黄石桑之介 3
「これはクイズ業界では結構ありがちな話でね」
黄石は、さっきまでの軽さをほんの少しだけ引っ込めて、円卓の真ん中をぼんやり眺めながら言った。
その視線の置き場が妙に現実的で、逆に現実味がなかった。
テレビの中の人が、テレビの中から這い出して来たような違和感。
「有名なクイズ番組は大抵一度はこの問題に直面してる。……対応しきれずに幕を下ろした番組もある。視聴率、取ってたのにな」
ああ、あれか。
世界をぐるぐる回るやつ。
すごろくみたいな。
ホーン岬に駒が進んじゃって阿鼻叫喚の。
子どもの頃、親と一緒に見てた気がする。
いつの間にか終わってて、理由も知らないまま記憶の棚に押し込まれてる番組。
――あれ、そういう終わり方だったのかもしれない。
「ポタージュはドレッドビーンズをお出汁と絡めて」
急に「お出汁」とか言い出すな。
さっきまで意味不明な単語ばっかりだったくせに、そこだけ妙に日本寄りに寄せてくるのやめろ。
スプーンを入れると、見た目は普通の豆スープ。
飲んでみると、ほんとに普通だった。
「普通においしい」
「普通に豆スープ」
隣で垂須さんも同じ感想を吐く。
ここまで来ると逆に安心する。なんだよ、普通って。
でもその「普通」が、この場ではちょっとした救いだった。
「君らは今日のクイ研の勝ち方、どう思った?」
来た。
ずっと料理の湯気に紛れて漂ってた本題が、ようやく輪郭を持った。
過去話で外堀を埋めて、本丸の攻略が始まった。
円卓の空気が一段、静かになる。
「それは……」
椰子泉さんが言葉を探す。
あの人が迷うの、珍しい。
「言ってごらん。ここには仲間しかいない。クイ研はいない」
さらっと言う。
「仲間」って単語、軽い口調のくせに妙に重い。
じゃあ敵って?
それはクイ研だろう。
そういう話の持って行き方を、黄石は丁重に進めて来た。
「間違っては……いないのかと」
椰子泉さんは、慎重に言葉を選んだ。
「グレーではありますが、ルール違反ではないので」
そう。
ルール違反じゃない。
でも――なんだろうな。
RPGで裏技見つけて、ボス一撃で倒しちゃった後の、あの感じ。
勝ってるのに、妙に冷めるやつ。
やってる時はすげえって興奮してるのに、もうちょっと進めるとすぐに醒めるやつ。
「あんな手段を使ってくるとは想定してなくてね。ルールに組み込んでなかった。反省だよ」
黄石が、肩を落とす。
ほんの少しだけ、本当に申し訳なさそうに。
「ごめんな、椰子泉さん」
「いえ……クワさんに頭を下げて頂くことでは……」
運営の不備。
そう言ってしまえば、それまでだ。
でも、なんか違う。
「ここ数年はずっといたちごっこさ。ルールで詰める。穴を突かれる。ルールで詰める……」
黄石はスプーンを置いて、指先でテーブルを軽く叩いた。
「なんかさ、おおらかさって言うか、余裕って言うか。どんどん無くなってきてね」
ああ、それ。
なんとなくわかる。
遊びだったはずのものが、勝負になって。
勝負だったものが、作業になっていく感じ。
気づいたら、楽しむ余地がどこにも残ってない。
「ポワソンはニューノの香草焼きでございます」
多分うまい。
実際うまいんだろうけど、味が頭に入ってこない。
考える方に容量持っていかれてる。
「グラニテはツルル。朝採れの新鮮なものをご用意できました」
来た。ツルル。
面倒臭い交渉戦は後回しだ!
脳みそをデフラグせよ!
一時保存領域はデリートせよ!
今はただ、全身全霊でこの甘味を受け止めるのだ!
「好きなんだ、ツルル」
「この旅行で一番の出会いはツルルですね!」
俺、即答してた。
いや、だってマジでうまいんだよこれ。
「そこまでか……僕は唾液腺がしばらく痛むからあんまり好きじゃないんだ」
あれお前のせいだったのか。
初日にずっとよだれ止まらなかったやつ。
だが……
そんな不器用さも、今となっては愛しい。
「頂戴しても?」
「どうぞどうぞ」
「あ、僕のもあげるよ」
「よければ私のも」
気づいたら俺の前にツルルが山積みになってた。
「出されたものは全部食べるのが礼儀」
衿衣が、淡々と言う。
自分の分のツルルを頬張っている。
あ、今噛もうとしたツルルに逃げられたな。
油断してると咬合の隙を衝いてツルリと口蓋に身を躱す。
なんてスリリングなデザートなんだいお前さんは!
「いいねえ、ホント君たちは」
黄石が話題を先に進めずに、俺たちを見て目を細めてる。
懐かしく、尊いものを大切に抱くように。
なんか……こう。
お前の事大嫌いだったのに。
穂積をジャンケンで惑わせたこと許せないのに。
それとは別で。
なんか、こう。
絆されちゃうじゃないか。
「メインディッシュはヒッポカンポスのフィレステーキです」
「あれ食べちゃうんだ!?」
うう、カンポス氏との思い出が蘇る。
あれを食べるのかぁ。
「まあ、日本でも馬刺しとかあるしさ、市籠」
そうだな垂須先輩!
馬刺しは旨いもんな!
ここは思い出に蓋をして、命に感謝して頂かねば。
「君たちを呼んだのはさ。密約を結ぶとか、便宜を図るとか、そういうんじゃなくて」
五人の招待客が息を呑む。
ナイフを持つ手が、止まる。
「特に何かをお願いするでもなくて」
じゃあなんだよ、って話になる。
ここまでの語りは絶対なんらかのゴールを……
恐らくは秘密協定を目指してた流れだろ?
大渓さんも、ほんの少し眉を動かした。
椰子泉さんはずっと表情を消している。
「きっと……多分……原点の風景を再確認したかったんだろうな」
「原点の風景」
ぽつりと、衿衣が繰り返す。
その目に常の意思ではなく。
感情の熱が宿った。
そういえば衿衣、前に言ってたな。
「見たい景色に届かない」とか、なんとか。
――あれと、繋がってるのかもしれない。
黄石宣うところの、原点の風景ってやつが。
「僕が明日からも『黄石桑之介』っていうアナウンサーをやってく為に」
なあ黄石。
なんでそのセリフに演技の匂いを感じ取れないんだよ。
なんであんたがそんなに小さな背中を見せるんだよ。
そんなにキングたちのやり方にショック受けてたのかよ。
それを止められなくて後悔してたのかよ。
困るんだよ、そういうの。
アンタには憎まれ役やって貰わないと。
不遜な態度で愉悦に満ちた目で俺を見下して、歪んだ笑みで挑発する。
そういうアンタでいてくれないと!
知りたくなかったわ。
くそ。
アンタの素顔なんて。
「サラダは日本から直輸入のサニーレタスとミニトマトを散らして」
急にファミレス。
ここだけ一気に現実に引き戻すのやめろ。
「このアンバランスさがなんとも」
「異世界あるあるだね。日本偏重」
笑いが、少しだけ戻る。
空気は完全には戻らないけど、壊れもしない。
なんか、中途半端な温度で保たれてる。
――で、終わるはずだった。
ところが。
「ぅ黄石ーーーーッ!!」
聞いたことない声が、扉ごと空気をぶち破った。
全員、反射的に振り向く。
小柄な男。
でも目だけはやたら鋭い。
閑君だった。
あの、カミツキガメみたいな面談官が。
温度を感じさせない乾いた眼差しの男が。
今、目尻を吊り上げて完全に牙を剥いてる。
「黄石、お前、一線を越えたな?」
黄石の襟首を捻じるように掴み上げる。
ガチだ。
これ、演出じゃない。
「どこまで話した! 何を約した!」
怒鳴る。
あの無機質な声じゃない。ちゃんと怒ってる声。
黄石は――抵抗しない。
されるがまま。
ちょっとだけ、情けないくらいに。
「……」
何も言わない。
「まあまあ閑君さん、落ち着きましょう」
大渓さんが、いつもの調子で割って入る。
「少なくとも黄石さんは我々と何の約定も交わしてはいません」
「……そうか」
一拍。
閑君は黄石を見つめて、それから手を離した。
「一線を越えていないのならそう言え」
「超えようかな、とは思っていたんだ。彼らを招いた時点では」
軽い口調。
でも、その中身は軽くない。
「打倒クイ研ですか」
閑君の声が、すっと元に戻る。
あの、冷たい温度に。
「尖兵になってもらおうかと。でもさ」
黄石が、頭をかく。
「こいつらの顔見てると昔のことがさー。あの日々がさー。どうしても蘇っちゃって……無理だったよ」
「救われましたね」
淡々とした返答。
でも、その奥にあるものは、さっき見えた。
怒鳴り込んできた理由。
この二人、ただの上司部下じゃない。
十年物の何かだ。
「デザートは水の賢者の恵みでございます」
おいウェイター。
タイミングおかしいだろ。
この空気でそれ出すか普通。
しかも「水の賢者」ってあの人だよな。
あの、土鳩捕食者。
ちらっとウェイターを見る。
微動だにしてない。
すげえなこの人。プロだ。
場がどう転がろうが、皿は出す。
それが仕事って顔してる。
……そういうの、ちょっと分かる気がした。
仕事って、多分そういうもんだ。
好きとか嫌いとか、
感情とか関係なく。
決められた役を、ちゃんとやる。
――そのために、演じる。
黄石の「やっていく」って言葉が、また引っかかる。
ヤツの横顔を見る。
さっきより、少しだけ疲れて見えた。
いつもより若く見えてたはずのプライベートな横顔だったのに、
今の顔はいつもより幾分か年を食って見えてしまった。
小さな背中。
……なんか、嫌だな。
あんたはもっと、ムカつく顔してくれないと。




