第八BF:ザ・バレー 2
挑戦者たちに言葉はない。
動きも無い。
風さえ止まったような静寂が谷を満たしていた。
天蓋の亀裂。
昼間であれば雄大な景
観に歓声を上げていたであろうその場所は、今や別の何かへと変貌している。
見上げれば、吸い込まれそうな星空。
だが、その星々の向こうに、真っ暗で底なしの闇が見える。
あれは空の底。
理性で無く感情でもなく、感覚でわかる。
星々はただの飾りだ。
本当の空は、そのさらに向こうにある。
俺たちが普段見ている空なんて、巨大な天井に描かれた絵みたいなもので。
その奥には、人が決して覗いてはいけない何かが広がっている。
そんな確信があった。
誰も口にしない。
だが、この場にいる全員が同じ感覚を共有しているのが分かる。
その、空の底に。
なんだろう、一瞬。
放送事故の様に、ノイズが走った。
ざりっ。
星空が乱れる。
映像データが破損したみたいに、夜空の一部分だけが白く掻き消えた。
そして。
「特別ゲストを紹介しよう!」
黄石の声が嗜虐的に弾んだ。
やけに嬉しそうだ。
いや、いつも嬉しそうなんだけど。
今日のそれは一段階上。
わざわざ顔は見ないけどここまでの付き合いでわかるぞ。
今お前、サイコーにテカテカしてるだろ。
ということは、この特別ゲストというのは――
嫌な予感しかしない。
そして大抵の場合、黄石絡みの嫌な予感は当たる。
ノイズ。
また視界が乱れる。
チリチリと。
まるでテレビの砂嵐を目の前で見せられているみたいに。
焦点が合わなくなってくる。
眼球そのものが震えている感覚。
一度。
二度。
三度。
その間隔が段々狭まって。
十何度目かのノイズが晴れた。
天蓋の谷の底に、巨大な眼球が発生した。
世界そのものを観察するためだけに存在しているような巨大な瞳。
星空より大きい。
山より大きい。
月より大きい。
比較対象すら思い浮かばない。
ただ大きい。
それだけで恐怖だった。
プレゼンターの祭司ちゃんは膝をつき涙を浮かべて祈りを捧げていた。
語彙を喪失し、ただおおいなる存在にひれ伏している。
右隣の衿衣からは緊張が、左隣の茂侍から恐怖が伝わってくる。
だが誰も言葉を発しない。
発せない。
その目玉はこちらを見ている。
明らかにスコープが合ってる。
温度も意図も感情も意味も一切感じられない単独の眼球。
それでもはっきりとわかる。
眼差されている。
「『目鼻耳口様』だ」
黄石が静かに告げた。
宗教的タブー。
コズミック超越存在。
ステックソンでは五億歳越えの火山の精霊・ティリザベスさんと会った。
精霊の森では時空と結界の超級精霊・あぶくの御姫様と話した。
彼女らは「神と同義」とサンタフェさんに言わしめるほどの存在。
圧倒的な存在感。
世界の根幹を支える超常。
でも。
あの感情無く睥睨する目玉の存在からしてみたら、精霊神も俺も大して違いはないだろう。
だって俺たちは星に間借りする存在で。
目鼻耳口様は宇宙に根差す存在だろうから。
蟻が人間を見上げるような話ですらない。
細胞が人間を理解しようとするくらい遠い。
……とんでもないもの見せてくれたなウルティモスタッフ!
ビフォーアフターで写真を撮るつもりだったけど、あんな畏れ多いものフィルムに収められるか!
カメラを構える気にすらならない。
ざりっ。
再び星空が乱れる。
宇宙規模の目玉に一瞬のノイズが走り、目玉の有った場所に鼻が現れた。
巨大な鼻。
鼻孔にお城が入りそうなサイズ。
すんすん。
すんすん。
まるで俺たちの匂いを嗅ぐように、鼻を鳴らしている。
空気が動く。
遠くにいるはずなのに。
吸気だけで谷の風向きが変わった気がした。
「このお方……? 存在は感じての通りスケールの違うお方だ。しかしここで目鼻耳口様が観測されて以降、ただの一度もこの星の生き物に接触されたことはない。意思の疎通がなされたこともない。お方自身の言葉を発せられたこともない。ただそこに在り、ただそこからこの地を観測している。そうした存在だ」
黄石の解説にちょっと引っかかった。
お方自身の言葉?
自身の?
妙な言い回しだ。
わざわざそんな表現をする必要あるか?
答えはすぐに示された。
「じゃあキミ、ありったけの想いを込めて目鼻耳口様に叫びを届けてくれるかい?」
チーフスタッフが指名されたスタッフへマイクを向ける。
チーフは思い切り深く息を吸い込むと。
「アイツらのせいで寝不足だ!!」
魂の叫びを、コズミック超越存在にぶちまけた。
呼応して天蓋にノイズ。
鼻が耳になり、ひくひくと揺れる。
空耳アワ…… げふんげふん。
なんでもない。
偉大なる存在に対してよくない連想だったね。
叫んだチーフの目線は俺らに。
ていうか俺に。
恨みがましい寝不足の赤い目で。
ごめん。
ごめんて。
勝手に冒険依頼を受けた俺らが悪かった。
それホント反省してるから。
ちゃんと生きて帰って来たから許してよ。
耳がノイズと共に消え、今度は巨大な口が現れた。
唇がゆっくりと開く。
《あいつらのせいでねぶそくだ》
チーフと違って全く感情の乗らない声が、チーフの絶叫を模倣した。
機械音声にも似た。
しかし確かに生きている何かの声。
背筋がぞわりと泡立つ。
「そう、意志の疎通は出来ないし、自らの言葉も語らない。届いた言葉をオウム返しする。こだまのような存在だ。……但し」
黄石は言葉を区切った。
大きく息を吸う。
ピンマイクを外して。
「僕は心優しい男です!!」
最大音量で絶叫した。
一拍。
沈黙。
「「「「嘘つけ!」」」」
挑戦者のみならずスタッフさんたちも唱和するってよっぽどだぞ黄石。
そこ! 心底愉快そうに笑ってるんじゃない!
《うそつけ》
天蓋の大口が拾ったのは黄石の戯言じゃなくて俺らのツッコミ。
即答だった。
会場に笑いが広がる。
「僕の言葉はこだましないで、君らの言葉はこだました。んふー、目鼻耳口様の法則は分かってきたかな?」
音量か。
いや違う。
俺らのは人数がいたから大きかっただけで。
単独の音声としては黄石の絶叫の方が明らかに大きかった。
じゃあなんだ?
「どうだワイズメン?」
「そうね…… 嘘には反応しないんじゃないかしら?」
それだよそれ!
あんな極サのおっさんが心優しいなんて性質の悪いギャグ――
「僕はイジワルな男です!!」
《ぼくはいじわるなおとこです》
黄石二度目の絶叫に、はたして目鼻耳口様、今度は応えた。
流石ワイズメン。
まじワイズメン。
いつも高い視座から俺らよりも遠くの景色を見てらっしゃる。
「ネタ晴らしをしよう。目鼻耳口様に上っ面の言葉は届かない。真実の強い想いと言葉が重なった時、初めておうむ返しが現出する」
あー。
流石に分かるぞ。
俺でもわかる。
なんでこんなに丁寧に実証と説明を重ねたか。
視聴者向けだ。
今から始まるクイズのルール説明。
つまり。
ここで求められるのは知識だけじゃない。
魂だ。
そんなことより。
あのコズミックホラー的存在を魂判定機として利用して大丈夫なん?
普通躊躇するだろ!
だがそういう躊躇よりも理性よりも絵的な面白さを何より優先するのがウルティモという番組で、そういう畏れを踏み越えて悪乗りしちゃうのが黄石というおっさんだ。
天罰的な何かを下されるならあいつにお願いしますね、目鼻耳口様。
俺たちは無実だ。
巻き込まれただけだ!
「挑戦者諸君ももうお気づきだろう。ここで行われますクイズは名付けて! 届け魂の叫び! こだまでしょうか? いいえ、上位存在です!」
なんだよそのポエジーに富んだタイトルは。




