一次予選:ハリキリスタジアム 2
司会の男、黄石桑之介。
ヤツは、腕を振り上げたまま止まっている。
ぴたり、と。
まるで時間そのものを指先でつまんでいるみたいに、その姿勢が固定されていた。
おそらくは振り下ろすタイミングを計っている。
演出だ。
あるいは操作だ。
俺たち挑戦者に対する。
ああ、これも一種のカリスマか。
オーケストラのコンダクターよろしく、あの男はこの場の全員を「鳴らしている」。
呼吸も、視線も、緊張も。
全部。
ごくり……。
隣から、やけに生々しい音が聞こえた。
穂積が、唾を嚥下した音だ。
あいつでも、こういう音を立てるんだな、とどうでもいいことを思う。
静まり返る幾万の人々。
さっきまでの狂騒が嘘みたいに、音がない。
誰も叫ばない。
誰も動かない。
ただ、あの男の腕だけが、世界の中心にある。
そして――
振り下ろされた。
「第一問!」
声が落ちた瞬間、空気が震えた気がした。
「召喚の女神像が従えているペガサスは、雌雄一対である。〇か×か!!」
……は?
一瞬、意味を咀嚼するのに遅れる。
召喚の女神像。
ああ、球場の正面入り口にでーんと設置してあった、あのデカい像か。
ペガサスが二頭、脇にいたやつ。
そこまでは記憶にある。
オスメス?
そんな細かいところ、見てない。
ていうか気にもしなかった。
「制限時間は一時間!」
一時間。
長い。
長すぎるくらいだ。
普通に考えれば、走る必要なんてどこにもない。
ない、はずなのに。
「行くぞ」
穂積が、短く言った。
もう立ち上がっている。
他の連中も同時だ。
迷いが一切ない。
俺は一拍遅れて立ち上がる。
「え、ちょ――」
もう誰も聞いてない。
七人が一斉に動き出す。
周りの連中も走ってる。
スタッフさん交通整理お疲れ様です。
走る。
走る。
走る。
……なんでだよ。
一時間あるだろ。
俺は内心でツッコミながらも、結局その背中を追いかける。
走る青いハッピについてゆく。
そんな必要はないのに。
時間は十分あるのに。
それでも足が止まらないのは、多分――空気だ。
この場の。
この祭りの。
ああ、確かに祭だ。
穂積が言ってた意味が、ちょっとだけ分かる。
理屈じゃない。
流れだ。
俺はずっと距離を置いて見ていたつもりだった。
でも、気づけばその中にいる。
部長も、穂積も、五人のクイ研メンバーも。
走り慣れていないせいか、もう息が乱れてるのに。
そこに焦りはない。
余裕の表情だ。
ただ「決まっている」顔だ。
周囲にも、同じような集団がいくつも見える。
他大学のクイ研だろうか。
帽子やTシャツ、果てはユニフォーム。
統一された装束。
色も形もバラバラなのに、やってることは同じだ。
集団で動く。
迷わない。
あの黄色いTシャツ集団、五十人はいるんじゃないか?
ちょっとした軍隊だ。
個人戦のはずなのに。
なのに――
「一問目は必ず、召喚の女神像から」
走りながら、誰かが言った。
白樫部長だ。
息が荒くなってきている。
「セオリーだ。外す理由がない」
セオリー。
つまり、予想済み。
当然、対策済み。
俺は心の中で苦笑する。
なるほどな。
こういうことか。
クイズってのは、知識だけじゃない。
準備と、経験と、読み。
全部込みだ。
像が見えてきた。
でかい。
さっきよりちゃんと見る余裕がある。
女神が立っている。
その両脇に、ペガサス。
二頭。
右手は、白い石の翼を広げている。
左手は、静かに座している。
こいつらが、雄か雌か。
……分からん。
まあ二匹の姿勢から、陰陽の雰囲気は感じる。
中華産の像なら決め手になるかもしれない。
でも…… 異世界産だしなぁ。
俺らの歴史的常識が通用するのかっていう。
「ペケだな」
穂積が即答した。
いや、ペガサス二頭とも、動きに差がね?
「ペケですね」
白樫部長も重ねる。
面構えも筋肉のつき方も、ちょっと違いません?
「女神像はどの女神像も本家女神像のコピー品だからな」
「複製の魔法を現地神官が使ったものだ、間違いない」
他の連中も、もう迷ってない。
票が揃ってる。
完全に。
俺は一瞬だけ立ち止まりそうになる。
でも、まあいいや。
余計な感想漏らさんでよかった。
所詮、素人の浅はかな考えだし。
クイズのプロ七人が迷ってない。
それだけで、十分すぎる情報だ。
俺が間違ってるに決まってる。
だから、無理に出しゃばらずに。
意見も質問も投げないで。
解ってるやつに、身を委ねればいっか。
俺は、オーロラビジョンが指し示す✕のゾーン、レフト側スタンドに足を踏み入れた。
それでいいのか、と思いながら。
それしかないだろ、とも思いながら。
結局走り出す前に座ってた座席に逆戻り。
じゃあここで俺、待ってりゃよかったな。
やがて時間が過ぎ去って。
制限時間の一時間がやって来た。
「タイムアップ!」
再び登壇した黄石アナウンサーが片手を上げた。
球場の方々で鳴り響く短いホイッスル。
白い感嘆符の上にSTAFF、青で大きく書かれたTシャツの連中が、
そこかしこの移動経路をポールパーティションでしっかりと封鎖。
なんか迷った挙句、通路で足止めを食って、スタッフに詰め寄ってる男がいた。
「融通利かせろよ」
「不正を許さないのがウルティモです」
厳格だな。
俺なら「ま、いっか」で通しちゃうけどな。
「日本野鳥を凝視する会のカウントによると、○は約1万。×は約1万4千と分かれたようだ」
黄石アナはまず、現状報告。
ほう。
多数派か。
それだけでちょっと安心するのは俺が日本人たる証拠。
「少数派の○の諸君! 君たちの選択に自信はあるか!?」
「「「「おおーーーーーーーっ」」」」
またかよ。
ここでもお前、煽るのかよ。
まあそういう番組なんだろうけど。
お前が煽るたびになんというか。
俺が事前に想像してた「楽しいお祭り」感が崩れて。
なんか殺伐とした空気感が醸成されていくのな?
ホント、辞めてほしいわ。
「「「「おおーーーーーーっ」」」」
で、×側の俺たちも当然煽られて。
✕側の俺以外も当然煽りに乗って。
なんだかなぁ、と想いながら周囲の様子を眺めてると。
……不意に。
目に飛び込んだ、おかっぱの少女。
綺麗な姿勢で、じっと座したまま、微動だにしない。
完全に一人。
孤立。
なのに、どこか力強い背中。
その子も、煽りに乗っていなかった。
一瞬。
音も色も消えて。
その子の事だけが、意識された。
「「「「よっしぁあああああ!」」」」
これまでと違うざわめきに意識が浮上する。
スタンドが喜びに満ち溢れている。
オーロラビジョンには×印が大きく映し出されていた。
「っしゃああああ!!」
「ほら見ろ!!」
「余裕余裕!!」
白樫部長を筆頭に、クイ研の連中も弾けていた。
さっきまでの「決まっている顔」はどこ行った。
普通にガッツポーズしてるし、ハイタッチしてるし、声デカいし。
いやいやいや。
ちょっと待て。
俺は思わず横目で見る。
さっきまで――
余裕の表情。
セオリー。
外す理由がない。
完全に「当然」みたいな顔してたよな?
なのにこのはしゃぎっぷり。
あんたら自信があったんじゃないんか!
内心でツッコむ。
いや、分かるけど。
分かるけどさ。
それでもテンションの振れ幅どうなってんだ。
対岸を見る。
ライトスタンド側は、葬式ムード。
嘆きの声が渦巻いている。
さっきまで同じ土俵にいたのに。
もう別の世界の人間みたいだ。
一万人。
この一問で、沈んだらしい。
数字で聞くと現実感がない。
でも、向こうのスタンドで蠢く人影を見ると、嫌でも分かる。
これが、このゲームだ。
勝ちと負け。
一瞬で引かれる絶望的なライン。
結局は、それなんだ。
ゲームだろうと、人生だろうと。
勝ち側に入らなきゃ。
ああやって、みじめな思いを抱くことになる。
いつもの俺みたいに。
「やったな天馬!」
「おう」
喜色満面の穂積をぞんざいに扱って。
俺は視線をあの少女に戻そうとしたけど。
喜びを分かち合って、立ち上がって咆哮して、肩を組んで、握手して。
そういう喜びの光景が多重に立ち塞がって。
あの少女の後ろ姿を見失ってしまった。
ま、そんなもんだろ。
「第二問――」
その喜びの乱舞が、一言で瞬滅された。
今の今まで俺を見ていた穂積は、もう俺を見て居ない。
黄石アナウンサーを見て居る。
次を見て居る。
完全に、戦場の顔だ。
さっきまであんなにはしゃいでたくせに。
切り替え早すぎるだろ。
俺だけが、まだ観客席に片足残してるみたいで。
……まあいいか。
とりあえず。
まだ、残ってる。




