笑顔 1
「単純に和解とはいかなかったようですね」
背後から声をかけられて、足が止まる。
振り返ると、李野くんがいた。
いつもの、ちょっと楽しそうな顔。
……見られてたのか。
いや、この開けた場所だ。
見えない方が不自然か。
「穂積から聞いたんですか?」
「今後は通すなと頼まれました」
ああ。
なるほど。
そういう、段取りか。
「本気だな」
自分でも驚くくらい、あっさり口に出た。
「そのようですね。なので彼は今、キングの下に集まってクイズ訓練中ですよ」
「クイズ訓練」
思わず、同じ言葉をなぞる。
視線を少し遠くにやると、ビーチの端の方に人だかりが見える。
あれか。
誰かが声を張って、何かを読み上げてる。
そのたびに、何人かが一歩前に出たり、手を上げたり。
早押しの真似事か。
ここまで来て、やるんだな。
いや、むしろここからが本番か。
「彼らはここに『勝ちに』来てますからね」
李野くんは、まるで他人の話みたいに言う。
軽い。
いや、軽いっていうか、距離がある。
お前もそっち側だろ、って言いたくなるけど、まあ、ちょっと違うのか。
「李野くんは特訓しないの?」
「私は競技者ではなくてクイズ作家狙いですからなぁ。あり方が半歩ブレるのですよ」
半歩。
便利な言い方だ。
完全に外でもないし、中でもない。
「勝ちにいかない?」
「勝てたらいいなくらいで。それよりも」
「それよりも?」
李野くんの目が、少しだけ輝く。
「折角異世界に来れたというのに、面白いこと探さなくてどうするんですか!」
……おお。
ちょっと意外。
さっきまで、クイズだなんだって言ってたやつが、急に観光客みたいなことを言い出した。
いや、違うか。
観光客じゃない。
探検家寄りだ。
「ビーチ行きます?」
なんとなく、無難な選択肢を出す。
ピンクの砂浜。
乳白色の海。
二つの太陽。
いかにも「見どころ」って感じだし。
でも。
「あんな手垢のついた場所行っても発見は少ないでしょう?」
ばっさり。
手垢って。
異世界のビーチにまでその評価使うのか。
「発見」
思わず繰り返す。
「それよりも珍しい場所へ行って、新しい体験をして…… それを新鮮なクイズ問題にするんですよ!」
ああ、うん。
やっぱり李野くんは李野くんだ。
どこまで行っても、そこに帰ってくる。
でも、なんか。
さっき穂積と別れた直後に聞くと、このスタンス、ちょっとだけ救いに感じる。
「ホテルのフロントでこんなリーフレット見つけちゃいましてね。
最新のオランシェ旅行雑誌にも載っていない催しです」
差し出された紙。
ざらっとした手触り。
印刷も少し粗い。
確かに、いかにも「最新」ではなさそうだ。
「ヒッポカンポス乗馬体験……?」
文字を追いながら、首をかしげる。
乗馬、って書いてある。
でも、ヒッポカンポスってなんだ。
どっかで聞いたことあるような、ないような。
「知ってます? ヒッポカンポス」
「乗馬っていうからには馬なんでしょう?」
我ながら雑な推測。
でも、情報が少なすぎる。
「ふっふっふ。百聞は一見に如かず」
李野くんが、やたら含みのある笑い方をする。
なんか、嫌な予感するなこれ。
「どうでしょう、市籠くん。 一緒にヒッポカンポス、乗っちゃいません?」
視線の先。
ビーチとは反対側。
ソテツみたいな木が、ゆっくりと位置を変えてる。
風に揺れてるわけじゃなくて、根ごと移動してる感じの、妙な動き。
その奥に、少し暗い林みたいな場所が見える。
観光地の表側じゃなくて、裏側。
さっきまでなら、たぶん選ばなかった方向。
でも。
穂積は「勝ちに」行ってる。
俺は――
どうする。
……まあ。
少なくとも、ぼーっと立ってるよりはマシか。
「それ、どこでやってるんだ?」
口が、先に動く。
李野くんが、にやっと笑った。
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ビーチから馬車に揺られること十分。
最初は観光用の飾りみたいな道を走ってたのに、途中から、だんだん人の手が入ってない感じの地形に変わっていく。
ピンクの砂が薄れて、土の色が濃くなる。
ソテツみたいな木が、相変わらずじわじわ位置を変えながら並んでて、その向こうに、乳白色の海がちらちら見える。
半島の付け根。
そこに、その厩舎はあった。
屋根は低くて、木組みも粗い。
いかにも「現地の施設です」って顔してる。
で、近づいた瞬間。
……おえ。
獣臭いのと、魚臭いのが、どっちも一歩も引かない感じでぶつかってくる。
どっちかに寄せてくれればまだいいのに、完全に共存してる。
鼻がバグる。
思わず顔をしかめながら中を見る。
で。
正直。
びびった。
「はえー……」
「すご……」
そこにいたのは、馬だった。
いや、正確には、馬「みたいなもの」。
頭部から胸、前脚までは、ほとんどそのまま馬だ。
筋肉がしっかりしてて、立ち姿も堂々としてる。
でも、近くで見ると違和感がある。
たてがみの代わりに、背中に沿って薄い鰭みたいなものが揺れてる。
耳も、どこか魚っぽい形で、ひらひら動く。
で、胴体の途中から完全に別物になる。
後ろ半分が、長く伸びた魚の尾。
鱗に覆われてて、光を受けて青や銀にきらつく。
尾の先は大きく広がって、ゆっくり水をかくみたいに揺れてる。
床は乾いてるのに、その動きだけは完全に「水の中」のやつだ。
全体としては、滑らかな皮膚と細かい鱗が混ざったような質感で、触ったらたぶん、ひんやりしてる。
そしてデカい。
思ってたよりずっと。
ヒッポカンポスは全部で八頭。
それが、ビシッと整列してる。
こっちを見てる。
……いや。
見すぎじゃないか?
全員、こっちに視線が集中してる。
しかも、なんか。
目線が熱い。
待ってました!とでも言いたげな雰囲気。
なんだこの圧。
「ふぉふぉふぉ。わしがこの子らをみて五十年。これほど興味を持たれた方はあなたが初めてですよ」
声の方を見る。
モンスター爺さんだ。
顔の皺の入り方が、なんかもう年季入りすぎてる。
あ、日本語。
……と思ったら、指にリングしてる。
なるほど。
「あの、こちらのリーフレット見て来たんですけど」
紙を見せる。
「ええ、もちろん乗馬も馬車もやっておりますよ」
穏やかに頷く。
その横で。
「こんなところにエラと思しき機構が!?」
李野くん。
完全にスイッチ入ってる。
もう俺のこと見てない。
海馬の一頭の周りをぐるぐる回りながら、
「いや、これは鰓裂の名残ですかね……鱗の生え際が実に……」
とかぶつぶつ言ってる。
怖いくらい集中してる。
「李野くん、どっちで乗る?」
一応聞いてみる。
「あ、市籠くんはお好きにどうぞ。 私はここで観察と聞き取りに努めます」
はい、了解。
完全に置いてかれた。
お前が一緒に乗ろうって誘って来たのに。
まあいいか。
野郎二人がタンデムするのも、馬車で片寄せ合うのも、なんかいやだし。
「俺、馬にも乗ったことないんですけど、大丈夫ですかね、乗馬」
正直に聞く。
「手綱から手を離さなければ大丈夫ですよ」
さらっと言う。
「離したら?」
「まあ、落っこちても海ですし、ビーチ周辺には危険生物はいませんから」
うーん。
その「まあ」が気になる。
安心材料なのか、それ。
……ちらっと、海馬たちを見る。
まだ見てる。
ずっと。
「それに賢い子たちですから、落馬しても咥え上げてくれますよ」
「咥えて」
「まあ、手なんてありませんからな。大丈夫。ちょっと歯形がつく程度ですよ。ふぉふぉふぉ」
いやいやいや。
歯形は結構嫌だぞ。
嫌、なんだけど。
なんていうか。
ちょっと前までなら、ここで引いてたと思う。
やめときますって。
安全圏に戻ってた。
でも。
今。
なんだろう。
……わくわくしてる。
こいつの背中に乗って、あの乳白色の海を。
ばーって、波を切って走ったら。
たぶん、すごい。
爽快、ってやつ。
やってみたいなって、普通に思ってる。
……俺、こんなタイプだっけ。
もう一回、海馬たちを見る。
さっきより、さらに視線が強い気がする。
で。
一頭が、前脚を軽く踏み鳴らした。
それに釣られるみたいに、他のやつもざわっと動く。
いななき。
「「「「ぶひひひひ!」」」」
……いや。
豚かよ。
「うひっ!」
隣で前のめりに検分してた李野くんが飛び退る。
さっきまであんなに近づいてたのに。
怖がらなくていいのに。
だって。
こいつら、どう見ても喜んでる。
あれ?
なんで分かるんだ。
初めて見るのに。
地球で馬とか生で見たことないのに。
まあいいか。
そういうもんかもしれないし。
ここは異世界だし。
なんか、モンスター爺さんがつけてる指輪的なサムシングが都合よく働いて、なんとなく意志が通じちゃった感じなんだろう。
「落っこちても、拾ってくれるよな?」
軽く声をかける。
「ぶひひひひ!」
さっきより大きい。
なんか、いい返事もらった気がする。
頼もしいじゃないか。
「お爺さん。乗馬コースで」




