エルフの里 3
明けて翌朝。
森の空気は、昨日よりもほんの少しだけ冷たく感じた。
それでも不思議と不快じゃない。
肺の奥まで澄んだものが入り込んでくる感覚があって、
寝起きの鈍い思考をゆっくりと起こしてくれる。
いつメンもクイ研も、それぞれ精霊との意思疎通に大変らしい。
うちの鳥ちゃんみたいに話の出来る子はほかに居ないんだと。
と、いうより。
鳥ちゃんの問題ではなくて、俺の方の職能。
テイマーとしての能力で、意志の疎通が出来てるみたいで、
決して鳥ちゃんが喋っているわけではないんだそうな。
あ、名づけは長老に真顔で「困る…」って言われたのでナシの方向で。
「天馬くんはクール過ぎて参考にできないよー」
兎型精霊と一緒にらったらったらんと跳ねながらハナさんが言う。
朝露を蹴るたびに、きらきらと水滴が弾ける。
その中をぴょんぴょんと跳ねる兎精霊は、まるで絵本の中の存在みたいなのに、
やっぱり音も重さもない。
でもハナさんは気にしていない。
むしろ楽しんでいる。
「話せるのは反則」
カジキかダツみたいな空を泳ぐ魚精霊の衿衣がザクっと意見。
その魚精霊は、空気を水みたいに掻き分けて進む。
ときおり衿衣の肩口をすり抜けるのに、布は一切揺れない。
存在してるのに干渉しない。
改めて、異質だ。
もし。
俺があのダツ精霊を選んでいたとして。
魚類との意思疎通ってできるんかな?
出来なさそうな気がする。
直感でしかないけど、俺は獣とは繋がれても魚や虫とは繋がれない。
そんな感じ。
「まあ、私たちはひとまずボタン押せるまで訓練してるよ」
やたら目つきの鋭いハツカネズミ精霊をちょろちょろ走り回らせて大渓さん。
ネズミは地面を走っているはずなのに、足音がしない。
ただ視線だけがやたらと鋭くて、妙に意思がある。
因みに椰子泉さんはヤシガニ型で、垂須の兄貴はバッファロー型だった。
モーリー?
モーリーね。
まあ、そのヘンはどっちでもよろしい。
視界に入れたないので。
「さて、と」
問題は俺にまるっと一日空いてしまったことだ。
絶景スポットでもないかな、と。
ふらふらとそぞろ歩いておりましたら。
ちょっと、集落を外れちゃいました。
鳥ちゃんがガイドしてくれるので、心細くはないんですけど。
『任せて』
森の中は、ただ歩いているだけで情報量が多い。
足元は柔らかく沈み、踏むたびにわずかに弾力が返ってくる。
木の根が張り巡らされていて、自然と足の運びに気を遣う。
頭上では葉が重なり、光が細かく刻まれて降りてくる。
その光が風に揺れて、地面にまだらな模様を作る。
どこを見ても動きがある。
「うわーー!」
「ひゃほー!」
自然の密かなざわめきしかなかった世界に、突如声が響く。
意味を持った子供たちの歓声が、頭上から。
見上げると、巨木には何本ものツタが垂れ下がり、
それを掴んで子供たちが弧を描くように飛び回っている。
ターザンロープだな。
ワイルドな遊び。
でもここはワイルド本拠地見たいな場所だからそれでいい。
よく見ると、ツタの根元の木が、ほんの僅かに身じろぎしている。
視線すら感じる。
なんだっけ。
あの、染みとかくぼみとかが点々、点と逆三角形で並んでると顔に見えちゃうやつ。
ああいう感じで木肌のくぼみとか樹皮のめくれとかが。
絶妙に疲れた年寄りの顔っぽく見えて……
ぎょろり。
睨みつけられたァ!?
『睨んでない』
バッと三歩ほど後ずさったところで、鳥ちゃんが介入。
ははっ。
巨木に大顔面があるなんて見え方の問題だ。
俺の怯える心が幻覚を生み出しただけ……
『見つめてはいる』
やっぱり生きてるウ!?
『トレント。森の仲間』
……まあ。
確かに視線は継続して感じるものの。
敵意は、感じないかな。
じゃ、撮るか。
この森の日常みたいな顔をした異常さ。
見逃したくない。
パシャリ。
フラッシュに惹かれてトレントの枝葉から、ましらの如く降りてくる。
未開の原住民といった風情のリトルエルフたち。
男女関係なく腰蓑オンリー。
「精霊持ち!?」
「ファッキンヒューマンのくせに中級精霊従えてるぞ!」
「生意気だ!」
長老のみならずリトルエルフどもまでこれか。
なんか根強い意識とか感情とかあるんだろうけど、一応俺、
招かれた客人扱いなんで、誤解は訂正しておく。
「待って日本人なんだけど」
「エッ日本人様?」
「ははーーッ!」
温度差。
温度差よ。
だが、敬意なんて好奇心に比べれば小さいもので。
俺がにこにこしてるもんだからリトルどもは遠慮なく距離を詰めてくる。
おめめキラキラにして。
「おまえ強いのか!?」
「強くはないかな……」
「日本の魔法見せろ!」
「日本には魔法がないんだよ」
「じゃあなんで精霊ついてるんだ?」
「テイマーだか……痛い痛い! 絆! 絆があるからさ!」
鳥ちゃんに突っつかれて急遽方向修正。
『むふー』
鳥ちゃんご満悦。
「絆かー!」
「長老も絆が親和には大事っていってた!」
「俺も早く成人の儀式やりてー! 精霊憑けてー!」
妙に納得された。
で、流れるように俺もロープ遊びに参加。
長年にわたる流され経験がプラスに働いた稀有な例。
トレント老に一礼してその頭に上り、ツタを握る。
ざらっとした感触。
でも乾いているわけじゃない。
ほんの少しだけ湿り気がある。
これはこれで生きた植物なんだと実感する。
「ここ持て!」
「足はこう!」
「違うこう!」
「それは前の流行!」
子供たちがわいわい指示を飛ばしてくる。
あっちこっちから勝手な声が飛んでくるが、整理する間もなく背中を押される。
「「「行け!」」」
一歩踏み出すと同時に、足場が消える。
身体が前に引っ張られ、重力が一気に加速する。
一瞬の酩酊感。
視界が速度差について行けずに狭まり、白く濁る。
あ。
今俺。
落下緩和の魔道具身に付けてないや。
『だいじょうぶ』
鳥ちゃんがサポートしてくれたらしい。
身体の周囲に見えない緩衝があるみたいに、落下が丸くなる。
健常な視界も取り戻した。
怖いものがなくなると、もう。
後に残るのは楽しいと心地よいだ。
風を切る感覚!
次々に切り替わる視界!
重力の混乱!
そして次の足場。
おかわり!
「次はあっちから!」
ピシュンとツタの音!
シュババババと風を切る音!
キャハハとリトルの笑い声!
チチッと鳥ちゃんの鳴き声!
そして次の足場。
おかわり!
おかわり!
おかわり!
「次は中級者コースだ!」
「これができたら日本人様も狩りに参加できるぞ!」
「行ってみよう!」
リトルエルフたちに押されて引っ張られて、今度は高い位置へ。
幹に足をかけ、腕で体を持ち上げる。
思ったよりも体力を使う。
「こっから跳べ!」
いや高くない?
でも後ろから押される。
「度胸試しだ!」
「日本人様ならできる1」
行くしかない。
飛ぶ。
今度は落差が大きい。
一瞬、内臓が浮く感覚。
視界が一気に下へ流れる。
――が、やっぱりふわっと緩む。
そのまま振り抜いて、ぐるりと回転。
一周して戻る。
「おおおおお!」
「日本人様!」
子供たちが歓声を上げる。
調子に乗って紐だけバンジーまで体験した。
足首にツタを巻かれて、逆さま。
落ちる。
一気に地面が迫る。
近い。
近すぎる。
「うわああああ!」
ギリギリのところで、またふわっと減速。
反動で上に戻る。
ゴムほどの伸びもしなりもないから、ツタが伸びきった時は意外と衝撃が走る。
足首と心臓に悪い。
……下着の換え残ってて良かった。
「上級者コースいくか!?」
「日本人様!」
「……本日これまで!」
「「「ええーーっ!?」」」
昼になると、自然と腹が減る。
子供たちがあちこちから食材を集めてくる。
こう言ったらなんだけど、人類ってより野猿の集団って感じ。
森の中を勝手に動いて勝手に生きて。
腹が減ったら食い物探して、眠くなったら寝床に戻る。
そういうプリミティブな感じ。
正直、嫌いじゃない。
頭を回さずに済むし、心を削られることもないから。
「これ食え!」
「うまいぞ!」
甲羅虫の丸焼きとか。
バナナナの蒸し焼きとか。
焚き火の上で、じわじわと焼かれている。
煙はほとんど出ない。
火の揺らぎも穏やかだ。
「ほら!」
正直…… 足千切っただけの甲虫姿焼きを直接齧るのはためらわれるが……
台湾や四国では焙ったセミは子供のおやつとかいうしな。
男は度胸。
なんだって試してみるものさ!
覚悟を決めてえいやっと一口。
表面はパリッと。
中はプリッと。
……うん、エビだ。
グルタミン酸アルギニン酸がぎゅっと圧縮されてる感じ。
「どうだ!?」
「これは……」
「……ごくり」
「……うまいぞーっ!」
「やったぁ!」
子供たちが得意げに笑う。
中でも歯の生え代わり前と思しき前歯の無い少年。
その笑顔があまりにも無防備で、あまりにもまっすぐで。
思わずカメラを向ける。
パシャリ。
どこのパプアニューギニアかという昼飯のあとは、
のんびりハンモックでシエスタなどとしゃれこみましょう。
ツタで編まれたハンモックは、揺れるたびにきしきしと鳴る。
子供たちの笑い声が遠ざかっていく。
鳥ちゃんは胸のあたりにちょこんと乗って、動かない。
軽い。
でも、いる。
その感覚のまま、意識が落ちる。
ふと目を開けたとき、揺れる視界の中で、木々と空がゆっくりと混ざっていた。
この時間も残しておきたくなって、カメラを持ち上げる。
パシャリ。
『わたしともあそんで』
「何して遊ぶ?」
『ドングリ投げて』
鳥ちゃんが羽根の隙間から取り出した色艶のいいドングリ。
そろりと投げる。
弧を描く。
鳥ちゃんがその軌道に、すっと入り込む。
羽ばたきもなく。
次の瞬間には、もうそこ。
ぱし。
「ナイスキャッチ」
『もっと遠く』
オーバースローで振りかぶって投げる。
速度も距離もさっきのとは段違い。
その頭がお辞儀しだしたタイミングを見計らって。
ひゅん。
ぱし。
「まにあった!」
『もっと高く』
アンダースローでフライ投げ。
なんか想定よりもずっと勢いよく飛んでいく。
たぶん鳥ちゃんが俺に何らかの風魔法を行使してるな。
で、ドングリはトレント翁の頭頂を超えて、蒼穹に孤立する。
上昇と落下が釣り合って一瞬の制止。
その刹那。
ひゅん。
ぱし。
「楽しいね」
『むふー』
パシャリ。
陽が翳り出した頃に集落まで戻った。
その際の陽だまりにセラさんがいた。
トライセラヒーモス。
俺たちのロケバスをたった一頭で牽引してくれる、力強いサイの様な魔物。
目を細めて気持ちよさそうに日向ぼっこしてる。
……のかと思いきや、首の角度がおかしい。
目線を追う。
彼女の鎧みたいな背中のてっぺんの方。
あ、何か泥跳ね?
鳥の糞?
そういう汚れがべちょっとついている。
セラさん、そこを切なそうに見つめてる。
「気持ち悪いの?」
「……ぐるるぉぉぉう」
弱ったな、みたいな唸り声。
どでかくて物理的に空気が震えてるけど。
怖さはない。
なんとかしてよぉ。
私体硬いから背中に手が届かないのぉ。
そんな感じ。
「鳥ちゃん。俺をあそこまでふわっと飛ばせる?」
『よゆう』
ってことで。
セラさんの御者のおっちゃんに頼んでデッキブラシをお借りして。
木製バケツに水を汲んで。
ワイズメン椰子泉さんに生活魔法で水をウォームしてもらって。
「お客さぁん、他に痒い所ございませんかぁ?」
「ぎゅーーーーん! ぎゅおーーーん!」
巨体の表面は意外と温かく、ブラシをかけると低く唸るような音を出す。
背に乗ると、森が見渡せる。
ゆっくりとした揺れ。
安心感。
汚れを見つけ出しては、或いはセラさんに促されて。
甲羅を綺麗綺麗にしたところで。
セラさんご満悦の表情を。
パシャリ。
で、日が暮れて。
激しい興奮はないけど、じんわり楽しい休暇を楽しんで、
ハンモックで昼寝した分眠気が来てないな。
夜の森の散歩も鳥ちゃんがいれば大丈夫かな。
などと、次なる予定を脳内勘定しつつ、コテージに戻ってきましたら。
「市籠」
意外過ぎる男が、玄関で待ち構えていた。
――茂侍裁。
キングの忠実な家臣にて、ジョブ太鼓持ち。
この旅行では一度も会話をしてこなかった男。
シーツなのか幽霊なのかよくわからん精霊が、茂侍の頭上でひらひら揺れていた。
そして。
余裕の無い表情で膝を折ると。
「頼む。どうか俺に精霊の扱い方を伝授してくれ」
土下座って攻めの姿勢なんだな―と、思った。




