第二BF:オランシェ 4
「ああーーー、っと!?」
黄石も絶叫。言葉が続かない。
「荒火さん、はやくどいて、どいて!」
取っ手が無事だったスタッフがキングを牽引しようとするが、
キングがようやく体勢を立て直し、膝立ちになったところ。
ブツ。
もう一本の取っ手も千切れた。
「「「「あああー!」」」」
沈むマット。
沈ませるキング。
沈んだ分だけプールの脇から溢れ出すピンクスライム。
腰から下にべっちょり喰らうスタッフたち。
「うわああああああ!」
「やめ、ちょ、これ落ちないやつ!」
阿鼻叫喚。
でも。
キングはそんなものを一顧だにせずに、ただ静かに立ち上がる。
ぬめるマットの上を。
一歩。
また一歩。
踏みしめるたびに、マットが沈む。
ぐちゅ、ぐちゅ、と音を立てながら。
そのまま、何事もなかったみたいに歩み行き…… 歩み去る。
革靴をピンクに染めて。
その足元を一顧だにせず。
「王者の行進……」
茂侍が、心底感動した声で呟いた。
いや、ちょっとは気にしろ。
後ろ、地獄だぞ。
「一旦休憩入りまーす!」
進行スタッフが、半ば叫ぶように宣言。
「残された挑戦者の諸君! マットの修復まで少々時間を取らせてもらう!」
まあ放送事故。
これに文句をいう奴なんていな――
「修復完了! いつでも行けます!」
早っ。
一分と経ってない!?
さっきまでの惨状、どこ行った。
「今の見た見た? ねえ見た天馬くん!?」
ハナさんが肩を掴んで、ガクガク揺らしてくる。
距離が近い。近いって。
「ハナさんは何を見たの?」
「魔法!」
「まほう」
「杖持った髪が青いおじさんがえいって杖振ったらピカって光って取っ手がくっついた!」
「異世界すごいな!」
思わず力の籠った相槌が零れてしまった。
異世界に来て2日、魔道具は見たけどまだ魔法は見たことない。
正直、ピカッを見たかった。
「ハナ、ほんとウルティモに参加できてよかったよ!」
「俺も」
この流れで俺だけ違うとか言えないよな。
いろいろ嫌なこともあったけど。
カンポス氏と遊べたのは、確かに楽しかったし。
「さて、復帰第一戦目は、再びの親友対決と行こう」
うわ。
またかよ。
その枕だけでわかる。
穂積を見ると、あいつもこっちを見てた。
お互い、ほんの少し肩を竦める。
苦笑い。
もう、俺とあいつは番組にとってそういう扱いだ。
これはきっと、もう変わらない。
いちいち考えても仕方ない。
「71番港ヶ陸穂積! 99番市籠天馬! 前へカモン!」
前に出る。
横に並ぶ。
レフ板が寄ってきて、マイクが口元に差し出される。
「新人類! あなたとても旅を楽しんでいるみたいじゃないか」
「え?」
煽りじゃない意外な切り出しに、思わず素で返してしまった。
黄石がニヤリと笑う。
あ、やられた。
「昨日、ヒッポカンポスに乗って、海上をヒャッハーしてたんだって?」
知られてる。
フリータイムの動向、全部把握してるのか。
背中に視線を感じる。
乾いた、冷たい視線。
ああ、閑君だ。
素材、ね。
そういうことか。
ウルティモ、おっそろしい番組だなおい!
カメラ回ってないところでも気が抜けねぇ!
「今までやる気なさそーにしておいて、遊びには全力を出すんだな新人類!」
「それなりに」
「やっぱりお前はそうだよな。でも僕は嬉しいんだぜ? 旅を楽しんでくれるってのはさ」
「そうなんですか?」
「ウルティモは夢の異世界を旅できる特別な番組なんだ。始まった頃と比べて異世界もそんなに特別感が無くなって来た現在、僕ははしゃぐ君を見て第一回の頃を思い出してしまったよ」
その笑顔。
いつもの、嫌な笑いじゃない。
もっと、真っ直ぐな。
少しだけ、若い顔。
熱がある。
たぶん今のは、本音だ。
「対する港ヶ陸くん。あんたは観光そっちのけでクイズ修行ずっとやってたんだって?」
「ええ、勝ちたいんで」
間髪入れない。
食い気味ですらある。
「あれ? クイ研の連中と?」
「みんなモチベーション、高いですから」
即答。
迷いがない。
……いや、違うな。
即答に過ぎる。
迷いが無さ過ぎる。
「折角異世界に来たのに?」
「負けたらその異世界からはじき出されるわけですから」
一歩も引かない。
言葉を選ぶ余地すら与えない速度で、全部を正論で埋めてくる。
そのせいで――
質問の「向き」が、完全に死んでる。
黄石は、たぶんそこを突いてる。
観光か勝負か、みたいな軽い話じゃない。
もっと別の何か。
姿勢とか、在り方とか。
そういうのを引きずり出そうとしてる。
クイズ競技者としてではなく、一個の人間としての穂積。
ナリタレアでのジャンケン対決では滲み出てたやつ。
黄石に散々踊らされて捉えられたやつ。
敗北と裏切りを乗り越えて、今の穂積はどうなのか。
それを撮りに来てる。
でも穂積は、それに気づいてない。
前のめりに、全部「勝つため」で押し切ってる。
まあ、今の穂積はそうではないだ。
言ってることに嘘偽りなんてない。
自分をそうではないで埋め尽くしてる。
「それがクイ研の考え方なんだ」
「考え方というか、在り方というか」
「なるほどね」
軽い相槌。
でも。
その一瞬。
黄石の目が、変わった。
ピンクスライムを見るみたいな。
もっと言えば。
排水口の奥でも覗き込んだみたいな。
明確な、忌避。
嫌悪。
ほんの一瞬だけど、はっきりと混じった。
……今の、何だ?
ぞわっとする。
違和感が、遅れて背中を這い上がってくる。
「よし、じゃあ二人とも、番号を選んでくれ」
黄石の声はいつも通り。
テンションも同じ。
でも、その奥に残ってるものが、さっきと違う。
チッ。
小さな音。
後ろ。
閑君。
視線が刺さっている。
今度は俺じゃない。
黄石を見てる。
あの無機質な、爬虫類みたいな目じゃない。
もっと湿ってる。
温度がある。
――怒ってる。
明確に。
……なんでだ。
こいつら、同じ側じゃないのか。
同じ番組を作る側。
同じ人を弄ぶ側。
なのに。
今、噛み合ってない。
「おーい新人類。早く選べ。はよはよ」
呼び戻される。
……いや、その前に。
視線を、少しだけ外す。
挑戦者の待機側。
李野くん。
あいつ、さっきまでの観察者の顔じゃない。
眉が寄ってる。
口元が、わずかに引き結ばれてる。
何かを計算し直してる顔。
その隣。
ナンバーツー。
腕組み。
足先で砂をいじる。
落ち着きを失ってる。
明らかに、空気を読んでる。
風向きが、良くない。
そんな表情だ。
さらに奥。
大渓さん。
目が合う。
一瞬だけ。
で、すぐに。
肩をすくめて、両手を軽く曲げる。
やれやれ。
そんな仕草。
遺憾の意、ってやつだ。
口には出さないけど。
完全に「面倒な流れになってきたな」って顔。
椰子泉さん。
額に手を当ててる。
こめかみを軽く押さえて。
目を細めて。
……頭痛が痛い、ってやつだな。
分かりやすい。
全員、同じ方向を見てる。
黄石と穂積。
そのやり取り。
その空気。
それがまずいって顔してる。
――なのに、当の黄石は。
「じゃあ、クイズ格下の新人類から行こうか」
まったく気づいてない。
一切。
視線も向けない。
空気も拾わない。
ただ、目の前の演出だけを見てる。
……おかしい。
この人、そんなタイプだったか?
全部見て、全部弄って、全部利用する側の人間じゃなかったのか。
今は。
何かを見落としてる。
いや。
見ようとしてない?
どっちだ。
あと、閑君。
観察力、或いは勘の鋭いさっきの面々も、閑君にまでは意識が向いてない。
スタッフ内の不協和音に誰も気づいてない。
この位置。
挑戦者席よりスタッフ席に近い俺だからこそ、閑君の表情を捉えることができた。
できたからなんだって話だけど。
たった一人でより根深い何かに片足を突っ込んじゃった感。
「……13番で」
とりあえず、口を動かす。
「なーんでそんな縁起の悪い番号を選んじゃうんだ!」
軽口が飛ぶ。
いつもの調子。
でも。
さっきのズレが、頭から離れない。
「いくぞ問題!」
*
――で。
結果としては。
俺と穂積は、普通に勝ち抜けた。
俺はなんかアタリ問題引いたみたいで小学生レベルの理科の問題だった。
プレパラートって懐かしい響きだなオイ。
穂積は穂積で落石注意の標識から。
落下中の石の数なんてよくわかったな。
あと落下前と落下後の石が一つずつあるところがひっかけのポイントだったと、あとで李野くんに教えて貰った。
他の顔見知りも、だいたい残った。
大渓さんも。
ハナさんも。
衿衣も。
小悪魔も。
ソサエティの連中も。
気づけば。
敗者は十九人。
きっちり、そこで止まった。
だから。
敗者復活戦は無し。
番組史上初。
あのピンクのプールは、これ以上使われることなく終わった。
妙に、あっさり。
妙に、綺麗に。
……でも。
黄石。
閑君。
さっきの違和感だけは、残ってる。
消せない不安。
不吉な予感。
「「「バンザーイ!」」」
勝者二十四名。
万歳三唱。
勝利の歓声。
首にかけて貰ったレイが揺れる。
その中で一人だけ。
少しだけ、現実に取り残された気がした。
――次は。
常夏の島、ステックソン。
勇者降臨の地。




