……♪』
小さなおでこを、大きなおでこに重ねる。
ピシ、と二人の間に走る赤い稲妻。
「ああ、ああ、ああ!」
茂侍が感嘆する。
「君はずっと俺を心配してくれていたのだな」
精霊が頷く。
「俺の心が俺の想いだけで埋め尽くされていたことを」
精霊が頷く。
「俺の頭が思考だけで埋め尽くされていたことを」
精霊が頷く。
やりとりを見て、俺もなんとなく解った。
感じた。
これまで茂侍が精霊と親和できなかったのは、親和できる程の隙間――あるいは余裕が、茂侍の中に無かったからだと。
今の茂侍が精霊と親和できたのは、茂侍の絶望とあきらめが、彼の心に余白を産んだから。
もう考えるだけ無駄だ。
そう、心の底から深く納得したから。
なんて逆説的な解決!
「これ、俺がお節介焼かなくても解決できたんじゃ?」
『……』
なんか言ってよ鳥ちゃん。
「ありがとう市籠」
茂侍が姿勢を正して俺に頭を下げて来た。
頬の横に並んでふよふよ浮いている精霊さんも揃って頭を下げる。
「お前がここまであきらめずに教示し続けてくれたからこそ。俺は深い諦めを抱くことができた」
「なんかスゲェ罪悪感の湧く言い方」
「でも、だからこそなんだ。ママと繋がれたのは」
ママって。
でも、その瞬間の茂侍の表情が、あまりにもこう、胸を打ったので。
思わずパシャリ。
……まさか最初の旅の仲間のスナップが、こいつになるなんて思いもしなかった。
でも。
こんな表情、写真に撮らなきゃウソでしょ!
「あのな、市籠」
「おめでとう、茂侍」
「これからは感謝と敬意をこめて、先生と呼ばせてもらう」
「やめて」
人間二人と精霊二体。
屈託なく笑い合う。
欲を言えば。
サンタフェさんもこの場に居て欲しかったな。
夜は冴えてゆく。
月が昇ってゆく。
第6バトルフィールド:スピリットフォレスト。
明日、俺はこの男と戦う。




