記号の少ない女 2
食堂は、ざわついていた。
けど、思ったほどじゃない。
もっとこう、パニック映画みたいに誰かが叫んで、誰かが走り回って――みたいなのを想像してたけど、現実はずいぶんお行儀がいい。
スタッフが、ちゃんと仕切ってるからだろう。
指示が出て、みんなそれに従う。
列ができて、自然と整う。
……なんか、就職説明会みたいだな。
ああいう場で、誰も「なんで?」とか言わない感じ。
たぶんこれ、日本人の特性なんだろう。
道を示されれば、とりあえず従う。
理不尽じゃなければ、なおさら。
今回は、それがいい方向に働いてるっぽい。
少なくとも、誰も暴れてない。
穂積は――
いた。
クイ研の連中と固まってる。
輪の中心にいるわけじゃないけど、明らかにあっち側の空気だ。
李野くんも一緒にいる。
まあ、本来のあいつの居場所、あそこだしな。
流石にこんな時に探求心疼かせるほど非常識じゃないか。
衿衣は――
いた。
相変わらず、一人でぽつんと。
……いや、その格好。
白地に水玉のパジャマに、ぽんぽん付きのナイトキャップ。
なんだそれ。
急にファンシー路線か。
昼間あんなに武装してたやつと同一人物とは思えない。
くそ、可愛いじゃないか。
……いや、何を評価してるんだ俺は。
衿衣がこっちに気づく。
口をもにょもにょ動かして、何か言う準備して。
こっちに向かっ――
「あー天馬君いたー!」
横から、ぎゅっと腕を掴まれる。
いや、掴まれるどころか、抱きつかれてる。
ハナさん。
……タイミング。
タイミングよ。
いや、別にいいんだけど。
探す手間は省けたし。
ただ。
すすす、と。
こっちに来かけてた衿衣が、そのまま方向転換。
くるり、回れ右。
……惜しい。
いや、惜しいのか?
どうだろうな。
なんかもう、そういう問題でもない気がする。
そういうの気にしてる場合じゃないな。
今は。
周りを見渡す。
椰子泉さんは大渓さんと話してる。
坊主は…… あれ、八重歯の子に何か熱弁してるな。
相談か口説きか、判断に迷うライン。
とにかく、見知った顔はだいたい揃ってた。
そのことにほっとする。
……いや。
ほっとしてる場合じゃないんだよな。
頭では分かってる。
でも。
さっきまで、あの暗い部屋に四人で閉じこもってた時は、空気がじわじわ重くなって、何か悪いものが近づいてくる感じがしてたのに。
今は違う。
天井が高くて、明るくて、人がいっぱいいて。
それだけで、なんか大丈夫そうに見えてしまう。
危機感が、薄まる。
……これ、たぶん良くないやつだ。
現場で慣れてる人が言う「油断するな」ってやつ。
「さて、予定された全員が集合出来て胸を撫で下ろしました。皆さんの良識と協力に感謝します」
マイクの声。
閑君。
あの、カミツキガメみたいな人。
総合プロデューサーとかいう、一番偉いらしい人。
なんでそんな人が、俺の面接なんてしてたんだろう。
……まあいいか。
今考えることでなし。
「プライバシーの問題も考慮してしばらく情報を押さえていましたが、この時間まで所在不明であることは、なんらかの事件に巻き込まれている可能性が高いと判断せざるを得ませんでした」
ざわめきが、すっと引く。
言葉が、重い。
「個人名や分かっている範囲の足取りをお伝えします。少しでも心当たり、目撃情報などあれば情報提供願いたい。――こちら、現地の警察の方になります」
一発で、空気が変わる。
ざわめきが収まる。
警察。
その単語、こんなに効くんだな。
「えー、現在所在がつかめないのは、毛利井栞さん23歳――」
名前が読み上げられる。
知らない名前。
たぶん、見かけてはいるんだろうけど。
「椰子泉さん、双滝さんと同室で、夕方まではこの二人と共にビーチ、それからプールサイドに移った。そうですね?」
「はい。陽が翳ってきてから、プールへ移りました」
椰子泉さんが答える。
落ち着いてる。
「モーリーは疲れたから休むといって一人で部屋に戻りました」
双滝さんと呼ばれた女性も受け答える。
地味で清楚な感じのお姉さんだ。
「そして部屋に着ていた水着が残され、私服が一式無くなっていた」
「水着が干してあったのは見たけど、私服までは把握していないわ」
「私も」
会話が、妙に事務的に進む。
でも内容は、全然事務的じゃない。
「部屋に一人戻ったのが16時から16時30頃。それ以降の目撃情報を求めたい」
「顔と名前が結びつかない人もいると思うので、毛利井さんの写真を回します」
写真が回ってくる。
受け取る。
見る。
……うん。
見覚え、ない。
いや、正確には「覚えてない」か。
地味な印象。
地味ながらも清楚・清潔と言った印象の残る双滝さんとは違って、単に地味。
地味でしかない。
化粧も薄いし、髪も野暮ったい長髪を後ろで留めてるだけ。
洒落っ気の無い眼鏡。
白Tシャツに、普通のジーンズ。
それだけ。
記号が少ない。
こういう人、一番記憶に残らない。
悪い意味じゃなくて。
単に、目立たない。
「あ、この子五時くらいに見たかも」
声を上げたのはボーイ。
お前、意外なところで当てるな。
「どこで?」
「ホテルのフロント脇。スタッフの人となんか話し込んでたっす」
ざわっと、空気が動く。
「スタッフ集合!」
閑君の声。
一瞬で、スタッフが並ぶ。
本当に、一糸乱れず。
こういうの、訓練してるんだろうな。
「この中にそのスタッフはいますか?」
「うーん……スタッフは顔じゃなくて服で判断したんで……」
まあ、そうなるよな。
俺も同じだ。
あの、ロゴでかでかTシャツとナイロンジャケット。
あれでスタッフって認識してるだけで。
「毛利井さんと会話した人はいますか?」
沈黙。
誰も手を挙げない。
「スライム捕獲スタッフは17時にはまだホテルにいましたか?」
「出発は五時半でした」
「連絡は取れますか?」
「取れません。今から向かうと約30分かかりますが、予定通りならそろそろ戻ってくる頃合いかと」
「待ちましょうか」
「堅いですね」
閑君とチーフさんの短い応酬。
でも、どっちも引かない。
「挑戦者の皆様におかれましては。安全が確認できるまでこの部屋から出られませんよう、強くお願いいたします」
強く。
念押し。
……出るな、ってことか。
喉にいがらっぽさを覚え、ふと、さっきの食事を思い出す。
ペヘポ。
海苔ティー。
ツルル。
あの時は妙に湧き続けた唾液が、今は全く湧かない。
喉が渇く。
咳払いがしたい。
でもできない。
この沈黙を割ってする勇気が無い。
隣で、ハナさんが俺の腕を抱いたまま、顔を覗き込んできた。
「ねえ天馬君、これってさ」
と、小声で言いかけて。
「…………」
やめる。
その代わり、少しだけ力が強くなる。
視線を前に戻す。
閑君が、何かを待っている。
スタッフも、警察も。
全員が。
何かの到着を。
――スライム捕獲班か。
それとも。
別の答えか。
さっきまで、海の上を走ってた一日が、妙に遠い。
同じ場所にいるのに、舞台が一段、変わった感じがする。
クイズ番組のセットが、裏側から見えたみたいな。
……いや。
それよりもっと、質が悪い。
誰にとっても予想外で、企図しない状況。
時間にして数分。
体感にして一時間。
がやがやと騒がしい集団がやって来た。
戻って来た。
「スライム捕獲チーム六名、帰還しました!」




