二次予選:ナリタレア 1
ナリタレアに向かうチャーターバスの中は、妙に明るかった。
朝だってのに、遠足前の小学生みたいな声があちこちで弾けてる。
窓の外はいつもの首都高で、見慣れた灰色のガードレールが延々と流れていくのに、中身だけが完全に別の番組だった。
隣の席で、穂積がやけに自信ありげに腕を組んでいる。
細身の体に、無駄のない動き。
猫背でもなく、かといって肩肘張ってる感じもない。
やや長めのテクノカットが、バスの振動で軽く揺れる。
その上から羽織ってるクイ研のハッピは、やたらと派手だ。
スカイブルーに白抜きの大学名。
その背中いっぱいに、油性ペンの文字が躍ってる。
「穂積、頼んだぞ!」とか、「女神と会ってこい!」とか。
妙に字の癖がバラバラで、たぶんあいつら五人、順番に書いたんだろう。
一次予選。
あのドームで、七人いたクイ研は、結局ここには二人しかいない。
その「残り五人分」が、布一枚に押し込められてる感じ。
「俺さー、じゃんけんの特訓してきたぜ」
そんなのを背負ってる本人は、やけに軽い調子で言う。
「神経を研ぎ澄ましてさ」
「特訓ってどんな風に?」
「まずさ。頭に強く思い浮かべるのさ。自分の出す手を」
「ほうほう」
「そしたらおもむろに、相手の目をじっと見る。俺はこの手を出すぞって念を込めながら」
「ふむふむ」
前の席から、低い声が混じる。
「……気配で崩す、ですか」
白樫部長。
背もたれ越しにちらっと見える横顔は、相変わらず無駄がない。
短く整えた髪に、四角いフレームの眼鏡。
ワイシャツの上からハッピを羽織ってるのが、どうにもチグハグで、でも本人は一切気にしてない顔をしている。
その背中にも、同じように寄せ書きがある。
ただ、穂積のよりも、だいぶ指導寄りだ。
目に入った順に読む。
『元気を出して行こう!』
いや、出すって言われて出るもんなのか、それ。
『猫背禁止』
姿勢指導かよ。体育教師か。
『人の目を見て話すこと』
面接かよ。もうやってるって。
『気合を入れろ!』
結局そこか。穂積と同じこと言ってるな。
で、極めつけ。
『手のひらに人と書いて飲むんだよ』
――10年前の受験生か。
部長、愛されてんな。
尊敬はされてなさそうだけど。
なんか、読んでるだけで肩が凝る。
「で、目を逸らしたらそいつは、俺に負ける手を出す。だから手はそのまま」
「逸らさなかったら?」
「勝てる手を出す。だから手を変える」
白樫部長が、もう一言だけ挟む。
「……理屈は通らんが、面白いですな」
「だろ?」
穂積は嬉しそうに笑う。
しばらく考えて、結論だけ口に出す。
「精神論? ていうか根性論?」
「まあ、言いたかったことは―― 気合いだよ、気合」
「気合な」
「そそ。天馬に一番足りないやつ」
「わかるわ」
「わかんなよ!」
軽く前の席を蹴る音。
「蹴るな」
白樫が即座に返す。
「すみません部長!」
反射みたいに謝る穂積。
熱血エースに冷静キャプテン。
そのやり取りも、なんかもう、いつもの部室の延長線上にある感じ。
俺の知らない日常。
窓に映る自分を見る。
俺はハッピなんて着てない。私服のまま。
まあクイ研でもないし。
なんとなく、着る資格ない気がして。
穂積は前のめりだ。
体ごと未来に突っ込んでいく感じ。
白樫部長は、その少し後ろで支える位置。
無駄なことは言わないけど、必要なときだけ言う。
俺は、さらに後ろ。
景色の一部。
勝っちゃったらどうしよう、とか。
キングや関西の連中にまた会うの面倒だな、とか。
そんなやだなーって思いばかり、頭の隅を巡ってる。
楽しんでない。
しかたないって思いが強い。
「市籠」
「ん?」
「お前も、なんか考えとけよ」
「ジャンケンの?」
「そう。なんでもいいからさ。流れでも、癖でも」
「いや、俺そういうの――」
「いいから」
言い切られる。
軽い調子なのに、逃げ道が塞がれるやつ。
白樫部長が、少しだけ振り返る。
「市籠クン」
「はい」
「君は、運がいい」
淡々とした声。
「それを、どう使うかです」
それだけ言って、また前を向く。
なんか、面接みたいだな。
最近そればっかりだから、全部そっちに聞こえる。
運、ね。
確かにここまでは、それで来た気もする。
クイ研の流れに乗って。
部長の読みを借りて。
穂積に背中押されて。
自分で何かしたって感じは、正直あんまりない。
「……気合いか」
小さく呟く。
「お、やっとわかったか?」
「いや、たぶん一生わからん」
「おい」
また二人、軽く笑う。
バスはそのまま、高速を降りて。
空港方面の標識が見えてくる。
遠くに、やたらとでかい滑走路。
飛行機が一機、ゆっくり降りてくるのが見える。
あそこに行くのか。
異世界とか言ってるけど。
見えてるのは普通の日本だ。
普通の空。
普通のコンクリート。
なのに、なんかもう、戻れない感じだけはする。
隣で、穂積がハッピの背中を軽く叩いた。
「見てろよ」
誰に言ってるのかは、たぶん残してきた五人全員だ。
白樫部長は何も言わない。
ただ、ほんの少しだけ背筋が伸びた。
俺は。
そのどっちにも乗り切れずに、窓の外を見てる。
*
ナリタレアの施設は、空港の華やかさとは無縁の、やたらと白い箱だった。
体育館とも違うし、スタジオとも違う。
ただ、「ここで何かが削られるんだろうな」って予感だけは、嫌に具体的だった。
中に入ると、まず目に入るのは―― リング。
ボクシングのやつを、そのまま安っぽくしたみたいな舞台。
四方を囲むロープは、近くで見ると妙に細くて、ちょっと力入れたら外れそうな感じがする。
なのに、そこだけ妙にそれっぽく見えるのが腹立つ。
ジャンケン台。
名前からして軽いのに、作りはやたら仰々しい。
中央に、赤と青のポールが一本ずつ立っている。
その中に、大きな電球が縦に三つ。
三本勝負だからか、勝つごとに一つずつ点く仕組みらしい。
胸元に目線を落とすと、「99番:市籠/東京」のプラプレート。
空港入りの前に100人全員にそれぞれ配られた。
穂積は71番。
白樫部長は3番。
番号は固有、県名は住民票に拠るらしい。
周りには、さっきまで同じバスに乗ってた連中が、半円状に固まってる。
100人いたはずなのに、ここに立つと、妙に少なく感じる。
その中に、白樫部長の姿もあった。
腕を組んで、じっと舞台を見ている。
さっきまでの無駄のない顔が、ほんの少しだけ崩れてる。
――はあ。
小さく、ため息。
聞こえるか聞こえないかくらいの音。
でも、それだけでわかる。
ああ、これ、嫌なんだな。
理詰めでやる人間にとって、ジャンケンは一番性が悪い。
積み上げたものが、一瞬で無効になるやつ。
それでもここに立ってる時点で、やるしかないんだけど。
「ハイ、七回戦はこちら!」
その声が、空気を切り替える。
黒い礼装。細身の体。
あの男――黄石が、腕を広げるだけで、ざわめきがぴたりと収まる。
いや、収まるっていうか。
収められてる。
スタッフが合図してるわけでもない。
カンペを掲げるやつもいない。
サクラっぽい笑いも、見当たらない。
なのに。
「おおっとォ! ここでまさかのカードだァ!」
声が跳ねた瞬間、周りがどよめく。
ちょっと遅れて、笑いが起きる。
反射だ。
完全に、反射。
この人、何やってんだろうな。
指一本で、観客のスイッチ切り替えてるみたいだ。
「赤コーナー、71番・港ヶ陸 穂積!」
お、あいつの出番か。
視線が集まる。
「青コーナー、99番・市籠 天馬!」
……え? 俺?
「二人とも同じ学院大学の三年生だ!」
さらに、ざわっと空気が揺れる。
「くそっ!」
横で、穂積が舌打ちした。
「え、あ、あの、なんで?」
思わず口に出る。
いや、そりゃそうだろ。100人いるのに、ここで当てるか普通。
「しかしコンピューターってのは残酷だねぇ。組み合わせに情を挟まないで、完全な乱数で決めちゃうんだから」
うそつけ。
絶対お前だろ。
――か、あいつだ。
視線が、自然と奥に向く。
挑戦者の山のさらに向こう。
スタッフの中心。
閑君。
あの面談のときと同じ目で、こっちを見てる。
体温のない、カメラみたいな視線。
その横。
勝者席。
そこに、ふんぞり返ってるやつがいる。
黒。
上から下まで、全部黒。
革のジャケット。革のパンツ。
光沢のあるブーツ。腕も首も、余計な色が一切ない。
キング・荒火。
やっぱり、ああいうのを地で行くやつはいるんだな。
こっちを見てる。
目が合う。
一瞬。
何も言わないのに。
言われる。
――お前、降りろ。
言外に。
いや、言葉にしたらもっと雑かもしれないけど。
とにかく歓迎されてないのは、はっきりわかる。
まあ、そりゃそうだ。
こっちは置物で終わった人間だし。
「さあ、両者リングへ!」
促されて、ロープを跨ぐ。
近くで見ると、やっぱりチープだ。
手に触れると、軽い。
こんなもんで区切られてるだけなのに。
中と外で、空気が違う。
リングの中央。
赤と青のポール。
電球が、まだ全部消えてる。
ここに一つずつ、灯っていく。
どっちかが。
三つ、先に。
「君たちは親友同士なんだって?」
マイク越しの声。
ああ、来た。
知ってるよな。そりゃ。
あんだけ掘られたんだし。
その上で、これ。
ほんと性格悪い。
赤コーナーの向こうで、穂積が息を呑んだ。




